第四三話 帰郷 六
・注意書き
『クォ』の二文字は『ク、オ』ではなくて『コ』に近い感じのイメージです
・適当な用語解説
挨拶状に使うダイヤモンド貼の封筒:
洋型封筒を、『洋型』を使わずに説明しようとしたら
そんな表現になりました。
フラップ:
洋型封筒の、最後に糊付けをする、大きなべろの部分
ライトの光に無数の塵が舞っている。小屋の外見程、中は朽ちていなかった。床に積もっているだろうと思われた埃は見当たらない。見上げた天井はやや低かったがそれだけのことで、蜘蛛の巣が張っている風もなかった。
それどころか部屋の中央にあるテーブルの様相は頻繁に人が訪れていることを思わせるものだった。白いクロス、その上の牛乳瓶には一輪のコスモスが生けてある。
更に周囲へ光を当てる。四つの椅子、開き戸の付いた本棚、その上にはクマとネコのぬいぐるみ。それにロッキングチェアまである。隅にはワインレッドのクッション。それからプラスチックの大きなケース。中で無造作に積まれているのは玩具だ。あとは……はめ殺しの四角い窓の脇に、腰の高さ程の脚立がある。手製だ。
どうやら地元の子供達が遊び場にしているらしい。一通り見渡した頃にはカジが僕の後ろにやってきていた。その脇を通り抜けた犬がクッションの上へと行き、横たわった。なるほど、飼い主は子供達だったのか……。
カジが口を開く。
「へえ……。
こりゃ、ちょっとしたもんだな」
僕はそれに答えず、本棚の前へ行き座った。尻に床板の冷たい感触が伝わってくる。目の前の開き戸を開ける。錆びた金具が小さな不快音を奏でた。何か……何かあるだろう。
すがる思いで光を当てたそこには、子供向けらしき黄色い表紙の百科事典が並んでいる。上の段には小説……タイトルからして推理ものが多いようだ。ふと端にある二冊のノートに目が留まる。
子供達の所有物なのに、という躊躇は働かなかった。一冊を手に取る。薄水色の表紙、下には見知らぬ名前。四年一組とある。ここでの日々を書き綴った日誌らしい。……僕は最初の数ページを読んでみて、それを静かに棚へ戻した。ダメだ、日付は今年のもの、内容もここでの遊びについてだった。もう一冊は去年のもの。
まだだ、まだ何かあるだろう……。辺りを見回す僕の目に、脚立が映る。机に寄りかかっていたカジが僕を見た後、少し低い天井に目をやった。そうだ、屋根裏だ!
僕は懐中電灯を天井に当てた。張り巡らされた木の板を光の円が忙しげになぞっていく。
やがてその光は天井の右上隅で止まった。そこだけ正方形の縁取りが見える。
僕が動く前に、カジが脚立をその穴の真下へと動かした。天井が低かったのはそういう訳か。
僕がカジに見守られながら脚立を登っていく。頼む、何かあってくれ。僕がこの町にいたという証拠となる何かが……。
薄板は何の抵抗もなく外れた。この真っ黒い穴を塞ぐだけの目的で置かれていたという感じだった。
天井裏はやはり狭く空気は下以上に湿っぽかった。雨のせいもあっただろう。屋根板の切れ目から月の光が漏れ差していた為、然程暗くはない。
タケノコのように頭だけ出した僕のすぐ目の前に紙の束が積まれていた。僕はその上の一枚を取り上げ暗がりにじっと見る。……タイトルは『フウスの気焔、大いに上がる』。内容は……フウス側の部隊の活躍を記した物だ。そういえばロマウナのホテルのロビーにもクロインの物が置いてあった。要するに自軍の戦況を国民に伝える情報誌の類だろう。
どうしてこのシダクに敵領で配布されている筈の物があるのかという小さな疑問は残ったが、僕がここへ来た目的に適うものでないことは確かだった。それでも念の為にその紙束を下から見上げているカジに渡す。
カジがそれを調べている間、さらに僕はライトを屋根裏の隅々に当てた。僅かな手掛かり一つ見逃すわけにはいかない。下にはもう何かをしまっておけるような入れ物は無かった。つまりここになければこの探索も打ち切りということになる。もうあとはシダクへ戻って東側の聞き込みをするか、それとも……。そんな不安が僕の頭をもたげていた時だった。
ライトの光が何か小さな厚紙らしき物を捉えた。……白っぽい封筒。挨拶状に使うようなダイヤモンド貼りのタイプだ。ここから手を伸ばしても届かない。
僕はやむを得ず脚立の最上段を蹴って体全部を天井裏へ引き入れた。太い一本の梁を選んでその真上にヘソがくるようにしつつ天井裏を這っていく。途中、何かの出っ張りに頭をぶつけつつも、手を伸ばせばどうにか掴めるという地点まで到達した。僕の体重を支え兼ねる木材がぎしぎしと悲鳴を上げている。
頼む……、もうちょっと耐えてくれ……。そう祈りつつ、僕は伸ばし切ったその指先の間に封筒を挟んだ。その姿勢のまま急いで後退する。どうにか天井は抜けずに済んだらしい。
脚立から降りてきた僕に、カジが『ダメだ』という風に首を振った。さっき渡した紙の束にこれといった物は挟まれていなかったようだ。僕はそんなカジに封筒を見せた。大分埃をかぶっている。宛先も送り主も書かれていないベージュの封筒だ。
カジが見守る中、僕はそれを開けようとした。糊がかなり多めに付けられているぞ。……ぬっ。……くっそっ!
