第四九話 歯車 序 ―― 逸失 ――
適当な用語解説
・ジャンプスーツ:上下一繋ぎのスーツ。落下傘降下部隊の服らしい。
・ルッコラ:葉野菜、ハーブ。ゴマ風味、多少の苦味辛味あり。
カジの家に招待された翌々日。
僕は孤児院の運動場で子供達とサッカーをしていた。ゴールは手製。地面に立てた二本の角材の上にロープを這わせただけだ。エリアを示すラインすら引かれていない。ボールは革製の茶色いもの。これも空気が足りないのか、あまりバウンドしない。人数は子供達八人にキーパーの僕とリーンで計十人。
だがそんな欠陥を気にすることもなく子供達は夢中になってボールに群がっていた。チームプレーもへったくれもあったもんじゃない。各人、チームの勝利よりも自身が少しでも長くボールに触っていたい、そんな感じだった。
まだ始まってから三十分も経っていなかったと思う。おばさんがゴール前で退屈していた僕の傍に寄ってきた。今は僕のチームがリーン達より一点リードしている。運動神経の良いキルとティムがこっちでは勝敗は決まっていたようなものだ。
彼女は微笑みながら子供達を眺めた。しばらくして、残念そうに言った。
「みんなアンタのこと、待ってたんだ」
非難めいた口振りではなかった。僕は口を結んだまま、向こうのゴールの方をじっと見る。
クリスが運悪く仲間に挟まれ、バランスを崩して転んだ。子供達の動きが止まり、リーンが駆けつける。……どうにか起き上がるクリスにキルとジャンが謝っている。大丈夫なようだ。
ほっとため息をついた後、おばさんは言い足した。
「……あの子達を悲しませるようなこと、するんじゃないよ」
チクリと胸が痛む。
カジがいれば『ここにもお前を気遣ってくれる人や、小さな友達がいる。それを忘れんな』とでも説教しただろうか。分かっているさ。別にどうでも良いと思っていたわけじゃない。僕はそう自分に言い聞かせた。
僕は少し間を置いて、『心に留めておきます』と答えた。おばさんもある程度はカジやリーンから事情を聞いているのだろうか。
子供達の笑顔を目に焼き付けつつも、『約束します』とだけはどうしても言えなかった。
おばさんは去り際、まだ暗い目をしている僕を元気付けるように、明日にでもアノを見舞ってくるよう言った。『しばらく会えなくなるんだから』、その言葉を僕は当然に勘違いして受け取った。
その日の午後。
僕、リーン、クリス、キルの四人は孤児院で使う食材を買いに市場の方へと来ていた。といっても途中の十字路で人だかりを見つけた僕等は、リーンの野次馬根性に引っ張られてその人混みの最前列へとしゃしゃり出てきていた。
何てことはない。大道芸というやつだ。奇抜な格好をしたピエロと長い黒髪の女性のコンビが観客を賑わせていた。ピエロの方は顔を真っ白に塗りたくって、左眼に星模様、おまけに丸い赤鼻を付けていたので男か女かも分からない。ライトブルーとホワイトのジャンプスーツ。頭の帽子は二股に裂けて各先端に黄色のぼんぼんが付いている。女性の方は三十前後といったところだろうか。こちらは黒のシルクハットに赤と黒のワンピース、短いスカートに茶色いブーツと中々スマートに着こなしていた。
どういう仕掛けになってるのかは分からない。彼女の長い指先に挟まれた綺麗なビー玉が隣のピエロが指を鳴らす度に一つづつ、小さな煙を吹いて消えていった。そうして全てのビー玉が消えた後、ピエロはとりわけ盛大にパンッ、と手を合わせた。
少し芝居がかった高い声で語りかけてくる。男だ。
「さあァさあ、お立ち会いだ。
青や赤の綺麗な宝石達はどこへ消えたでしょう、か!」
にっこりと笑った顔は少し不気味だった。
分かるわけがないという空気の中、観客は女性とピエロに注目する。ややあってピエロが観客に向かい自身のポケットの裾を外へと引っ張り出してみせた。
と、想定外だったのか塵一つ出てこない。大袈裟に困ったというジェスチャーをしつつピエロは観客達を見回した。
するとしばらくして、前の方に陣取っていた観客の間から『おっ』だの『あれっ』だのと言った声が上がり出す。僕の右手を握っていたクリスも自分の右ポケットから赤いビー玉を取り出して歓声を上げた。
観衆の拍手の中、ピエロは二股の帽子を脱ぎ、ビー玉を回収していった。
どうやら手品はまだ続くらしい。僕はキルとクリスに『いつものとこで待ってるからな』と伝え、リーンの手を引っ張って人混みから抜け出した。
