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月の刻限  作者: ゆいぐ
第二章
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第四八話 喧嘩

 急所を押さえて前のめりになった僕の後ろから『オンッ』と犬が吠えてきた。

 鼻で笑って僕を見下ろしていたリーンが『えっ』という顔でその声の方に目をやった。続いて見知らぬ名前が叫ばれる。


「リアンッ!」


 へえ、『リアン』て名前だったのか。僕を押しのけていったリーンがしゃがみ込んで犬に抱き付く。リアンは嬉しそうに彼女の頬を舐めた。気のせいだと思うけど僕と再会したときより嬉しそうに見える。いや、リーンもリアンも。


 僕は落ちてくるのを少し待って、どうにか体を起こした。同時に背負ったままになっていた荷物も床に置く。

 ややあって、彼女がリアンの首に腕を絡ませたまま振り返り、僕を睨み上げてきた。


「何で……。

 何で勝手に出ていったのよ」


 彼女の心理が働きかける対象はリアンから僕へと再び戻ってきたようだった。勿論内容は天と地程に違う。何故僕等がリアンを連れているのかという問題も今は棚上げにする気らしい。

 鼠を追い詰めていくときの猫のような顔。その暗い炎を宿した瞳には明らかにこの二ヶ月分の鬱憤がため込まれていた。僕は思わずたじろぎつつも弁解っぽく答えた。


「仲間に……。

 シダクの仲間に会いに行ったんだよ」


 瞬間、彼女の表情が凍り付いたかに見えた。そしてゆっくりと立ち上がる。


「……昔のこと、思い出したの?」 


 僕等がシダクへ行ったことよりも、僕の口から『仲間』という言葉が飛び出したことに彼女は驚いたみたいだった。明らかな動揺。僕がさっき自分から言ったじゃないか、まだ『記憶喪失』だって。


「思い出したわけじゃないさ……。

 でも、シダクにはちゃんと残ってた。


 バニル達に会うことは出来なかったけど。

 でも基地も、写真も、みんな残ってたんだ。

 僕はやっぱりシダクにいたん


「思い出さなくて良いって言ったじゃないっ!」


 彼女は突如、僕の言葉を拒否した。まるで立入禁止の看板が下がった先へ入り込もうとした子供を慌てて止める母親みたいな口振りで。

 彼女の口調は前回のときのような助言じみた生温なまぬるいものではなかった。これでは命令と何ら変わらない。

 やや呆気に取られつつも、僕は信じられない気持ちで反発した。


「何で……。

 何でそんな馬鹿げたこと言うんだよ。


 このまま知らない振りして……、

 何もなかったような顔して暮らしていけるわけないだろ!!」


 最後は声高に叫んでいた。

 玄関で上がり始めたこの騒ぎ声に、何事かと子供達が隣の部屋から出てくる。キル、コルン、クリス。後ろにはおばさんもいた。けれどリーンと僕のあまりの剣幕に誰もすぐに口を出せない。

 その張り詰めた空気に更に輪をかけるよう、リーンはとんでもない暴言を吐いた。


「……いけるわよ!


 私やアノ君がいる……。

 ここの子供達だって貴方を必要としてる。


 それで良いじゃない!


 孤児院でみんなの面倒見て

 たまにおじさんやチタン、おばさんなんかと

 飲みに行ったりして……。


 そうやって……。

 そんな風にして毎日過ごしてけば良いじゃない!


 そんな過ぎ去ったことなんて……」


 そこで口を閉じた彼女は、一瞬僕から目を逸らしたように見えた。でも気のせいに決まっている。でなきゃ次の台詞を僕にぶつけられる筈なかった。彼女は言い切ったんだ。


「どうだって良いのよっ!!」


 ってね……。


 あたかも中身を知っているかのような、そんな口振りだった。少しして湧き上がってきた大きな怒りを堪えつつも、僕は信じられない思いで聞いた。


「……何か。

 何か知ってるのか」


「知らないわよ! これっぽっちもね!


 あんたの過去なんて。

 どうせろくでもないモンに決まってるじゃない!

 そんなの追いかけるのは……ただの感傷だって言ってんのよ!」


 視界の端に捉えた気がした小さな取っ掛かりをあっという間に見失った。

 もうダメだ。我慢ならない。言うに事欠いて何を……!

