第三八話 暗中 八
一方、一両目の方ではケーケの容体がややまずいことになっていた。ディアンが戻ってきてしばらくした後、ミサス達三人も戻ってくる。ちなみにこの車両には都合十一名が揃ったことになるがそれでもまだ十分なスペースが残っていた。
横になっているアノ、ケーケの周りにそれぞれが座り込んでいる。ケーケは上半身シャツ一枚になってその左上腕部に包帯を巻かれていた。幾重にも巻かれているようだがそれでも赤く大きな染みが出来ている。
少し冷静さを欠いているのか立ったままのミサスがマアヴェに尋ねた。
「良くないのか?」
「うん……。
血が止まらない。
早く輸血してあげたいんだけど……」
ミサスが自身の右手を強く握る。
と、ケーケが微かに目を開けた。青白く、かさかさに乾き切ったその唇から言葉が零れる。
「俺としたことが……。ざまあ、ねえな」
ミサスが側壁に寄りかかって立つバニルを見て聞いた。
「確か次の駅がもうすぐだったよな?」
「ああ、ミズなんとかって田舎町だ。
だけど病院があるか分からないぞ」
マアヴェが言う。
「小さな診療所でもあれば
とりあえずは……。
難しい処置じゃないの。
応急の手当てだけでも出来れば
後はドレスバイルの病院まで持つだろうから……」
その言葉に頷きミサスが伝声管の方を見る。
「分かった。じゃあ機関室の方に伝え
「ふっ、ふざけるなっっ!」
反対する者等いよう筈もないその車内で、悲鳴に近い声がミサスの言葉を遮った。横になっている二人を除くその場にいた全員が声の上がった部屋の隅を振り返る。
そこには、ディアンが座っていた。彼は開いた両足の間に木箱を置き、その上の二端を両手で押さえている。彼は木箱と共に中央へにじり寄っていった。ケーケを看ていたマアヴェをも押しのけ、その左前に陣取る。そして今吐いた言葉と正反対な、懇願するような目でミサス達を見回して言った。
「君達は若いとはいえ、一端の軍人だろ?
私は。
私は今回のあの襲撃で失った
武器や弾薬の新たな仕入れ先を
確保しなきゃならないんだ。
その為には、一刻も早くドレスバイルの商館へ行って
各地から集まっている武器商人達と
会わなきゃいけないんだよ。
それだって軍の為にやってやるんだ。
私利私欲で動くんじゃない。
大体この車両だって機関部分だけなら、別の路線で使える筈だ。
それをこの大事な時に
たかが一兵卒の為に
寄り道させてくれだって!?
それでも君達は軍人かっ」
主張の冒頭と末尾で同じ言葉を繰り返していることに気付かぬ程、彼は動揺していた。一応言っている事に筋は通っているが、要するに今夜の戦闘で味わった恐怖がまだ尾を引いているようだった。
加えてケーケを見殺しにしても構わないとも受け取れる、その公義を盾とした言い分に納得のいかないジャンが『てめえ!』と立ち上がる。そんな時だった。
バニルがつかつかと、ディアンの背後へ歩いてゆく。
「アンタの」
そしてディアンの高そうなスーツの、後ろ襟を無造作に掴む。
「ポーズにはッ」
さらにそれを、力任せに後ろへ引っ張った。ディアンは膝を曲げたまま、ダルマのようにゴロンと後ろへひっくり返る。後には持主を失った小さな木箱が残された。
どうにか起き上がってきたところで、バニルが更にやろうとしている行為を目にしたディアンは『あっ』と、か細く叫び、手を伸ばした。
「うんざりだ」
その言葉と同時に、木箱は粉々に踏み砕かれた。
割れた幾つかの木片と、中のものを包んでいたらしき破れた新聞紙の隙間から、黄金色のきらきらとした光が漏れ差してくる。不信に思ったジャンがその中の一枚を素早く取り上げた。それは何と掌程の大きさの、金のインゴットだった。
『何だよ……コレ』と訝しむジャンにバニルが言う。
「こんなこったろうと思ったぜ。
俺達みたいな下っ端にさえ
言い繕う必要があったんだ。
……どう見たって、綺麗な金じゃねーだろ。
まあ、軍を相手にした商売だ。
取引担当の士官と顔馴染にでもなっちまえば、
色んな金が色んな方へ動くんだろうよ」
それから足元のディアンの方に目をやり、バニルは続けた。
「結局このインゴット抱えて、
一刻でも早く
身の危険が及ばぬ地へ逃げたいってのが
アンタの本音だろうが」
ディアンは両膝を突き、体重をかけるように前屈みになっている。そしてその伸ばし切った両腕の先には砕けた木箱の残骸があった。俯いている表情は、見えない。そんな彼に追い打ちをかけるようジャンが罵った。
「ふざけやがって……。
軍の得意先が聞いて呆れるぜ」
ケーケも胸から上を起こし、ジャンに続く。その閉じかけた半開きの目はかえって彼の必死さを窺わせた。
「ジャンの……言う通りだ。
何が……クロインの……名の下にだ。
今迄……俺達軍人がどんな思いで……」
そのケーケの『思い』という言葉にディアンは肩をビクッと一度震わせた。しばらくして、沈黙の中で彼は顔を上げ、ケーケやジャン、更にはミサス達の方までねめまわした。その目はさっきまでと打って変わって血走っている。
バニルによって晒された己の醜態。さらには重症の体を起こしながら思いをぶつけてきたケーケの痛ましい姿。その二つが重なったことでそれまで見ないようにすべく自身で覆い被せてきた布が落ちてしまった。結果、露わとなった罪悪感を前にしてついには開き直ることしか出来なくなった。そんな印象だった。額の端にはうっすらと青筋さえ浮かんでいる。
「思いだと?
