第五十話 歯車 壱 ―― 迷霧 ――
午後九時過ぎ。町の会館には三十人近い大人達が集まっていた。室内にはストーブが用意され、長机にはリーンとおばさんが煎れた熱い紅茶が配られている。
キル達がいなくなってからもう六時間が経過しようとしていた。僕はあの後すぐに孤児院、リーン、カジの家を周り応援を求めた。その捜索の輪は日が落ち始めた頃には付近の住民にまで広がっていった。そして今一同に会し、各自が結果報告をしたというわけだ。
だが成果はなしのつぶてだった。皆クリスとキルのことはよく知っている。孤児といってもこの狭い町では皆が彼等を可愛がっていた。顔を知らぬ者はいない。更にいえば住民の中に今回のトラブルに関わっている人間がいるとは誰も考えていなかった。
それぞれが途方に暮れていた中、部屋の後ろの扉が勢い良く開いた。皆が振り返った先に立っていたのは埠頭の方を見にいっていた若者だった。彼はそこから全員に聞こえるような大声で報告した。
「ダメだ。
ここまで暗くなっちゃ船のライトじゃとても間に合わねえよ。
今も何人か続けてくれてるが
本格的にやるのは日が昇ってからじゃないと……」
その報告に一同がっくりと肩を落とす。町長が大声で彼を叱咤した。
「バカ者ッ!
それでもお前等メイアの船乗りか!
海の男なら
弱音吐く前に手掛かりの一つでも見つけてこいっ!」
彼は激励に顔を上げ、力強く頷くと部屋を出ていった。
再び沈黙が流れる中、カジが立ち上がって言った。
「もう一度町の西側から当たってみようじゃねえか。
この時間なら仕事から帰ってきた連中も捉まる筈だ。
そのピエロ達の行方も含めて
何か新しい事が分かるかもしれねえ。
迷惑かけてすまねえが、みんなもう一頑張り頼むよ」
彼の指示に疲れた顔の大人達は立ち上がった。それぞれに励まし合い、声を掛け合い、凍てつく風が吹き付ける町へと繰り出していった。
人気の去った室内に残ったのは町長、僕、リーン、カジ、チタン、おばさんだけだ。おばあちゃんは孤児院で他の子達の面倒を見てくれている。
椅子に座り俯いたままの僕の頭をカジがぽんと叩いた。その僕はというと、先程から誰の声も耳に入っていなかった。
どうして、握っていたクリスの小さな手をあっさり離した。あの時にキルと三人で戻るべきだったのだ。僕も一緒だったら今頃彼等は孤児院で他の子供達と一緒に晩御飯の片付けを手伝っていた筈だ。毎日ずっとそうしてきた夜を、今日も迎えていた筈だ。
いや、それだけじゃない。クリスを追いかける時だってキルを一緒に連れていけば良かったんじゃないのか。そうすれば最悪キルだけでも……。浅はか過ぎだ、いちいち思慮に欠ける。落とし穴をこっちから探して足を突っ込みながら歩いているようなもんだ。
チタンが誰にともなく言った。
「どっちなら良いってわけでもないですが
事故より事件の線で追うべきかもしれやせんね。
ミサスの旦那達がいた場所から市場付近の十字路までの間に
子供が落ちるような堀は無い。
埠頭からだって大分離れてます。
最短ルートで現場から離れていかない限り
人目を避けるのは不可能だ。
ましてやキルの坊ちゃんまで
タイミングをずらしていなくなったってのが不自然すぎる」
チタンのもっともな指摘におばさんは首を傾げた。
「けど……。
『知らない人にはついてっちゃいけない』って
口酸っぱくして言ってきたんだがねえ。
キルはともかく、
クリスは私の言いつけだけは絶対守る子だよ。
お菓子や玩具なんかで
釣られる筈もないと思うんだけどねえ」
……駄目だ。悩んでいても始まらない。
僕は紅茶を一口すすって立ち上がった。カジが合わせたように言う。
「ともかく、俺とチタンと小僧はもう一度町を当たるぞ。
町長さん達はここで連絡を待ってくれ。
今夜何も分からなかったときは
捜索範囲をシルクスやブレアールまで広げるしかねえだろ。
あっちにゃ警察もいる。
力になってくれる筈だ」
僕等はカジを先頭に会館を出た。夜風が身に沁みる。僕達は頷き合うと、町の各所へ散っていった。
星さえ夜空を照らしていたその日、僕等は遂に何の手掛かりも得られなかった。
* * *
翌晩。
