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月の刻限  作者: ゆいぐ
第三章
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第五二話 歯車 参  ―― 此処 ――

 メイアを発ってからもう一週間が過ぎていた。年も大分押し迫っている。ベレンカから四日間汽車を乗り継いだ僕等はアスロペン南西端に位置する港町、マッティアに来ていた。ここはデスニア本国への玄関港げんかんこうの役割を果たしている。僅かな海を挟んで向かい合うシオルとは目と鼻の距離にある。


 それはまるで追いかけっこだった。ピエロ達は必要以上に足跡を残さない。どうやら常にその奇抜な衣装に身をつつんでいるわけではないらしかった。故意にある駅や町で少しの間だけその姿になり替わる。そうして生まれた僅かな目撃情報を僕等は辿らされてきたという次第だ。

 しかも数日前、その道化共はシオル行きの汽船のチケットを買っていたらしい。その情報が僕等が最新に掴んだ手掛かりだった。まあ正確には掴まされていた、だろう。

 カジは当然に苛立ち始めていた。確かにおちょくられている感は強い。こちらも一日に移動出来る距離に限度があったわけで、その差は一向に縮まる気配がなかった。

 

 一方でそんなカジとは対照的に僕は心穏やかな日が続いていた。勿論キルとクリスのことを忘れていたわけではない。当然にバニル達の身も案じられる。ただ二月ふたつき振りに再会したアノと一緒にいられることが素直に有難かったのだ。

 彼はその症状を少しだけ回復させていた。呼び掛けに対し以前程無反応ではなくなっていたのだ。口数は相変わらず少なかったものの、こちらの声が彼に届いているという実感が何よりも僕に希望をいだかせた。これまで数える程だがたどたどしくも僕等の名前を呼んでくれたことさえある。この調子なら本国で手術を受ければ彼と会話出来る日もやって来るのではないか。いつしか僕はそんな楽観的観測を持ち始めていた。


 その日のお昼過ぎ、僕等は砂浜に打ち上げられた流木を椅子代わりにして、リーンとチタンが町から戻ってくるのを待っていた。二人はアノの日用品を買い足すついでに昼飯を調達しに行ってくれていた。


 最も大きな流木を一人で占領しているカジが向かいのアノの額を見つつ言う。その黒髪の下には相変わらず包帯が巻かれていた。


「眼の方はまだ包帯取れないのか」


 カジの声と視線に反応して頭に両手を持っていくアノ。その隣でアノと同じ木片に腰を下ろしている僕が答えた。


「いや、傷跡は残ってますけど包帯はもう要らないらしいです。


 ただ外そうとすると本人が嫌がるらしくて」


「へえ。


 妙なものを気に入ったもんだ。

 トレードマークみたいに思ってんのかもな」


 アノは足元をうろつく小さなカニを興味深そうに見ている。まあ包帯を取ったところで傷跡かそれを隠す眼帯を周囲に晒すことになる。どうせ同じに目立つのなら本人の気に入っているようにさせるのが良いに決まっていた。


「シャワー浴びる時は外してるようですし。


 病院の看護師さんも『診察時に外してくれれば問題はない』って

 言ってましたからね」


 言語によるコミュニケーションはまだ出来ない。こちらの呼びかけに対する反応や、アノ自身が周囲に対して何か働きかける際の意志の強弱については波がある。他方、食事や排泄、風呂、歯磨き、衣服の着脱なんていう身の回りの用は一人でやれる。それがアノの現状だった。


 しばらくして、茶色いつつみを持ったリーンとチタンが帰ってきた。チタンは手頃な石を見つけてきてそれに腰掛ける。リーンは僕とアノの間に割り込んできた。アノが少し顔をしかめつつ右端へ寄った。僕はそんな彼の表情を見つつちょっと笑いながら彼女に抗議した。


「狭いんだよっ。ったく。

 アノが迷惑そうにしてんだろーが」


 彼女の持つ紙袋越しに、香ばしい匂いが僅かに漂ってくる。


「あっ、何よ。

 折角人が買ってきてあげたサンドイッチ要らないって言うのね。


 アノ君、勿体ないから二人で食べよう」


 そう言ってリーンは隣のアノに同意を求めた。勿論アノは頷きもせず、ただにこにことリーンを見返している。


「ああぁぁ……。

 悪かったよ。


 わざわざ遠いところを買ってきて頂き

 どうも有難うございましたっ」


 飢えに負けたんだよ。リーンに負けたんじゃないんだ。

 『分かればよろしい』と言ってリーンは卵サンドを僕にくれた。靴みたいな形をしたパンだ。しかもまだ温かい。焼き立てらしい。

 シオル行きの船が出るにはまだ時間がある。風はやや冷たかったけれど数千キロ北にあるメイア程ではない。凪いだ冬の海を見ながら潮の香りと共に食べるそれは中々悪くない味だった。

