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月の刻限  作者: ゆいぐ
第二章
46/76

第四五話 帰郷 八

 ネムの父は『すまない、ちょっと失礼させてくれ』と言ってキッチンの方へ行き、紅茶のやかんを取ってきた。自分のカップに注ぎつつ僕等にも勧めてくれる。僕とカジは有難く頂いた。

 席に着いた彼は逆に僕に尋ねてきた。


「前線か……。


 君は軍隊に戻るつもりなのかい?」


 経緯はどうあれ軍から一度離れた僕は除籍されているのだろうか。仮に復帰できるとして再びフウスと戦うのだろうか。シダクの過去、仲間達が万全でない状態でスタンフォークへ向かったこと、それだけを考えればやはり戻るべきだとも思えてくる。事実西大陸へ渡るまでは、それは現実味ある選択肢の一つだった。

 だがディアンの話を聞いた今の僕には、上から命じられるまま唯々諾々とフウスへの報復に身を捧げることにはどこか抵抗が生まれ始めていた。『ミサス』だってドレスバイルの安宿で言っていた。『何か復讐以外に連中の思いを汲む道があるのでは』と。


「……分かりません。ただ」


 一つだけ確かなことがある。


「前線で共に戦っていた彼等だけは何としても、

 探し出します」


 その為にはやはりライン湾で敗れた後の彼等の行方を掴まなければならない。

 絶対に。生き延びている。


 だが、ネムの父は僕の強い意志を受け流すように目を外にやった。窓の先には小さな庭がある。しかしもう何年も手入れされていないのだろう。草木は伸び放題に枯れ放題、白いプランターは横倒しになり土がぶちまけられていた。彼はやがて僕に視線を戻した。

 それは、かえってこちらが恐縮してしまう程に遠慮がちな話し方だった。


「あの恐ろしい炎の中を生き延びてからこのかた、

 棒切れの一本だって手に取らなかった私には。


 君に意見すること自体

 失礼を通り越して無礼だと思ってる。  

 それを承知で言わせてもらうんだが。


 ……やっぱり君は、メイアに帰った方が良いんじゃないか?」


 彼は何か痛々しいものでも見るような表情をこの僕に向けていた。やめてくれ、そんな目で僕を見ないでくれ。喉まで出掛かったその言葉をどうにか飲み込む。

 彼は続けた。


「あくまで可能性の話として聞いてほしいんだが、

 仮に。


 君が必死にこの大陸を駆けずり回って

 やっとの思いで辿り着いたその先に……残念な結果が待ち受けていたら。


 君はもう。

 リーンちゃんの元へ

 二度と戻れなくなるんじゃないか?」


 小島の岩壁で釣りをしていたカジも、この人が今最後に口にしたことを言っていたっけ。戻った方が良い、と。あの時はデスニアの話もちょっと混ざっていたけれど。仲間を探そうとするこの道は行ったきり帰ってこれない場所へと続いているんだろうか。『憎しみ合いの螺旋』、ディアンもそんなことを言っていた。

 彼は言葉を重ねていく。


「……あの炎で失ったものは」


 思い出したくもないというように視線を落として目をぎゅっと瞑る。そして彼は言葉を、吐き出した。


「……数えきれない」


 僕は黙っているしかなかった。


「……代わってあげられていたら良かった。

 息子と妻の遺影を見て、何度思ったか知れない。


 見知らぬ人ばかりになってしまった

 この町だってそうだよ。


 ここにはもう、私の居場所はない。

 私だって帰ってくる用がなければ

 目をそらし続けていたい。

 愛着なんてこれっぽっちも感じることは

 出来なくなってしまった。


 でも……でもね。

 そんなみじめな思いをしながら生きている

 私だからこそ……痛い位に分かるんだ。

 知っているんだよ。 


 君のその手の中に残ったものは、

 計り知れない程に価値あるものなんだよ。


 君自身、リーンちゃん、そしてアノ君……。


 過ぎていった時間に目を向ける前に

 今確かにあるそれを

 もう一度見つめてみるべきじゃないのかな」


 彼の言葉は重たかった。でも。それでも、秘密基地で自分と仲間達との繋がりを知った僕はここで引くわけにはいかなかったんだ。

 結局、返答はカジに伝えたそれと大きな違いはなかった。


「確かに、

 今の僕はおじさんの仰ってくれた言葉を、思いを

 半分も理解していないのかも知れません。


 でも、それでも……。


 今の僕にとっては

 そんな易々と差を付けられることじゃないんです。

 リーン達も、前線の仲間も。

 同じ程に……大切なんです。


 仮にこのまま何もせずにメイアへ帰ったところで

 リーン達と笑って過ごしていけるとはどうしても思えません。


 僕にとって彼等は、過去じゃないんだ」


 カジは、身を乗り出した僕の隣で何を思っていただろう。黙って腕組みしたまま目を閉じている。

 ネムの父は僕の思いを受け流せないことを認識したようだった。大きく息をついて、少しの間僕を見る。

 そして最後に言ってくれた。


「……鉄道の情報に関連した程度なら

 少しは役に立てるかもしれない。


 こう見えても技師なんだ。

 路線の運用状況くらいなら教えてあげよう」


「お願いします、是非」


 彼は僕の出した地図に鉄道の経路を書き込んでいってくれた。

 

挿絵(By みてみん)