僕、カジ、チタンの三人はブレアールに来ていた。あれから足跡一つ見つかっておらず、犯行声明らしきものも全くない。ちなみに三人とも昨日は一睡もしていない。
メイアの埠頭で何も情報が得られなかったこと。苦し紛れに解釈すれば、それが唯一の手掛かりといえなくもなかった。つまり彼等は船に乗って町を出たわけではないのだ。
その考えに基づきメイアの大人達はこことシルクスへと手分けしつつ足を伸ばしていた。この町とシルクスの警察は既に動いてくれている。今朝の段階で人を遣わしてあったのだ。
僕等は再び分かれ、受け持ちとなった町の北西部で聞き込みを再開していた。
当然だがブレアールの町に僕の知り合いはいないに等しい。そういう訳で家々を訪ね歩きながらも最終的はある一軒の宿を目指していた。以前、初めてこの町に来た時に泊めてもらったあの宿だ。あの髭のおじさんなら商売柄なにか情報を持っているかもしれない。
僕はうろ覚えに通りを歩きつつ、どうにか目的の建物へと辿り着いた。白い二階建ての安宿。軒先にはブロンズ製の飾り看板が掛かっている。ベッドとワインの絵柄はいかにもおじさんらしい組み合わせだった。僕は扉の右上に付いたドアーベルを鳴らしながら中へと入っていった。
入口からすぐのところにある狭いカウンターにはあのおじさんが頬杖を突いて暇そうにしていた。あまり流行ってはいないらしい。彼は僕の顔を覚えていてくれたらしく、『おっ』と言って笑顔を見せた。
「君、この前の。
あれから体は良いの?」
懐かしがる彼に僕は以前の礼を述べ、ここに来た経緯を話した。いなくなった内の一人がこの宿にも泊まったキルだと知って彼は気の毒そうに顔をしかめてくれた。しかし目ぼしい情報は得られなかった。昨日今日と町中でキルやピエロ達を見かけた覚えはないらしい。
子供達はブレアールには来ていないのだろうか。そうするとシルクスなのか。僕は彼に『御邪魔しました』と言い、出口へと向かった。泊まっていくわけにもいかない。
扉のノブに手を出そうとした僕は、不意に外側から開けられてきたそれにぶつかりそうになった。慌てて身を躱す。
外の冷たい風と共に入ってきたのは何とエイダだった。彼女の顔を見た瞬間、僕の心の中に目にしてはならない微かな光が差し込んだ気がした。
そうだ。キル達のことでそれどころではなかったが、明日は西大陸への出港の日だった。彼女もしくは彼女達、は前日からこっちへ来ていたのか。
事情を何も知らない彼女は『おかえり』と言ったおじさんに軽く会釈した後、意外そうに僕を見た。やはりそれなりに驚いている。
「何だ、お前ももうにこっちへ来てたのか。
気が早いヤツだな」
心に差し込んだそれに戸惑いつつも僕はここへ来た経緯を話して聞かせた。彼女は昨晩をこの安宿で過ごし、今夜にはここを出て船の上へ移るらしい。西大陸へ向かう船はもう埠頭に着いているのだ。出港は明朝午前九時。
僕はその光を早く忘れたくて、急ぎ彼女に事情を話した。子供達が行方不明になってしまったこと、それが僕自身のミスを原因としていること、だから。
だから……。
僕はそこまで説明して、下を向いた。
そして自分に呟く。……何してんだ、早く先を言え。
ややあって顔を上げ、僕は彼女に言った。
「そういう訳で……今回は、ちょっと行けないんだ」
「……そうか。
厄介な事になってたんだな。
次の大陸行きの便は……いつだったかな」
すっかり顔馴染となった彼女は以前あった角が大分取れている感じだった。グレーのパンツの後ろポケットからメモ帳を取り出し、めくり見る。宿のおじさんとは知れた仲らしい。話が聞こえている筈なのに彼はカウンターの方で新聞を広げ出していた。彼女は少し表情を曇らせて言った。
「ああ……。
次はちょっと空くな。
二月の頭だ。
何なら、ここの主人に
連絡を入れてくれれば
俺達の方からも予定を伝えられるが……」
……泣きっ面に蜂、とは良くいったものだ。僕は静かに俯き、小さく『分かった』と言った。気の毒そうに見る彼女と目を合わさずに宿を出る。ドアーベルが寂しく鳴った。
今は落ち込んでいる場合じゃない。一刻も早く自身のミスを挽回すべきだ。誰のせいで子供達が行方不明になったと思っている。他ならぬ僕のせいじゃないか。そうやって自身に改めて理解させ、僕は聞き込みに戻った。
