第四十話 帰郷 参
・適当な用語解説
ストームグリーン:暗めの青緑。そんなイメージで登場させてます。
ああ……。随分と心地良い。このシーツと掛布団に包まれてこのまま目を開けることなく眠ってしまいたい……。
……。
…………!?
慌てて飛び起きた僕はまたしてもベッドの上にいた。だが僕を待っていた人間はブレアールのときと違う。
部屋の真ん中、テーブルで何かをがっついている大きな背中。その後ろ姿はどこか川で鮭を取っているクマを連想させる。僕はいつかおばさんが言っていたそのあだ名を思い出していた。僕が起きる気配に気付いたカジはゆっくりと振り返る。口の周りには肉の油が付いていた。
「やっと起きたか。
安眠するにも程があるぞ」
どうやら僕はデポ発の汽車の中で寝た後、目覚めることなくこのロマウナのホテルに担がれてきたようだった。目的の駅が近付いてきた時に、(本人曰く)カジは僕を丁重に起こそうとしたがどうやっても起きなかったらしい。言われてみれば何だか後頭部が痛い。
ベッドとベッドに挟まれた小型のチェスト、その上の置き時計を見れば午後十時を回っていた。腹が鳴った僕にカジはバナナを放ってくれつつ言う。
「まあ今夜はもうこんな時間だったしな。
情報収集は明日からってことで良いだろ。
腹も減ってたしな……」
情報収集という言葉に僕は『あっ』と言ってベッドから出た。部屋の壁掛けにある自分のハバーサックから一枚の地図を取り出す。船でエイダからもらった物だ。
……そういえば今気付いたのだが、ここは割と良い部屋だった。
白壁に大きな矩形の枠が並んでいる。立体模様というやつだ。真ん中の枠内にはオブジェが三つ。川面から中空へ跳ねる瞬間の魚だった。天井には粗末ながらも小さなシャンデリアまである。このロマウナは中々人が多い町なのかもしれない。
丸テーブルの上に地図を広げる僕にカジが寄ってくる。
テーブルの隅には空になった皿が六枚重ねられている。……どんだけ食ったんだよ、もう。
さっきのバナナがここで出されたメニューのラストでなかったことを祈りつつも、僕は地図に見入った。そして、探す。……どこだ。西大陸のどこかだ。
どこだ、……どこに……。
……あった。
……スタンフォーク。……だけど、ここって……。
状況に付いてこれないカジが当惑顔で尋ねてきた。
「おい……、どうしたんだよ、起きるなり」
僕は地図の左下隅を凝視したまま答える。
「また夢を見たんです。彼等の」
「……お前が家で話したやつか」
「そうです。
ベインストックの続きを。
彼等はドレスバイルで輸送車両の警護をしていて……。
そして、次は……。
次はこの……」
そこまで説明して、僕は言葉を切った。切ったというより詰まったというべきか。不審に思ったカジが静止する僕の指先に目をやる。
西大陸の南西地域に海と呼ぶ方が相応しい巨大な湖がある。その北側の湖岸から南へ突き出た半島の先。そこに、スタンフォークの文字が記されていた。
僕はカジの家でチタンから説明を受けていたのだ。
そのエリアは……既にフウス領であると。
夢の中でミサスが話していた。スタンフォークに武器や人を集め一戦に及ぶと。
……負けたのか。彼等はもう。戦いを終えてしまったのか。アノはどうなった。ケーケは。他のみんなは……。
僕はゆっくり目を閉じる。カジは何も言ってこない。
……そうだ。いや、やはりと言うべきなのかもしれない。バニルは自分達クロイン側の敗北を予測しているかのように話していたじゃないか。それどころかベインストックを撤退する時点で、既にある程度の事態を視野に入れていた筈だ。……筈なんだ。……だけどそれでも、何とかならなかったのか……。
ぽん、とカジが僕の頭に手を載せた。そしてそのまま茶色いそれをぐわしっと掴んで言った。
「落ち込むな。
とりあえずバナナ食っとけ。
そんで詳しく聞かせろ」
それから時間をかけて詳細に僕は夢の内容を話した。彼等の一言一句をなるべく忠実に。
やがて話が済み、カジが『ふぅ……ん』と唸るように腕を組んだ。
「ドレスバイル、裏切り、アノ、子供だけの部隊……。
さらには世界の仕組み、か」
「ディアンの話、カジさんは知ってたんですか?」
「ああ……まあ、ちらっとはな。
デスニア本国が、
フウスとクロインの戦争にそれまで直接手を出さなかったのは
そこら辺の事情があるからだとは聞いていた。
何を隠そう、
俺がアスロペンの軍隊を辞めてきたのも
本国と同じ事をし始めた上の連中と口論になっちまったのが
発端だったしな」
「そうだったんですか……。
でも、もうデスニアは手を出したわけですよね。
クロインに。
しかもフウス側に付いて」
「ああ、その通りだ。
絞れるもんは、もう絞り取ったって事なのか。
それとも他に別の考えがあるのかは知らんがな……」
僕は仕方なくバナナを食べ始めた。カジが言う。
「にしても、大分繋がってきたな。
いや。
……繋がっちまったと、言うべきか」
「いいですよ。
慣れない気なんか使わないで下さい」
「バカ野郎。『慣れない』は余計だ。
大体連中だって生き延びてるんじゃねえのか?