ビリッ!
「あ……」
力を入れ過ぎたらしい。封筒はフラップの中程に派手な裂け目が入ってしまった。……幸い中身は無事だ。僕はほっと息をつき、一枚の便箋を取り出し読み上げた。
「――はじめまして。
この手紙を読んでいるということは、僕の気持ちがようやく届いたのですね。
良かった。でも恥ずかしくもあります。
廊下の窓越しにいつも君を見ていました。
君は気付かなかったかもしれませんが、僕は君の事が好きで好きで……」
末尾に見知らぬ署名が添えられたそれを、クシャッと押し潰すことをどうにか堪えた。
「……ラブレター、か?」
カジが僕に同情するように控え目に声をかけてくる。僕は力なく頷き、その便箋を破れた封筒にしまった。そして再び脚立に登り天井裏の奥へ乱暴に投げ付けた。
山に入ってから張りっ放しだった糸が、遂に切れてしまった。僕は懐中電灯を切り、床にどさっと座り込む。手からこぼれたそれが床の上をゴロゴロと転がっていった。やがて壁で止まる。あとにはもう何の音もしない。収穫はゼロ……。何も掴めなかった。
気落ちする僕の肩にカジが手を載せる。少しの間彼はそうしてくれていたが、やがて無言のまま外へ出ていった。掛ける言葉が見つからなかったのかもしれない。
僕は念じるようなポーズで額の前に両手を組み、胡坐をかいて俯いた。その傍へと犬が寄ってくる。コイツと出会ったのも単なる偶然だったのだろうか。しかし初対面の人間にあそこまで懐くものなのか?
この建物の外側はかなり傷んでいる。日誌にあった小学生達が最近建てたものとは思えない。もしかしたら僕達が建てたものを彼等が今使っているのか。そういう推測を立てることは可能だった。けれど。証拠が皆無なんだ。すがる藁さえ見つからない。手詰まり。
ロマウナやシダクの景色が移ろっていったのと同じくして、ここも変わってしまった。そうなのだろうか。
僕はまた隣の犬を見た。
「お前が喋れたら良いのになぁ……」
首、そして黒鼻の周りから額に生え渡る白い毛並み。その両サイドを覆う黒毛に埋もれ気味の、真っ黒な瞳が僕を見上げていた。きっとその目で彼は、ここで遊び、泣き、笑った者達を一部始終見てきた筈だった。僕はその頭を恐るおそる撫でてやる。彼は気持ち良さそうにしてそこに伏せた。
そうして僕は天井を見上げ、そっと目を閉じた。
子供の頃のみんなが、ここで。無邪気に笑い合っていた声が聞こえてくるような気がした。
壁に寄りかかるケーケがロッキングチェアにもたれるジャンに何か話している。椅子に座るリーンは僕を見て何か文句を言ってくる。僕は負けじと言い返してやる。アノが間に入ってそれをとりなす。マアヴェはそんなアノを優しい目で見ている。テーブルではクルイが宿題をやっている。
ほら、扉が開いてバニルとゴートンがスス達を連れてきた。よし、みんな集まったぞ。今日は何をする? 木の上の見張り台の続きを作ろうか。それとも、基地の周りの探索をしようか。いやそれとも……。
けれど。再び開けた目の前で僕を待っていたのは、無だった。彼等の声も、光も、ただの幻に過ぎなかった。いつしか頬を一筋の涙が伝っていく。やがてそれは、床にぽとりと落ちた。
結局、ここには。何も、無かった。誰も、いない。
「分かったってば」
誰ともなしに呟いたその声が、外にそびえるシイの木達へと届いたかのようなタイミングだった。
不意にザアッという音が天井の方から聞こえた。そこらじゅうの木の葉に残っていた雨の雫が一斉に落ちたらしい。少し遅れて扉の外で天に向かいぼやくカジの声が聞こえてくる。おそらく屋根の下に入っていなかったのだろう。つくづく運に恵まれない人だ。
