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月の刻限  作者: ゆいぐ
第二章
48/76

第四七話 帰宅

・適当用語解説

 藍錆あいさび:藍色のもっと暗い感じの色

 カジに殴られて意識を失った僕が目を覚ましたのはその翌朝だった。当然にもう船の上だ。航路はメイアを目的地としている。


 沖から既に数百キロ離れてしまった甲板の上で、今更ながら僕はカジに食ってかかっていた。対する彼はあくまで落ち着いていた。その大きな顔と体は年代ものの銅像の如く押しても引いても眉一つ動きそうにない。

 後から思い返してみればそれはどこか間の抜けた絵であったし、そんな二人を退屈そうに眺めやるボーダーコリーがその構図の完成に一役買っていたことも間違いなかった。


 しかしそうであったにせよ、この時の僕のやり場のない怒りはどうしようもなかった。一晩経ったというのにまだ痛む後頭部には濡れタオルを巻いている。この馬鹿力め……。


「どうして……どうしてなんだ。

 カジさんだって聞いたでしょ。


 あのままベルラッドへ行って、そこから前線へ向かえば

 ライン湾から逃げ帰ってきた部隊の兵士達に会えるって。


 それを……それを……」


 カジは左手を手摺りに置き、僕の方を見た。眉間にやや皴を寄せつつ目を細める彼の表情には憐れみのようなものが浮かんでいた。


「俺は無責任にもよ。

 勝手に少し期待してたんだ。


 もしかしたらシダクにはお前の親父かお袋が

 まだいるんじゃないかってな。


 それに。

 仲間に会いたい、助けに行きたいって言った

 お前の気持ちだって分からねえわけじゃねえ。


 だから西大陸へ行ってみるのもアリかなって思っちまったんだよ」


「確かに僕の父も、母ももういなかった。

 

 けど……けど仲間の情報は掴めた。

 僕と彼等の繋がりだってはっきりしたじゃないですか!?」


「すこしは考えてもみたさ。

 このまま連中の行方を追うか、ってよ。

 墓地でお前の穏やかな横顔を見た時にな。


 両親の死を前にして怒りと悲しみに震えるかと思ったが

 そんなこともねえ。

 ああ、割と冷静なんだなって」


「だったら……!」


 顔を近付ける僕からカジは海へと目を逸らした。そして決めつけるように言った。


「けど、お前はそんな単純じゃなかった。


 一昨日、丘の上で待ってた時によ。

 下の方からやってくるお前の顔を見てたら

 何だかおっかなくなっちまったんだ。


 もうかなりへばってる筈なのに

 暗い坂道を、昔の荷物背負にもつしょってこの犬引っ張って……。

 全然まだやれるって顔して登ってくるお前を見てたらよ」

 

「意味が分からない。

 だって事実やれると思ってたんですから。

 その何を心配するって言うんですか」


「違う。

 ふっ、と思っちまったんだよ」


 カジは海面から船の外板へと視線を引き戻した。


「何かのきっかけで

 その執着が全て、憎悪に代わるんじゃねえかって。


 デスニアの皇子を見て記憶が無かったにも関わらず

 意識が飛んじまう程に体が反応したお前だ。


 いくら戦争の仕組みを頭で理解してたって

 その時が来たら周りの事なんざ

 どうでも良くなっちまうんじゃねえか、ってよ」


「……。

 納得出来るわけ、ない。

 そんな、不確かな憶測なんかで折角の機会を……」


 それはネムの父にも答えたじゃないか。仲間を放っておいたら結局後悔するって。そんな曖昧な仮定の話なんかを仲間の命より優先できる訳がない。大体、西大陸へ渡る前にも僕は言った。『その時』が来てしまう前に何としても仲間を見つけたいんだ、って。


 だが、カジは何かを知っているみたいに、僕がその何かを知らないとでも言いたげに、首を振ってから呟いた。


「誰も引き揚げてくれねえんだ」


「え?」


「一度堕ちちまったが最後。


 人間はそんなに利口な生きもんじゃねえ。

 片方の側が全員いなくなるまでやる羽目になっちまうんだ。


 お前がもう一度足突っ込みかけてんのはそういう場所なんだよ。

 

 それに」


 カジは自分の両手を開き、見た。微かに苦笑いを浮かべて。


「……終わってみたところで、よ……」


 彼は後の言葉を飲むと共に、その両方の拳を握った。そこには彼が見たくない何かがこびり付いているかのようだった。

 彼は僕に視線を戻し、『めんどくせえ』という感じに結論だけ言った。


「ともかく、あそこで行かせちまうのは

 我慢ならなかったんだよ」


 僕はため息をついてから手摺りに寄りかかった。

 今日は本当に波が静かだな。


「大体こんなことで僕が諦めると思ってるんですか。


 どうせメイアへ戻ったってすぐまた行動に出ますよ。


 こんなの無意味だ。

 時間の無駄でしかない」


 カジも海を見て吐き捨てた。


「おお、上等だ。

 行けいけ。

 今からでも泳いでいっちまえっ」


 またくだらない口喧嘩が始まるかと思いきや、カジはその後に付け加えた。


「……まあ、確かに。

 俺が出した答えは、ちとリーンに傾き過ぎていたかもしれねえ。

 お前の仲間を直接知ってるわけじゃねえから、そこは勘弁しとけ」


 僕の思い。カジの思い。リーンの。そしてみんなの……。

 中々狙い通りに、ことは運ばない。


 *  *  *


 十二月初旬。


 船はようやくメイアに着いた。二ヶ月振りの帰還。どんよりとしたネズミ色の雲り空と、それに負けないぐらい顔色の悪い藍錆あいさびの海。二月ふたつき前より相当寒くなっていた。