 僕は肩を震わせてリーンを睨み返した。


「感傷だと……。


 シダクが大変な時にいなかった癖に。


 空襲の前に自分だけ故郷を捨てた癖にっ」


 瞬間、リーンの顔が怒りと悲しみに満ち溢れた。

 ……ただその表情の奥にどんな思いがあったのかなんて、分かる筈もない。

 構うことなく僕は両手を広げて言葉を続ける。


「今だってなあ、たった今だって西大陸じゃ


 バチンッ!!


 張られたというより、殴られたと言いたくなるような衝撃だった。僕は自分の言葉が止まったのに気付いてから左頬の痛みを自覚し始めた。

 一方で、彼女はそれまでの威勢を失いかけているかに見えた。そして、いつまでたっても聞き分けない子供を諭すように、涙をためた目で言ったんだ。


「ミサス……お願いだから、言うこと聞いてよ」


 けれど僕の腹の虫はそんな生易しい言葉で静まったりしない。もう自分でも止められなかった。


「……余計なお世話だ。

 そもそも何様のつもりだよ。


 お前なんかに指図される筋合いないんだッ!」


 これは、というかこれもまずかった。折角リーンが熱を失いかけていたのに。これで再燃させてしまったらしい。

 ……もう後はひっちゃかめっちゃかだ。乱闘だ、大乱闘。


「あんたに『お前』なんて呼ばれる筋合いこそないって

 いつも言ってるでしょっ!!」


「うるさい!

 お前お前お前お前!

 ついでにこの暴力女!」


「言ったわね……!

 この弱虫口だけ男っ!!」


 それが十八じゅうはっの若者のすることか、という振る舞いだった。しかも子供達を前にして。互いの髪の毛や頬を掴んで引っ張り出した僕とリーンの間にどうにか割って入ったカジが二人を力づくで引き剥がす。そして、互いを掴みつつも僕等がひとまず距離を置いたのを見届けてから、彼はぼそっと言った。


「……ったくよ。

 今のお前等見てんと

 ただの昔馴染みにしか映らねえよ」


 カジに掛けられた言葉にリーンは狐につままれたような顔をした。僕の頬をつねっていた右手が力なく垂れる。ムキになってやり合っていた最中さなかに堪えていた涙が頬を流れ落ちていった。色を失っていた彼女はその温かさに気付いたらしい。慌ててそれを手の甲で拭う。それからまた先程とは異なる感情がその表情を覆っていった。


 腹立たしさ、悲しさ、切なさ。どれも当てはまっていたし、またどれも核心を突いていなかったように思える。


 リーンは、結局。どう見ても収まり切っていないその気持ちを両拳に秘め、僕を一瞥してから二階へ上がっていってしまった。


 まあそのすぐ後も、孤児院のみんなと一悶着あったけれど、カジの助けもあって最後にはどうにか納得してもらえた。みんなへの説明は、西大陸の故郷を見てきたこと、一週間後には再び向うへ行くこと、そこら辺までに留めておいた。余計な心配は掛けたくなかったのだ。

 『いつかまたここへ戻ってこれたら以前のように使ってもらえるか』という僕のお願いに、おばさんとおばあちゃんは快く承諾してくれた。


 そんなこんなで僕は期間限定の平穏な生活を取り戻したのだった。僕はあの喧嘩の後も、リーンがどうして母親と共にシダクを出ることになったのかを尋ねようとしたのだが。また口論になりそうな気がして何となく日々を費やしていった。


 *  *  *


 それから三日目の夜。


 僕とリーンはカジの家にお呼ばれしていた。カジが『折角帰ってこれたのだからメイアの酒で飲もう』と言うのだ。暢気のんきに飲んでいる場合かと思いもしたが、あれからリーンと気まずくなっていた僕は良いきっかけになればと彼女を誘ってみた。勿論カジの気遣いが身に沁みていたということもある。ちなみにリアンも一緒だ。


 カジの家にはチタンも来ていた。彼は相変わらず不健康そうな顔をしていたけれど、僕の帰還を心から喜んでくれていたのは間違いなかった。

 ダイニングルームのテーブル中央にはズワイガニが丸々二匹用意されていた。漁師の友人を手伝った駄賃に貰ってきたと言って、カジが出刃包丁でその背中の甲羅、足と、順に裂いていった。茹でたやつだ。オレンジ色の殻の中から、ぷりっとした白身がのぞき見えてくる。その他にもテーブルにはチーズだの野菜だのパンだのと色々並べられていた。