笑わせるなよ。
他人の思惑の上で踊らされてる分際で」
その場で彼を注視するほとんどの者が何を言い出すんだという顔でディアンを見た。ジャンがそれを口にする。
「何を訳の分からない事を……」
ディアンはもう、その口元に笑みさえ浮かべ始めている。少しおかしくなっているのかもしれなかった。
「どうせ知らないんだろ?
この世界の仕組みってやつを」
「だから、何を……」
「フフフ。
今君達がやっているこの戦争が
大昔に他所の二大勢力下で行われていた
大陸間戦争の穴埋めに過ぎないという話さ」
しばし流れた沈黙の中、ディアンは静かに座り直した。ジャンが再び問う。
「何の話だよ……。
大体それが
アンタの金と自身への執着に、どう関係するってんだ」
「良いから聞き給えよ。
人が折角親切にしてやろうって言うのだから。
……少し上の立場にある人間なら
誰でも承知してる話だ。
世界の覇権を争うべく始めたものの
いつまでたっても決着の付かない戦争。
さらには
自国民の生活水準やそれを支える技術が
頭打ちになってきていたが為に
疲弊、停滞しつつあったその経済。
そういった問題を抱えていたデスニアと東大陸の諸国。
そんな彼等が目を付けたのが、
当時、人が多いばかりで平和なことぐらいしか能のなかった
この西大陸だ。
その頃
然程豊かでもなく、科学のレベルも低かった
この大陸の中で、
既得権益を手にする上の連中が国を維持してくには
国民の生活の不満を外に向けさせる必要があった。
そんな彼等とデスニア、東の諸国が裏で手を結んだのさ。
クロイン、フウス、イドル。
元々、宗教や価値観の異なっていた勢力同士だ。
火種は既にあった。
西大陸の上の連中は目論んだ筈だ。
戦争に勝てば領土や資源、労働力が手に入る。
おまけに自国民の信頼までも、とな。
そんな彼等が先頭に立つ国へ
技術供与という餌をチラつかせつつ
相応の代金と引き換えに武器まで流してやる。
自分達は対岸の火事を眺めてるだけで良い。
そうやって互いが組んで何十年も経った頃に
軍需景気をテコにしてデスニアと東国の経済は建て直され、
その後には
対なる螺旋の如く絡まり合った憎しみ合いの歴史がこの西大陸に残った。
目出度しめでたしってわけだ。
思い?国の誇り?神が違うから!?
金も生まないそんな不確かなもので戦争が起きるだなんて
幻想を抱くのは、今この場で終わりにしてくれ!」
要するに朱に交われば、ということを言いたいのか。思わぬ所からデスニアと西大陸との繋がりを知った僕の心中の、最初の驚きがやるせなさへと取って代わっていく。
ジャンが混乱する頭を整理しようと下を向き、吐き捨てる。
「……そんな、
…………そんな俺達が生まれる前の大昔の話が
本当だっていう証拠がどこにあるんだよ」
ディアンはその様を見て愉快そうに口元を歪めて笑った。
「……くくく。
武器弾薬の搬入元の一つでも教えてやろうか?
デスニアも東国も、国が公にやってないだけで
裏じゃ組織立って、フウスとクロイン双方に武器を流し続けてきたんだ。
勿論、イドルにもな。
それを承知で、この西大陸の上の人間達は
何十年という間、
その武器を自国民の手に握らせ、命の奪い合いをさせてきたんだよ」
下を向いていたジャンが、きっとディアンを睨んだ。
「ぬかせっ。
少なくとも俺達が戦ってきたのは
そんな下らない考えの為じゃない!」
「始まりの話。
根底の話をしてるんだ。
いくら枝葉に緑が生い茂ろうとも
その幹の根元から既に腐ってる。
それがこの世界だと言ってるんだよ!」
それは、いくら昔の仲間の為にと謳ったところで戦争の大義を得ることは出来ない、そう言っているみたいだった。調子付くディアンは人を食ったような顔で更に言葉を重ねる。
「……大体何だって言うんだ。
正義の味方でも気取るつもりか。
そんな年でここにいる君達だって
経緯はどうあれ食い扶持を求めて軍隊に入った口だろう」
その瞬間、そこにいた全員に殺気が漲ったように思えた。
だが、ディアンはそんなものに気付く風もなく、止めの台詞を並べ始めた。
「自分が生きてく為なら他人を殺すことも止む無しと
思ってるようなガキが人の揚げ足取って良い気になりやがっ
刹那。
ディアンの首筋、右側面の皮膚に付いていた塵が鋭く斬り裂かれた。彼の瞳孔がその風を追った時にはもう、そこを通り過ぎた短い白刃の切っ先が、その頸部前面に宛がわれている。
冠するなら、流水。正座の姿勢から素早く左足を前に出すと同時に、その腰に差していたナイフを左の逆手に抜き放ち、足が床板に着地するタイミングで左斜め前に座るディアンの首へそれを突き付けている。
見ている者達の内心に思わず感嘆の吐息をつかせる、その動きには華があった。剣術という武張ったカテゴリーに含めるには、どこか惜しまれる華が。
冷や汗をかくディアンが、自分の命に向かって伸びてきた華奢な腕に視線をはわせる。そんな彼のすぐ右後ろで、立てた片膝に利き腕の右手を添え俯いていたのは、マアヴェだった。その視線の先にはいつの間にか寝息を立て始めたケーケの顔がある。疲れてしまったのだろうか。
彼女は、額にかかる黒髪の下からぽつりと呟いた。
「もう……黙ってよ」
ややあって、マアヴェは横目にミサスを見上げる。『早く』と促すように。ミサスは頷き、次の駅での停車時間を大幅に延ばすよう運転士に伝える為、伝声管を手に取った。