筈だったのに。
夜が白み始めた頃。
連夜の歩き通しでパンパンに張った足を引きづりつつ、気が付けば埠頭に来ていた。夜風が吹き込む路地を一晩中這いずり回ったせいで体は冷え切っている。おまけに空腹、喉も乾き切っていた。いくら歩いても、いくら尋ねても、何も分からなかった。
朝もやの中に停泊する数隻の船。エイダ達のそれはすぐに分かった。あんなオンボロ船、そうそう見かけない。
乳白色の薄いもやが頭の中にまで入ってきている気がする。徹夜明けのせいだろうか。意識が、はっきりしない。意志が、揺らぐ。ただ確かに感じられるのは、時間と共に増していく自責の念だけ。
エイダに会ったあの瞬間、心に差し込んだ光。それは西大陸へと通ずる扉から漏れ差した光だった。その扉の先には仲間がいる筈だった。彼等はきっとまだ戦っている。二月まで待っていられない。しかも偶然が味方してくれた。すっかり失念していたにも関わらず今僕は目的の帆船の前に立っているじゃないか。後はどうすべきか……僕は気付いている。
僕の気配に気付いたのか既に船へ上がっていたエイダが顔を覗かせた。彼女は船を見上げる僕にあの不愛想な声で言ってきた。
「行くのか?」
僕は何かに憑かれたような目で彼女の顔を見、イエスともノーとも答えずに船と埠頭を繋ぐ架け板に片足を乗せた。差し込んでくる光で他のものは目に入らない。手を振っていたキルの顔も、走り出していったクリスの小さな背中も、白い光の中へと吸い込まれていった。
僕は板を軋ませつつ一歩、また一歩と上っていく。エイダはもう何も言わない。黙って僕を見下ろしているだけだ。
行け。一歩……もう、一歩。仲間の為に、登れ。さあ……。
そうやって板の真ん中辺まで来た時だ。ふと足元を見た僕の視界に、船と埠頭の間から覗く濃い青がすっと飛び込んできた。冷たいとさえ思えるようなその青に、思わずはっとする。気が付けば、二の足は止まっていた。
同時にどこからともなくおばさんの声が聞こえてくる。
『みんなアンタのこと、待ってたんだ』
市場で見たリーンの茶色い真っ直ぐな瞳が、助けを求めに行った時のカジやチタンの顔が、終いには会館に集まってくれたメイアの人達の顔までもが僕の脳裏に浮かんでくる。サッカーをしている孤児院の子供達の楽しげな姿が、転んだクリスに慌てて駆け寄るジャンとキルが……思い出されてくる。
僕は揺れる心に言い聞かせた。
埠頭へ戻れ。……戻るんだよ。裏切る気か。みんなを裏切る気か。
僕は思い止まって踵を返した。が、まだ歩き出せない。
『希望』とは名ばかりの、自身の過ちから逃げる為の扉。分かっている筈なのに、しがみ付いた手は容易にそれを離さない。
すると、こちらに向かって埠頭から一つの足音が近付いてきた。僕と同じかそれ以上に気怠そうな、重たい体を引きずるようにして、彼は架け板の傍までやってくる。そして僕のすぐ前、埠頭の端で止まった。自身の足元を見つめ固まったままの僕に向かい声を掛けたのは、カジだった。
「おい、そこの弱虫口だけ男」
メイアに帰ってきた日にリーンが僕に投げ付けた言葉だ。そうだ。このまま船に乗ったら言葉通りのそれに成り下がる。僕は泣きそうになるのを必死に堪えてゆっくり顔を上げ、カジを見た。腕組みした彼はにぃっと笑ってみせる。その二つの大きな目が真正面から僕を見て、言っていた。
『違うよな』
僕はくしゃくしゃになった顔を何とか笑顔にして、カジに返した。そして架け板から埠頭へと戻った。
あるべき場所へ。行くべき道の上に。
きっとあの時のカジは子供達のことだけを考えていたんだと思う。というかそうする以外出来なかっただろう。
僕等はエイダ達を見送る間も惜しみ足を棒にしてメイアへと帰り着いた。
そこにはシルクスへ行っていた連中から新たな手掛かりがもたらされていた。即ち、手品師風の女と道化師の男が子供二人を連れ南へと向かった、という情報である。
お陰様で、この作品も50話を迎えることが出来ました。
ここまで読んで下さった皆様、本当に有難うございます。
読み応えのある作品となるよう、頑張っていきますので
今後ともよろしくお願い致します。(ゆいぐ 2014.08.06)




