第四話 路地
狭く薄暗い路地を二人の男が阻む。大通りの雑踏の音はここまで届かない。
彼等は口の端にうすら笑いを浮かべているようだった。
リーンが一歩前に出る。
「何? 何か用?」
「へへ。日曜の昼間にデートたぁ羨ましいねえ。お二人さん」
人を小馬鹿にしたような口調で喋る左の男に、右の男も大仰に頷いてみせる。
リーンの肩にかかるかどうか位の髪先が、少し震えたように見えた。
「何? 冷やかし? 用がないんだったらどきなさいよ。通れないでしょ」
リーンが更に右足を踏み出す。
が、左の男がその先を通すまいと壁側へ半歩にじり寄った。
「へっへっへ。通せんぼ」
瞬間、リーンが声を荒らげた。
「邪魔だって言ってんでしょ!」
僕に代わって上げたのかもしれない、彼女の声に反応したかのようだった。
僕は自身の感情の奥底で、嫌な、ざらりとした黒い何かが頭をもたげる音を聞いたような気がした。
「おーおー。元気が良いね、姉ちゃん。
どうします? 兄貴。金もらう前に痛い目に合わせてやりましょうか。……へっへっへ」
リーンの目の前に立つ左の男が、隣を振り向く。
「ははは。そうだよなあ。ちょっと懲らしめてやるのも――
「はあッ!? 大の男が二人して病人連れの女に絡んできて……今度は金出せですって!? 冗談はその不細工な顔だけにしてよ!」
リーンの声には必要以上の力がこもっていた。けれど伝わったのは言葉通りの意味だけだったらしい。それは『兄貴』と呼ばれた右の男のプライドには十二分に触れたようだった。
「んだと……このアマッ!」
「きゃっ」
リーンの右肩に力任せに伸ばした男の手が届く。瞬間だった。
今度は兆し等でなく、はっきりと――
自分の感情の一部がどす黒く禍々しいものと化したことを僕は感じ取った。そしてその時にはもう僕の意志が男に伝わっていたらしい。
びくっ……と動きを止めた彼は僕の眼を見てただぶるぶると震え出した。僕自身、いつの間にか右足を踏み出している。
だが左の男は凍り付いた場の空気に気付かず、はっぱをかけた。
「ひぇっひぇっひえ、兄貴。やっちまって下さい」
その間に僕はもう半歩、ゆっくりと前に出た。
目の前の『兄貴』が、押されたかのように後ずさる。
「……あっ……あわ……あ、あわ……」
僕を見るその顔が、今更になってようやく恐怖にひきつっていく。
左の男も流石に異変を感じ取った。
「……え? 兄貴?」
「……う、うわぁあああああぁッ!」
目の前の彼は何か見てはいけないものを見てしまった後のように、狭い路地を一目散に走り去っていった。
「あら、あに……き……?
まって……え? あれ?」
結局。
戸惑うもう一人も何だかよく聞き取れない捨て台詞を吐いた後、行ってしまった。
突然の成り行きについていけず、リーンがキョトンとする。
「え?……あれ。……行っちゃった」
僕は何かを誤魔化すように声を出した。
「……良かった」
リーンが僕の顔と連中が逃げていった路地の先を交互に見やる。
「何だったの、一体……」
その後、僕達は無事帰途についた。
メイアの孤児院に帰り、おばさんとおばあちゃん――おばちゃんの母親で前園長――に報告を済ませた夜、僕はいつものようにベッドに入って少しの間天井の一角を見ていた。
まだ少し胸がざわついている……。何だったのだろう、あの黒い感情は。体が何の躊躇いもなく動いていた。僕も向こうも素手だったけれど、あのままあの男があそこに立っていたら……きっと。
殺していた。