第四六話 帰郷 終
仁王立ちして宙を睨んでいるカジの隣で、僕は静かにそのコスモスを手向けた。しゃがんだ姿勢のまましばらくその字面を見つめる。五、六分そうしていた。
やがてカジがネムの父に聞いた。
「ここに眠っている連中は
皆、空襲で?」
「ああ。
生き残った僕等としても、もっと町から近い場所に
葬ってあげたかったんだけどね。
元々利用していた墓地では埋葬し切れなくてね……」
一つの田舎町で、それもたった二晩の間にこれだけの数の者が逝ってしまったということか。
カジがその拳を握り込む。
父と母の前に来て、僕はようやく分かったんだ。ここに来るまでに人伝に聞いた話や、ネムの父から投げかけられた言葉でさえも、まだどこか他人事のつもりで受け止めていたということを。
ただ、だからといって改めて憤りを覚えたり悲しみに暮れたりという受け止め方はしなかった。何となく漠然と、認めたんだ。父も母も既に亡くなっているということを。そして理解した。同じような石が数十も集まっているという事実が何を示しているのかを。
一つ一つ思い出すような記憶も持ち合わせていなかった僕にはその程度が精一杯だったのかもしれない。そしてそれはこの場に限って感謝すべきことだと思った。
しばらくして。
僕は立ち上がり、ネムの父にもう一つの墓碑の場所を聞いた。
彼のそれは、墓地の隅、町が一番良く見渡せる場所にあった。
草ばかりが蔓延ったこの殺風景な場所にあってその付近だけは、一本の立派なカシの木が残っていた。『立派』と表現したのはその青々とした葉を称えたのではない。そのカシが、この墓地を飲み込まんとする雑草達を寄せ付けずにいたからだ。
その足元からちょっと離れた茶色い地面には、御世辞にも綺麗と言えない手作りの囲いがあった。数本の細い枯れ枝を短く折って地面に差し、それに糸を巻き付けていっただけの粗末なそれ。むしろそんな大雑把な作りでこの数年ここにあり続けてきたことの方が不思議なくらいだ。
囲いの中では秋の陽に見守られ、小さなリンドウの若芽達がその背丈を競っていた。
「どういう訳か、ここのは咲き出すのが遅くてね」
墓石よりも先にそちらへ目線を落としていた僕にネムの父が言った。この時期に芽吹いているということは青い花が見られるのは二、三ヶ月先だろうか。
やがて僕はその囲いの一メートル程隣にある墓碑の脇にしゃがみ込んだ。
『スス・クライク 1886~1899』
下には彼の家族と思われる者達の名前も刻まれている。僕はその白くてざらざらした表面に手を当てた。日差しのせいだろうか、やや温かい。
ネムの父がしんみりとして言った。
「しっかりしてる子だった。
他の子達より一つ二つ年上に見えるような、ね。
何事にも動じないかのような雰囲気を湛えていて。
それでいて
傍にいる者を知らず知らずに惹き込んでしまうような
そんな何かを持っていた」
僕は石に手をやったまま、長いことそうしていた。
彼はその胸に何を抱いて逝っただろう。理不尽な暴力によって死の間際へと追いやられ、自身の負の感情に押し流されそうになりながらも、少しは僕達のことを思う暇なんかもあっただろうか。
一握りの者達の保身だとか国の覇権だとか、そんなくだらないものの下敷きにされていく中で。僅かで良い、ほんのわずかの時間でも良いから、彼の思いが穢れから解かれていた瞬間はあったのだと、信じたかった。
それから、僕達はアノの両親、他の旧友達の墓を回った。
やがてネムの父が『そろそろ行こうか』と言った。明日の日暮れがエイダ達との約束の期限だ。今日中にロマウナへ戻る必要がある。まだ伝え切れていない言葉があるように思いつつも、僕等はそこを後にした。
ネムの父の家に戻った僕は、そこにカジを置き去りにして一人で再び秘密基地へと行った。日が暮れる前に取ってこなければならないモノが幾つかあったのだ。幸い最大の目的であったそれは屋内にいた。そこに書置きを二つ残し、僕は目当てのモノを手にすると下山した。
日が落ちる頃、最初にシダクを見下ろした丘で待ち合わせていたカジの前に僕は何とか姿を見せることが出来た。カジにはネムの父の家からあの額縁を持ってきてもらっていた。
対して僕はと言えば。ネムの父から譲り受けた紫の大きな布に、秘密基地の隠し倉庫にあった(多分)思い出の品々を残らず詰め込んで背負っていた。おまけに右手にはあのボーダーコリーを、文字通り首に縄――リードを付けて引っ張てきている。彼は当初激しく抵抗した。しかし僕が諦めるつもりがないことを次第に感じたのか、やがては渋々と付いてきてくれた。
置き手紙というのは、基地を現在使っているシダクの子供達へと、帰ってくるかもしれない仲間宛てにだ。誤解されては困るが窃盗ではない。緊急的な措置だ。犬も含めて。