話を聞いてる限りじゃ、随分骨がありそうじゃねえかよ」
……そうだ。そうなんだ。僕は自分の事を褒められたように思えて少し気を取り直した。あれだけの窮地を脱してきた彼等が一度の敗戦でおいそれとくたばるものか。
そのスタンフォークでの海戦がいつあったのか、そこに参加した部隊はその後どうなったのか。調べなきゃいけない。落ち込んでる場合じゃなかった。僕は残り半分程となったバナナを一気に口へ押し込む。
そうしてロマウナの夜は更けていった。
翌朝、ホテルをチェックアウトした僕等は情報収集をしつつ町の出口へ向かうことにした。
ロマウナの通りに出て一番初めに目に付いたのは、街路を巡回する兵士の服装だった。ダークグリーンの上下に黒の軍靴。腰には片手剣。僕が夢で見慣れたミサス達の服装と全く同じものだった。どうやら僕等は本当に彼等に近付いてきているらしい。
ついでながらこの町はちょっと異様な雰囲気を漂わせていた。三角屋根の大きな家が建ち並ぶこの通り。その屋根は赤、オレンジ、ブラウンとてんでバラバラな色をしていた。勿論その漆喰壁も黄色のものもあれば、白、ピンク、ベージュのものも、という具合に統一性がない。それだけなら別に然程の事ではないのだが。どの民家も商店も一様に新しいのである。建てられてから十年……いや、五年も経っていないのでは、という程に綺麗だった。
そして最後に一番目を引いたのは、町の各所にぽつんぽつんとあるグレーの寸胴な建造物だ。縦横等間隔で据え付けられている四角い窓には、見る者を楽しませるという姿勢がまるで感じられない。機能的過ぎるのである。加えてその四階か五階の屋上には高射砲の先端らしきストームグリーンの筒先がちらほらと見えた。
道行く人にいきなり声を掛ける勇気もなかった為に、僕等は公園のベンチで休んでいたお婆ちゃんの隣にそれとなく腰掛けた。いや、カジは誰でも良いから捕まえて聞こうとしていたのだが。まあどうせ僕はカジより人見知りするタイプだ。
僕は砂場で遊ぶ子供を眺めるお婆ちゃんにそっと声をかけた。
「おばあちゃん、ちょっと良いかな」
「はい、……何でしょ」
「僕等シダクへ行きたいんだけど
道を教えてもらえませんか」
「ああ……シダク。
シダクなら、そこの通りから町を出て
あぜ道沿いにしばらく進むと分かれ道があるから
そこを……」
聞いてみると、ちょっとややこしい道順らしかった。一本道だと勝手に思い込んでいた自分を反省しつつ、僕は次の質問をした。
「……そっか、どうも有難う。
それと、もうちょっと聞きたいんだけど良いかな」
「ええ、どうぞ」
「スタンフォークの海戦って知ってるかな?