 カジは捌きながら言う。


「鍋にしようかとも思ったんだけどよ。

 やっぱりカニそのものを味わうなら

 こっちの方が良いと思ってな。


 さあ、じゃんじゃん食ってくれ」


 チタンが四つのグラスに白ワインを注いでいく。

 中々ない機会なので僕はリアンにもその身と頭を分けてやった。がしかし、彼は余りお気に召さなかったらしい。ちょっと匂いをかいで、ぷいっと横を向いてしまった。見ていたカジが『お前はこっちのが良いか』と言ってソーセージを与えてやった。


 最初こそリーンは不機嫌そうにしていたものの、食事が進むにつれて徐々にいつもの彼女を取り戻していった。とりあえず良かった。

 食卓での話題は西大陸での僕とカジの珍道中に始まり、次第に僕とリーンの子供の頃のエピソードへと移っていった。リーンもシダクに住んでいた頃の話をするのはやぶさかでないらしい。むしろようやく僕が話を理解出来るようになったことを喜んでいる節さえあった。


 カジがカニの足にかぶりつきながらリアンを見て言う。


「へえ。じゃあそれがこのワン公との出会いだったのか」


「そうよ。

 ミサスは『ダメだ、犬なんか仲間に入れたらこの聖域が汚れる』

 とか言っちゃってさ。

 本当は怖かっただけなのに。


 でもアノ君が可哀想だからって言って。

 基地に置いてあげることになったのよ」


 カジが僕を見て憐れむように言う。


「お前……、

 子供の頃からあんまし成長してなかったんだなあ」


「しみじみ言わないで下さいよ!


 ってか、カジさんにだけは言われたくないですよ」


 どうやらリアンは僕、アノ、リーンの三人が近所から貰い受けてきた犬らしい。小学校四年の時の話だから今から十年近く前ということになる。


「そういうわけで、

 受け取ってきた私とアノ君の名前から

 『リアン』って命名したの」


「ん? ちょっと待ってくれよ。

 僕の名前は?


 『リ』と『ン』ってリーンの文字だろ。

 ってかリーン・レメアって……、

 全部リーンの文字から取ったようなもんじゃないか。」


「アノ君のルーインの『ン』だって入ってるわよ。


 それにあんた、この子のこと毛嫌いしてたじゃない」


 リーンの解説にカジがリアンを見て笑う。


「ハッハッハ。

 良かったなあ、変な文字が入らなくてよ」


 カジにソーセージを放られたリアンは元気良く返事した。

 ……お前、絶対意味分かってないだろ。

 続いてチタンがリアンを感心する眼差しで見つめた。


「いやあ、しかし五年近くも主人の帰りを待っていたなんて

 忠義深いワンちゃんだ。

 

 人情ってヤツをちゃんと分かってる。

 アタシもその爪の垢を煎じて飲ませてもらいたいとこですよ」


「でしょ。やっぱり名前が良かったのね」


 僕は疑り深い目をリアンに向け、彼にソーセージの切れ端を近づけた。


「単に地元の子供達に餌もらえるから

 居付いていただけだよな。

 これが欲しかったらそうだって言え。

 な……おい」


 リアンはつーんとして見向きもしない。もうお腹一杯になってしまったのかな。言うこと聞けよ、おい。

 と、旅の詳しい経路を知ったリーンが再び僕に絡んできた。


「ていうか何よ。

 二ヶ月も空けてたと思ったらシダクに滞在してたの数日だったのね。


 しかもあんた、おじさんがいなかったら北の小島で

 今頃魚の餌になってたんじゃないのよ」


 僕はワイングラスに顔を沈めるようにして横目で言った。


「相手が何人いたと思ってるんだよ。

 生きて帰ってきたことを喜べってんだ」


 またしても火花が散り始めた僕とリーンの間にカジがたまらず割って入る。


「だあ、お前等は。そこら辺にしとけって」


 困ったもんだよ、本当に。


 結局僕等は二時間程カジの家で御馳走になり、そこを引き揚げた。


 その帰り道、リアンに引っ張られ気味な僕の隣でリーンがぽつりと言った。


「本当におじさんがいてくれて良かった」


「ああ……まあな」


 渋々と僕は肯定した。口惜しいけれど、確かにカジのお蔭で西大陸まで行ってくることが出来たようなものだ。まあそのせいで僕の意に反して帰ってくる羽目になってしまったが。今だってそのカジの判断が正しかったとは思ってはいない。けれどこうして帰ってきてリーンと真正面から喧嘩出来たのは意味があったのかもしれない。

 カジ程、義理人情に拘るつもりはないが、そんな僕だからこそ彼と共にいると見過ごしているものに気付かされるときがある。


 ただ後日、リーンがカジとチタンと会っていたことなんて当然僕は知る由もなかった。


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