 チタンがハムサンドを食べつつ、アノをちらっと見て言った。


「しかしアノの旦那も良かったですね。

 病院出てから体の調子も良いみたいで」


 リーンがアノの太腿に落ちたレタスの小さな切れ端を拾ってやる。彼女はそれを自分の口へ持っていきつつ『ちょっと不思議なのよね』と返した。


「シルクスにいた時は

 これといった変化はなかったんだけど……。


 むしろそれが小康状態なんだと思ってたくらい。


 外に出たのが良い刺激になったのかしら」


 みんなから注目されている事を気にめず、アノはゆっくりと厚ぼったいパンを頬張っていった。その穏やかな仕草、表情は、前線にいた時の彼を何となく思い起こさせる。

 まあ良いじゃないか、何だって。このまま何事もなく快方へ向かってくれれば言うことはない。単に戦場で負った心の傷が原因で異常を来してしまっただけであり、それも今はこうして治りつつある。そういう話で済むのならそれが一番だろう。


 リーンの推測にカジが悪乗りする。


「そしたら今度は酒場にでも連れてってみるか。


 アルコールが入りゃあ何か変わるかもしれねーな。

 ガハハハハ」


 カジの言葉にリーンはポンと手を打った。


「あ、そう言えば」


「おいおい。

 医者の先生も勧めてたとか言うんじゃねーだろな」


「おばさんから

 『あんまりおじさんに酒を飲ませないように』って

 言付ことづかってるんだった。


 そろそろ健康に気を遣う年だものね」


 決まり悪そうにするカジをチタンが笑った。


「藪蛇でしたね、旦那」


「けっ。

 手前てめえの体のことは手前てめえ

 一番分かってんだよってな。


 余計な気ィ回しやがってよ」


 卵サンドとポテトサンドを食べ終わった僕は両手を軽くはたいた。

 何だかその場の雰囲気は、行方不明の子供達を追っている最中だとは思えないぐらい和やかになってしまっていた。もしかしたらアノが身にまとっていた空気が僕等の間に浸透していったのかもしれない。


 腹が膨れてきたせいだろうか。僕は大きな欠伸あくびを一つした。流木の端から落ちないようにリーンの横にぴったりと座っているのだが、いつしかその窮屈さも気にならなくなっている。

 カジが伸びをしながら立ち上がった。


「さあて。

 腹ごなしも兼ねて町の聞き込みをちょっとしてくらあ。


 お前等はアノのこと見ててやれ。

 船の時間に合わせて戻ってくるからよ。


 おい、チタン」


 アノはまだゆっくりとその食事をしている最中だった。

 チタンが間を置かずに返事をし、次いで僕等に頭を下げた。


「へい。


 ……それじゃまた後ほど」


 カジはもう町の方へと歩き出している。チタンも小走りにカジを追いかけていった。カジと好対照をなす彼の小さな後ろ姿には、リーンが持ってきたあの白布の細長い包みが背負せおわれていた。彼女はここに至るまでの間、自分は『アノの荷物があるから』と言い訳してその片手剣をチタンに預けていた。僕だってアノの着替えの入った袋を二つ持ってやっていたんだ。それでもやはり女の子に武器は重過ぎたのだろうか。

 僕はちょっと横目にリーンを見た。口に出せば喧嘩になるので心の中で呟く。

 