どうやら本当に帰るべき時を迎えたらしい。僕は最後の力を振り絞って立ち上がった。シダクの町並みを目にした時よりもさらに体が重い。まるで鉛だ。こんな状態でまたあの山を降っていかねばならないのか。
そんな風に思い始めた時、外から僕を呼ぶ、どこか気の抜けた声がしてきた。カジだ。
『おい』、そしてしばらくしてからまた、『おいっ』と。僕は入口の方へ向かった。犬が付いてくる。扉を開けて外へ出た。その間もカジはオウムみたいに同じ単語を一定の間を開けて繰り返していた。
外へ出た先にカジはいなかった。代わりに一本のごっつい脚が屋根からぶら下がっている。彼はその脚を引き上げた後に今度は顔を出した。
そして、確かに言った。初めてだった、リーン以外の人からそう呼ばれたのは。リーンは教えていなかった。カジが知る筈もなかったんだ。
「ミサス・クルックォ。
受け取れ」
同時に僕へ何かを放ってくる。僕は思わずキャッチした。呆気に取られつつ、『どうして』と呟きながら両の手を開き見る。それは銀色に光るハーモニカだった。隅に小さく丁寧な文字が並んでいる。
『親愛なるミサス・クルックォへ
アノ・ルーインより送る
1899.5.17』
そう、書いてあった。
「これ……どこに……」
震える手で強くそれを握り締めて、僕はカジを見上げた。
「屋根の端にも
小さな扉が付いてたんだ。
ったく。
急に吹き付けてきたと思ったら、にわか雨みたいに降ってきてよ。
空に文句の一つでも言ってやろうと見上げたら
たまたま目に入ったってわけだ。
おかげですっかり濡れちまった」
そう言うとカジは再び顔を引っ込めた。中にはまだ何かあるらしい。
どうやら、入口手前の手摺から身を乗り出すと屋根に取り付けられた小さな扉が目に入るようになっていたらしい。といってもカジ位の高い目線でないと視界には入らない。これではここで遊ぶ子供達は気付けなかっただろう。
上から途切れがちに聞こえてくるカジの説明によれば、その蓋には取っ手の一つも付いていないらしい。近くからでなければその縁を識別出来ないということだ。一体誰がこんな面倒な場所に取り付けたんだ。僕は怒り出したいやら、喜びたいやらでその気持ちを持て余した。
カジはしばらくして顔を出し『とりあえずこれが一番でかいな』と言って僕にそれを渡した。
それは、本当に大きな茶色い額縁だった。懐中電灯を下に置いた僕はそのままそこに座る。両手でその下側を支え、上側を手摺の付け根近くに載せた。そこは月明かりが僅かに差していたのだ。僕はじっと見つめる。
セピア色の大きな写真。
この建物をバックに三十人以上の子供達がこっちへ笑いかけていた。十二、三歳頃の写真だろうか。一番後ろ、三列目で立っているケーケ……ゴートン、バニルはすぐに分かった。順番に見ていき、やがて真ん中の列を右端から眺めていく。一番端にクルイ……それから少しいって、アノ、リーンもいる……。リーンの笑顔はあんまり変わっていないや。
と、僕の目はその隣の男の子で止まった。
口元にだけ笑みを浮かべ、格好付けてこちらを見ている。間違いない、それは。
僕だった。
そしてその左側から僕の肩に腕を回している少年。多分彼が、ススだ……。子供達の中心にあって、その穏やかな表情は笑っても格好付けてもいなかった。ただ遥か先までを見通しているような、見る者を惹きつける力強い瞳をしていた。その隣ではマアヴェも微笑んでいる。彼女の前にはジャンも。
その瞬間、僕達は確かに、シダクの秘密基地にいた。
すぐ隣で同じように写真を見ていた犬が、僕の頬から再び流れ始めたそれを舐める。『二度はしないからな』と断り、僕はその首を強く引き寄せた。
「やっぱり迎えにきてくれたんだな、お前。
ごめんな……戻るのが遅くなって」
あの風は、きっとみんなだった。