 だが一方で、久し振りの港町は本格的な冬を前にどことなく忙しげに見える。係留された幾つかの小型漁船から、ベージュとグレーの中間色をした甲殻類が大量に荷揚げされていた。以前リーンが話していたところによると、冬場、ここらの近海ではカニ漁が盛んに行われるらしい。書き入れ時というやつだ。


 不思議なものだ。知り得た情報から逆算してみれば、僕がここにいたのは長くても半年かそこらだろう。なのに、ここに来るまで募らせていた焦りと苛立ちは赤煉瓦屋根の町並みを目にした途端静まっていった。同時に孤児院のみんなの顔が思い浮かんでくる。元気にしてるだろうか。


 船から港へ降りたった時に僕はエイダに今迄の礼を言いつつ、西大陸行きの次便について尋ねた。彼女の返答によれば、一週間後の夜、ブレアールへ行けば良いということだ。カジは僕にわざと聞こえるように『懲りねえな』と言った。当たり前だ、何度だって行ってやる。


 キトの連中と別れた僕等は真っ直ぐ孤児院へ帰った。みんなには僕一人で説明をするからいいと断ったのだが、カジは付いていくと言って聞かない。まあそれももっともだと思い直した僕は彼の要望を容れることにした。


 そしてその判断はどうやら正解だった。孤児院が近付くにつれ僕の足が重くなっていったからだ。

 とりあえず子供達とおばあちゃんは分かってくれるだろう。おばさんだって少しは怒るだろうけれど、まあ激昂までしないだろう。

 だが、リーンだ。彼女のリアクションには覚悟をしておいた方が良い。例えば他人の振りとかされたらどうしよう……。そもそも彼女の家に居候になっていたんだ、僕は。拒絶されたら、折角メイアに帰ってきたのにまた宿を探すことになり兼ねない。いや、その時はおばさんに頼み込むか……。


 ごちゃごちゃと考えているうちにもう、僕、カジ、それから犬は孤児院の前に来ていた。僕は背中に秘密基地から持ってきた荷物を背負しょい込み、カジは額縁を持ってくれている。何だか売れない行商人の一行みたいだ……。

 それにしても本当に懐かしい。この優しい気持ちのまま、出来れば今日は出直したい気分だ。ホント、そうしても良いだろうか。

 

 などと僕がうだうだしている間にカジが『だらしねえ』と言って前に出た。僕が止める間もなく、彼はバタンとドアを開けて威勢よく叫んだ。


「おうッ!!

 今かえっ、た……ぜぇ……」


 残念ながらその声はすぐにフェードアウトしていった。同時にカジの向うで畳まれたばかりの乾いた洗濯物の束がドサッと落ちる音がする。

 聞き覚えのある、懐かしい彼女の声がした。


「おじさん……」


 カジが、『よう』と小さく挨拶する。が、数秒のに耐えられなくなったらしく後ろの僕を見た。というかご丁寧に道をけてくれた。『お前に任せた』、カジはそんな目を向けつつリーンの前へと僕を押し出した。


 懐かしい明るい茶色の髪と瞳。久し振りに会った彼女は前髪の一部を六四で分けつつポニーテールを結っていた。紺のエプロンにピンクの長袖シャツを腕まくりしている。どうやら子供達の服を二階へと運ぶところだったらしい。カジに対して向けていた驚きのまなこをさらに見開くようにして、彼女は僕を見た。


 言葉に詰まった僕は、軽く片手を上げてカジと同じ言葉を言ってみた。『よう』と。……少しは笑えていただろうか。彼女はそんな僕の薄ら笑い――というと何だか僕の品性が欠けているみたいだが――を見て、はっと我に返ったようだった。

 床に落ちた洗濯物を放ったまま、彼女はずいっと僕の前に踏み出してくる。次いで斜め下から、僕の左頬目掛け鋭く平手を打ってきた。

 咄嗟に僕の左手が対応する。


 パシッ。


 寸でのところで彼女の右手を押さえつつ、合わせた目で笑い合った。二人ともその手がぶるぶる震えている。冗談じゃない。これでも夢の中で『ミサス』と共に修羅場をくぐってきたんだ。そう何度も同じオチを担当させられてたまるか。

 僕はその姿勢のまま、得意気に言ってやった。


「僕はこれでも記憶障害のある、患者なんだよ。

 首より上に余計な衝撃、を与えるのは、やめてくれないかっ……!」


 そしたらリーンは事もなげに言ってのけた。


「あら悪かった、わね……!

 そう言えば……壊れた、洗濯機はいつも

 こう、するんだった!」


 次の瞬間。


 跳ね上がってきた右膝が僕の金的に渾身の一撃をわせた。

 

 ……うぐう。


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