これから晩御飯の買い物客が市場へ殺到することは以前の経験から知っている。あまりここに長居している訳にはいかなかった。それを分かっているリーンも不満を言いつつ僕に並んで歩き出す。
残念ながら最初に入った野菜の区画はすでに人が溢れ始めていた。皆が狭い通路で立ち止まっては品物を吟味するので目的の野菜のとこへ行くだけでも一苦労だ。
ちなみに子供達とは市場の出口を待ち合わせ場所にしているので問題はなかった。あの手品が終わり次第来るだろう。
久し振りの市場には旬の野菜が並んでいた。店のおばちゃんやおじちゃんの客寄せの声が威勢良く響き渡っている。
僕はブロッコリー、キャベツ、エリンギ、それから苦手な白菜の入った茶色い紙袋を抱えつつ、野菜を選び出していくリーンの後ろをどうにか付いていった。やがて彼女の足が山と積まれたルッコラの前で止まる。幸いここは人が少ない。追い付いた僕はアノの見舞いのことを話してみた。すると彼女は『まだ言ってなかったわね』と話し始めた。その間も緑のそれを取りつつ香りを確かめている。
「アノ君。一月ばかりだけど
本国の方にあるサルバドルっていう町に行くことになったのよ」
「え?」
サルバドルというのも初めて聞く名前だが。
「レティル先生、覚えてる?」
「あ……ああ」
あのちょっと冷たい感じで無口な先生か。
「先生が強く勧めて下さったのよ。
本国になら腕の良い脳神経外科の先生がいるからって。
そこでアノ君を直接診てもらって
場合によっては手術も考えようって。
紹介状を書いて下さったの」
彼女は迷った挙句そのルッコラを戻した。
「ふうん……」
行先がデスニア本国と知って、僕は余り良い気がしなかった。明確な理由があったわけじゃない。ただあの『ロア』が治める土地へ友人を行かせることに何となく嫌悪感をもっただけだ。そもそもロアと僕の関係だってブレアール以来ろくなことが分かっていない。
「私とおばさんも迷ったんだけどね。
まあ、権威のあるお医者様に診察してもらうだけでも
何か分かるかもしれないしってことで落ち着いてね」
「そっか……」
リーンには夢の話を詳しく聞かせたわけでない。というかあまり聞きたがらなかった。せいぜい前線に僕等がいた、程度のことしか伝えていない。従って彼女はアノの症状の原因を戦争の影響ぐらいにしか考えていないだろう。仮に説明してみたところで『いい加減な事を言うな』と怒り出しさえするかもしれない。まあ確かに今の段階では何も確たる証拠はない。あくまでバニルが指摘したことに沿って推測した結果でしかない。
専門家がそう言っているなら僕もそれ以上口出しは出来ない。しかも僕は数日後にまたメイアを離れるのだ。勘と憶測だけを頼りに無責任なことは言えなかった。
リーンはようやく選び抜いた二つのルッコラを買う。
続いて隣のコーナーをさり気なく通過しようとした僕の袖を引っ張り、彼女はそのニンジン達を手に取り見定め始めた。そして説明を加える。
「本国の東部に位置してるそうよ。
その町は。
そういうわけで明後日、彼を送ってくるの」
明後日……。それは僕が再びこの大陸を発つ日だ。
「送ってくって、そのサルバドルっていう町まで?」
僕の問いに彼女は首を横に振った。
もうダメだ、彼女はしっかりと二本のニンジンを握り締めた。
「行くのはシオルまでよ。
そこから先は病院の担当の人を乗せた船が
迎えに来てくれるそうだから。
サルバドルまで付き添ってあげたかったんだけど
子供達のこともあるからそう何日も空けられないしね……。
勿論手術が決まれば
手紙で日時を知らせてもらえることになってるわ」
確かシオルというのは本国北西海岸に位置する港町だ。本国の都市の中ではアスロペンに比較的近い位置にある。アノはそこから更に別の船で新しい病院へ向かうのか。
別の用事なら僕も間違いなくアノに同行してやるのだが。エイダ達の船を逃すとまた一月近く時間を浪費することになってしまう。苦汁の決断だがアノのことはリーンに任せるしかないようだった。
買った三本のニンジンをにっこりしながら僕に渡してくるリーンに言った。
「なあ、リーン」
「うん?」
「その日、僕はメイアを発つんだ。
おま……君には悪いけど……」
彼女はふうっとため息をついて僕を見た。
「『お前』で良いわよ。
ったく、おばさんから聞いてるわよ。
納得はしてないけど。
どうせ私が止めたって行っちゃうんでしょ」