そんな前の話じゃないと思うんだけど」
「……ええ、知ってるわよ。
ライン湾での戦いね」
これでどうやら完全に、夢とこの世界が繋がった。
にしても、あの半島の付近にそういう名の場所があるのか。無用な不信感を買わないよう僕は適当に合わせた。
「う、うん。そうそう。
あれっていつの事だか覚えてる?」
「何言ってるの。
今年の話でしょ。
貴方、どこか他所から来た人?」
「ええと、まあそうなんだ。
あちこちで起きた戦争の話をまとめていてね」
「ああ、ジャーナリストさんね」
「まあ、そんなとこだよ。
で、何月頃だったか分かる?」
「そうねえ……。
今年の二月位だったかしら。
正確な日付を知りたいの?」
「あ、いや。
そこまでは、大丈夫。
そっか……」
今は十一月。ということは九ヶ月前だ。九ヶ月前に彼等はスタンフォークにいた。そして、この僕も。そしてその後どういう経緯があったかは分からないけれど、僕と右眼を怪我したアノだけがリーンのいるメイアへ来た。
「それで、その、
ライン湾で戦ってた師団は
その後どうしたか知ってる?」
「さあ……。
それはちょっと分からないわね。
でもひどい戦いだったそうよ。
大勢の人が亡くなったって聞いてるわ……」
『亡くなった』という言葉に思わずドキッとする。当然に激戦だったろう。彼等が兵を結集させていたということは、当然フウス側も同じように軍勢を集めていただろうから。肩を落とす僕の背中をカジが軽く叩いた。とりあえず必要なことは分かった。僕等は立ち上がりおばあちゃんに礼を言う。
すると。去りかけた僕等の背中に、再びおばあちゃんが声をかけてきた。
「ねえ、貴方達。
戦争の事をまとめてくれてるなら
五年前の事も記事にしてくれるの?」
振り返った僕が尋ねる。
「五年前?」
「やあねえ。
空襲の話よ」
「空襲?」
何だそれは。
「そうよ。
みんな焼けちゃってね。
大変だったんだから」
「このロマウナで?」
「ええ。
まあやられたのはここだけじゃなかったけどねえ」
「まさか……シダクも?」
「そうよ。
ここ等近辺から西側の町や村はぜーんぶね」
ぜーんぶって……。
それって、もしかしてマアヴェが言ってた『みんな、もう会えなくなっちゃった』という話と関係があるのか。彼等があの若さで軍隊に入ったのもそれが原因だったのだろうか……。というかそもそも何でこんな片田舎、前線からも遠い場所を。しかも五年前といえばリーンがメイアへ来た時期だ……。このロマウナが新しい建物ばかりだったのもそういう理由か。逆に言えば古い建物が見当たらない程、その空襲がひどかったという事か。
急に降って湧いた事実に僕が頭を混乱させる。そんな僕を不思議そうに見ていたおばあちゃんの肩をトントンと叩くものがいた。さっき砂場で遊んでいた男の子だ。『おばあちゃん、おしっこー』と彼女をせっつく。その小さな手に引っ張られ彼女は行ってしまった。
「あ、ちょっと……」
呼び掛ける僕にお婆ちゃんは一度振り返り、丁寧にお辞儀をしてみせた。呆気に取られていた僕とカジも仕方なく、返す。
彼女達が見えなくなってからしばらくして僕は町の出口へ向かって歩き出した。カジが僕に聞いてくる。
「もう情報集めは良いのか?」
「まあ、これならシダクで聞いた方が
話が早いし正確でしょ」
「……なんつうか。
空襲ってのは驚いたが、あまり思い詰めるなよ」
「……まあ、ともかく行ってみないとですね」
空襲。シダクもひどい有様だったのだろうか。大きな不安に覆われつつも、微かな期待も確かに抱いていた。シダクへ行けばもしかしたら彼等が帰ってきているかもしれない。それだけじゃない。ひょっとしたら僕やリーン、アノの家が残ってるかもしれない。もしかしたら家族だって……。
やや早足になる僕に、遅れがちのカジが声を掛けてくる。
「ああ、だよな。
ただそれはそれとしてよ」
「まだ何かあるんですか」
気のせいかカジの声には僅かに非難の色が見えた。
「キトの連中とやり合った時もそうだったけど
いちいち嘘付くなよ。
それとよお……
「嘘って……。
方便ですよ方便。
そんなことよりとにかく行ってみましょ。
結構距離がありそうだけど、昼前には着けそうだ」
「ったく、しょうがねえな。
おい、待てってば」
生憎の曇り空の下、湿った空気が僕の頬にまとわりつく。だが故郷を前にしたその足を妨げる程のものではない。何かに導かれるような思いで僕はその足をさらに速める。
時は皇国暦一九〇四年、十一月も半ばを過ぎていた。