『その身を守る武器なんだから、自分で持ってろよな……』


 波の音が揺りかごのように、一定のリズムを刻む。寄せては返し、また……寄せては返し。僕はそんな穏やかな海を見つつ言った。


「留守番かー……」


 リーンも隣で呟く。


「そうね……」


 そしてまた無茶なことを言ってきた。


「……なにか、楽しい話でも聞かせてよ」


「……。


 過去が思い出せない僕に

 楽しい話なんか出来るもんか。


 リーンこそ何かないのかよ」


「私?」


「ああ、そうだ。


 この三人にまつわるエピソードでも話してくれよ。

 まだ一杯あるんだろ」


「エピソードか。

 ……エピソードねえ」


 リーンは少し考えてから言った。


「……ああ、あれなんか良いかな。

 ……オホン。

 じゃあえーと」


 僕が遅れて条件を付け加える。


「ああ……、

 僕が泣いたとか逃げたとかいうオチの話はダメだから」


「違うわよ、もう。


 黙って聞く」


「……はい」


 隣にいるリーンの温もりが僕を安心させた。

 食べ終わったアノもまた海を眺め始める。


「……あれは小学校五年生、

 二学期も終わりに近い今ぐらいの季節、日曜日だったわ。


 宿題が出ていたのよ」


「……宿題?」


 いつまでもそこにいたくなるような心地良さだった。


「算数の計算問題が山のようにね。


 私とアノ君が、その答えを教えてもらおうとして

 ミサスのうちに行ったの」


 多分三人は同じ海を見ていたと思う。


「……へえ。

 僕……教える側だったのか」


「あんたの成績は理不尽の一言だったわ。


 しょっちゅう私等やスス君達と遊んでたのに

 卒業するまでずーっとクラスの一番上にいたんだから。


 ううん、それだけじゃない。


 隣町の子達と喧嘩するときに作戦立てたり、

 キャンプに必要な物を買い揃えるときや

 スケジュールを組むとき。


 頭使うような事はぜーんぶ。

 スス君、あんたに任せっきりにしてたわ。


 そしてみんなもそれを当たり前にしてた」


「……へえ」


 リーンの声を聴いている、僕の鼓動が静かになっていく。温かい。


「とにかく

 私とアノ君は自分の終わってなかった部分を

 あんたの宿題から必死に写したのよ。


 夜も十時を回ってたわ。

 あと少し、もう少しだ、って一生懸命にね」


「……うん」


 僕はそれを耳にする為の駄賃であるかのように返事をしていた。 

 話の中身は多分何でも良かった。

 

「ところがね。

 ようやくそれらをすべて終えて

 ジュースを飲みながらほっと一息ついてたら


 アノ君が、音楽の課題で使うハーモニカを

 学校に置きっ放しにしていた事を思い出したのよ」


 ハーモニカ。そうだシダクで……。 

 けれど。何だろ……。


「算数の宿題ですっかり忘れてたみたい。

 発表は翌日に迫ってた。


 演奏は名前順だったから

 私とミサスには、アノ君と違って一週間猶予があったの。

 つまり二人のハーモニカも学校の机の中」


「……ぅん」


 海岸線が……少し、斜めに傾き出した。

 僕はリーンの方へ少しづつ寄りかかっていったようだ。彼女はそれを気にする風もなく話を続けていた。


よるも遅かったから、

 他の友達の家へ借りに行く訳にもいかなくてさ。


 そりゃ、焦ったわ。

 音楽はとっ……も怖いおばさんの先生だったし」


 僕はずれ落ちるようにして、遂にリーンの左肩に頭を預けたらしい。けれど彼女はそれでも言葉をめなかった。


「どうするどうす……って私とアノ君が慌ててさ。


 そしたらミサスが立ち上がって言っ……の。

 『学校へ取りに行くぞ』って」


 彼女の言葉が途切れていく。

 僕は何となく知った。 

 記憶喪失の自分がどうしてリーンの家のベッドで目覚めたのか。


 ただ、眠りたかったのだ。彼女の隣で。


 他のどこでもない、『ここ』で。


「外は当然……う真っ暗だった。

 自転車にミサスがまたがって……の後ろにアノ君が乗ってさ。

 ピューって走り去っていっ……の」


 楽しそうに話す彼女の声が遠のいていく。明るい声。いつも隣で聞いていた声。一番近くにいた声。

 

 アノ。

 言っていたよな、お前。『いつか行こう』って。

 分かると良いんだけどな、今いるここが、その場所なんだけどな。


「あの時のあんたはちょ……と…………良かっ……んだけど…………

 私は……時の…………に…………から…………」


 彼女の声をその場に残して、僕の思いは再び時を越えた。


 *   *   *


 前に感じた違和感はまた少し大きくなっていたようだった。


 顔に冷たい夜風がぶつかってくる。すぐ両脇の闇が僕をけて勢いよく後ろへ流れていく。気付けば闇夜を切り裂くようにその自転車を漕いでいた。ペダルの重さと両肩の感触から後ろに誰かが乗っているのが分かる。


 風の中へ消え入りそうな、心細げな声が後ろから飛んできた。アノだ。


「良いのかな……」


 『ミサス』がその問いに答えることなく、ペダルを踏む足に力を込める。


「少し急ぐぞ」


 声と共に自転車のスピードが上がる。


 彼方から微かに聞こえてくる潮騒がそこがどこであるかを教えていた。


 どうやら『夢』は、待っていたらしい。 


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