僕は遠慮がちに頷いた。彼女はそんな僕を苦笑いしながら見る。
「手に負えない、どうしようもないバカね。
死んだって治りゃしないわ、きっと。
いっその事
コンクリート詰めのドラム缶に首から下を埋めとくって手も
考えたけど……」
笑えない。
「……まあそれは勘弁してあげるわよ。
その代わり」
彼女は突然僕の襟首を掴んで、自分に引き付けた。僕は袋からこぼれ落ちそうになったたニンジンを空いている手で押さえる。やがて視線を戻すと目の前に茶色い瞳があった。やや吊り上がった目尻は彼女の勝気さに本当によく似合っている。
二秒か三秒。
彼女は無言で僕のそれを見つめた後、やがていつもの調子できつく言った。
「……生きて帰ってこないと
承知しないからね。
あと、手紙ぐらい寄越しなさい」
「あ……ああ、分かった」
それ以上やっているとカツアゲの現場だと勘違いされそうな僕達はどちらからともなく離れた。
それから僕は市場の喧騒に紛れ込ますように小さく言った。念の為、明後日の方向を見て。
……ありがとな。
…………それから、ごめん。
その後、市場の出口でいつも通りキルとクリスに合流した僕等は孤児院へ帰るべく歩き始めた。ちなみにリーンは一足先に自宅へ帰っていった。彼女の手料理を頂けるのもあと数える程だ。
夕暮れにはまだ少し時間がありそうだった。
僕は左手でパンパンに詰まった紙袋を抱え、右手でクリスの左手を握っていた。彼女は自作の詩を歌いながら握った僕の手を振るっている。そのあどけない歌声を何となく聴きつつ、前線の仲間達を見つけた後の事を考えていた。
シダクへ戻るのも良いが、いっその事みんなでメイアへ引っ越すというのはどうだろう。そうしたらリーンだって孤児院で働きながらみんなと毎日会える。アノだって直に退院してくれば一緒に過ごせる。中々良いアイデアじゃないか。あとは勝手にそれぞれが仕事でも何でも探せば良い。
……そんな僕の妄想を可愛い声が遮った。
「あっ」
クリスはポケットをゴソゴソとやっている。やがて彼女は一つの青いビー玉を取り出した。日の光を受け、それはキラキラと輝いていた。
「さっきのお姉ちゃんのビー玉、持ってきちゃった」
「……ああ」
彼女は僕の手を振りほどき止める間もなく駆け出していった。少し行って振り返り、その小さな口を一杯に開けて叫んでくる。
「返してくるぅ!」
「迷わずに行けるか!?」
僕の問いに彼女は『だーいじょーぶっ』と返事した。小さなピンク色の背中と栗色の短い髪が通りの向うに消えてゆく。まあ市場の隣の通りならクリスの足でここから五分てところだ。いつも歩いてる道だから大丈夫だろう。
僕とキルは街路樹の根元に座り込んで彼女の帰りを待つことにした。
五分待って。
また五分が過ぎた。
痺れを切らしたようにキルが立ち上がった。
「クリスの奴、遅いなあ。
ひょっとして、また新しい手品やってるのかな」
「そうだなあ」
「ちょっと様子見てくるよ」
「あ……いや。
僕が行く。
キル、お前はここで荷物見てろ」
「そう?
分かった」
何だが僕が行った方が良い気がして、通りを走り出した。
何メートルか行ったところで振り返り、こちらを見ているキルに念を押した。
「すぐ戻るから。
じっとしてろよ!」
キルは手を振る。彼の元気なつんつん頭はいつもと何ら変わらない。それを見た僕は再び駆け出した。
少し走ってすぐさっきの十字路に戻ってきた。息を少し切らしつつ辺りを見回す。人通りはすっかり絶えていた。さっきのピエロ達も観客もいない。僕は一方に向かって短く『クリス!』と叫んだ。通りには叫び声が空しく響き渡った。
胸の中心に指の太さ程の冷たい穴が開いた気がした。
叫んだのと反対の通りへ少し走っていってみる。向うからやってくる老婆にクリスとピエロの容姿を説明する。しかし情報は得られない。
僕は仕方なく市場の方へ走っていった。胸の穴は少しづつ大きくなってくる。冷たい、嫌な感情が広がっていく。
市場は逆に人が多過ぎて中へ入り込めなかった。ピエロを見たという人もいたがショーの最中だったという者ばかりだ。どうする。不安が次第に焦燥へと変わっていく。
いかん、落ち着け。僕は自分の両頬を強く張った。
二十分後。
クリスもピエロ達も見つけられなかった僕は元いた街路樹へ戻ってきていた。もしかして行き違いになったか、そう最後の望みを託して。
だが。
そこからはキルまでもが消えていた。