 要するに、前線へ向かう路線は二本。一本目はカティナ砂漠(通称:南の大砂たいさ)のすぐ西を南下する【東側ルート】。二本目はフレアム、ベルラッドを経由して南へ下る【西側ルート】だ。勿論この地図に描かれていいる大動脈だけではなく、毛細血管のような局所間を結ぶ路線も数多く張り巡らされてはいるらしい。ついでながら敵の手に落ちた国境付近以南は、当然に運行がない。


 ざっとそこまで説明を受けた僕は顎に手を当てて地図をじっと見た。彼等を追うにはどっちのルートを取るのが正解か。つまりロマウナまで戻ってから北へ行くべきか……みな、み……。

 あれ。何だろう、これ。前にもこんなの……。


 固まっていた僕に、『私はこう思うんだ』と言ってネムの父が説明を続ける。

 いかん、大事な話を聞いてる時にぼーっとしている場合か。我に返った僕は彼の口に注意を戻した。


「ライン湾での海戦以来物資輸送の列車本数は

 西側ルートの方で圧倒的に多くなっている。

 逆に東側ルートでの運行頻度はがくんと落ちた」


「じゃあ……」


 僕は彼を見た。彼は頷く。


「敗走した兵はクロイン領の南西側で

 部隊再編をしていると考えられる。


 勿論断定はできない。

 加えて、敗残兵のすべてが西へ向かったという保証もない。


 ただまあ確率的には、という話だよ。


 それにね」


 そう言って彼は僕を見て続けた。

 

「このベルラッドというのは

 クロイン領の中でも五本の指に入る人口密集都市でね。


 君達がこのシダクを出た後に入った

 軍立の兵科学校がある町なんだ。

 当然に軍の関係者も多いし

 フウス戦線における後方の司令塔の一つとして機能している。

 

 部隊配置の情報が何か伝わってきている可能性は高い」


 そうだったのか。……そうだ、ケーケの妹の確か……アーサ。彼女もここにいると、マアヴェとケーケが話していた。彼女のところにケーケから近況を知らせる手紙の一つでも来ているかもしれない。どうやら行先は決まったようだった。


 ついでに、秘密基地を出て以来僕の頭にあるカジへの頼み事をするにも丁度良かったかもしれない。そう思い、ちらっと隣のカジを見た。カジは相変わらず腕組みをして地図を見ていた。

 いつまでもこのお人好しな退役軍人を当てにしちゃいけないんだ。シダクが僕の故郷であり、この僕がケーケ達の仲間の一人であると分かった以上、ここから先は完全に僕自身の問題としてかたを付けるべきだ。そうだろう。ここまで随分と付き合わせてしまったけれど、明日のその時が来たらお礼の一つも言っておこう。本当に色々と助けてもらったから。


 話の済んだ僕とカジはネムの父に感謝の意を伝え、そこから立ち上がろうとした。しかし、そんな僕等を彼は引き留めた。


「待ち給え。

 用があってこの町に帰ってきていると言っただろう。


 君に会えたからには。

 君が記憶を失っていると言うからには……。


 連れてかなきゃならない、場所がある。


 ああ、また戻ってくるから

 その写真は置いていきなさい」


 彼はそう言うと家に戸締まりをして、僕とカジを連れて外へ出た。正午にはまだ遠かったけれど日は大分高くなっていた。


 途中、町の北東側で早めの昼食を済ませてから花屋に寄る。その僕等は街並みの後方に位置する群山ぐんざんへと再び向かった。

 といっても登ろうとするその山はここらで一番標高が低いものだという話だった。おまけに秘密基地へ行った時と異なり、その足元を日の光が照らしてくれている。山の入口へ近付いていけば、その木々も二、三メートルの高さしかないことが分かった。

 そんな山道を登っていくうちに、ようやく僕はシダクの子供達がここを遊び場に選ぶ理由が分かってきた気がした。親しげな緑にくるまれたあぜ道を三十分も登っただろうか。


 雑木林は突然終わった。ここは丁度、僕達が最初にシダクを見下ろした丘と対局の位置にあるようだった。

 ネムの父はようやく足を止めた。目的地ということだ。僕も、それからカジもだと思うが、花屋へ寄った時からどこへ行くのかは何となく見当が付いていたんだ。


 けれど……ここまでとは思っていなかった。


 開けた視界の下に広がる町並みにはもう、見守るべき者達はいない。にも関わらず彼等は流れゆく時の中でただされるがままにあった。草むらに伏した物言わぬ幾つもの白石しろいし達。その名と生没年を刻む数少ない文字が、彼等を唯一識別し得る特徴だった。


 雨土あめつちに汚れたその平たいおもてを、この町から忘れ去ろうとするかのように、伸び放題の雑草が覆いつつあった。

 死者の魂を鎮めるには著しく礼を失したその場所を前にして僕とカジは、ただ立ち尽くす。今シダクで生活している住民の墓地は他にあるのだろうか。いくら何でもこの荒れようは、目に余る。


 ピンクのコスモスを数輪包すうりんつつんだ白紙しろがみを持つネムの父が振り返り僕の方を見た。そしてまた向き直り歩き出していく。ついてきなさいと、言われている気がした。


 やがて彼は数十ある墓碑の中程にある、一つの石の前に僕を連れていった。カジも後ろからついてくる。彼はその花を一輪、そっと手渡してくれた。

 受け取った僕はその平たい灰色の碑を見下ろす。


『バジン・クルックォ    1855 ~ 1899


 アメリア・クルックォ   1857 ~ 1899』

 

 そう、ある。彼は静かに告げた。


「君の、御父さんと御母さんだ」


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