この時点で僕はかなり疲れていたが同時に愉快でもあった。流石のカジも面喰らっていたからだ。というか呆れていただけかもしれないが。
ロマウナへの夜道を歩きつつ僕は説明した。犬も引っ張られることなく大人しくすぐ後ろを付いてきている。
「あそこにあのまま置いてきちゃ
いけない気がしたんですよ。
あの秘密基地は子供達が使っていたから
墓地程には荒れてませんでしたけど。
基地の中やシダクの町並みを見て思ったんです。
この犬は僕達がいなくなったあの場所を
見守ってくれてたっていうより
むしろあそこに取り残されてたのかなって。
それならメイアの孤児院に置いてやった方が
良いだろって。
リーンも、それにアノも近くにいるし」
そう言って僕は背中の大きな包みと後ろの犬に目をやった。カジは意外だという顔をした。
「じゃあ、お前ひとまずは帰る気になったってことか。
そりゃそうだよな。
額縁を持ってきてくれって言ってたからよ
そういうことだろとは思ってたんだけどな。
万が一ってこともあるしよ。
少しは頭悩ませてたんだぜ」
胸を撫で下ろすカジに僕は笑った。
「ああ、それでか。
ネムのおじさんと一緒にいた時、
妙に口数が少ないなって思ってたんですよ。
僕よりショック受けたのかなってちょっと心配してたんです。
ほんと、良かった」
「はははは、バカ野郎。
俺はお前、そんなヤワじゃねえよ。
ただちょっと気にしてたんだよ。
お前がこのまま『帰らない』とか言い出すんじゃないかってよ」
僕はつられて笑いつつ、だが即座に打ち消した。
「帰りませんよ」
その言葉と同時に立ち止まった僕に、カジが愕然として振り返った。何時の間にか僕を追い越していた犬がそのロープ越しに僕の手を引っ張った。
「お前……」
僕は明るい調子で続けた。
「こう見えても僕はカジさんに結構感謝してるんです。
こんなとこまで付き合わせちゃって
ほんと……すいませんでした」
僕は素直に頭を下げた。カジは黙っている。
「それで……迷惑かけられついでに
こいつ等をメイアのリーンのとこまで
届けてやってくれませんか」
カジは急な展開に戸惑っているようだった。
「バカ野郎、俺はなあ
だが。僕は『それ以上は』と言うように、カジに向かって掌を立てた。
「こっから先は」
そうなんだ。
「僕がけじめを付けるべき問題ですから」
もう本当に。これ以上巻き込むわけにはいかない。
僕は彼を安心させる為に付け足す。
「それに、僕はもう一人じゃないですから。
見守ってくれてる仲間が、いますからね」
リーン、アノがいる。バニルやジャン、ケーケ。マアヴェにクルイ、ゴートン……それからスス達だっている。もう、繋がりは幻なんかじゃない。これで迷うことなく突き進める。
感情と逆の表情や声色は、時としてその内に秘める強い意志を相手に知らしめる。ただでさえ口下手なカジが今の僕を説得するだけの言葉を持ち合わせていよう筈もなかった。カジは短く舌打ちをして再び歩き出した。もう振り返りもしない。その不器用な背中に、僕はもう一度頭を下げた。
翌朝、ロマウナ六時発の汽車に乗った僕等は、どうにかその夕方にデポまで戻ってくることが出来た。カジは途中一言もしゃべらなかった。十一時間、ずっとだ。僕を思い止まらせる言葉でも探していたのだろうか。
一方でエイダ達は既に最初に上陸した場所へ船を付けているようだった。迎えの人間が二人、駅まで来てくれていた。僕とカジが持ってきた荷物は彼等が持ってくれている。
日の終わりを気色ばんで赤みを増した夕日を背に、僕はカジと最後の言葉を交わしていた。カジはそれでもなお、諦め難いという感じだった。犬の影がカジのそれに寄り添っている。どうやら懐いてくれたようだ。
「なあ……。
本当に行くのか」
「ええ。
待ってる筈ですから、彼等が」
カジはちょっと顔をしかめて視線を落とした。僕は心残りを捨て去るべく言った。
「本当に今日まで、有難うございました。
メイアに戻ったらリーンに伝えて下さい。
『元気でな』って」
「あーあ。
説得出来るもんなら、するんだがな。
生憎俺はそんな口達者じゃねえ。
仕方ねえな。
伝えといてやるよ。
……物の序だ。
旅の無事を願ってやるから後ろ向け」
「何ですか?」
「いいから。
儀式みてえなもんだ、多分な」
多分て……。僕は仕方なく言われるまま、山間に沈む夕日の方へ向き直る。その後僕の背中に降ってきたのは見当外れなセリフだった。
「うらむなよ」
なんで? そう思う間もなかった。
直後、後頭部に激しい衝撃を受けた僕の意識はそのまま夕日と一緒に地平線の彼方に沈んでいった。




