第三六話 暗中 六
僕はその時、ミサスの体内に響き渡る絶叫を聞いた気がした。後悔、恐怖、焦燥、憤怒、それらが一気に体中を駆け巡る。
瞳に映る全く動かないアノと背中のすぐ後ろに敵を負ったケーケ。ここからでは、間に合わない。だが、受け入れ難い光景に立ち尽くすかと思ったミサスは体外へ鋭く叫ぶと同時に地面を蹴っていた。
「ジャンッ!」
ケーケに襲い掛かる敵へ突っ込んでいったミサスのその言葉が終わる前に、ジャンの指が引き金をひく。
敵に向き直っていたジャンのリアクションは日頃銃に親しんでいる彼だからこそ成し得た、芸当と呼ぶに相応しいものだった。ヘソの高さに両手で抱えていた長さ六十センチ程の銃剣、その銃口が敵を真正面に捉えるよう最小限にスライドさせ、彼は手元を一瞥することもなくほぼノーモーションで対象の額をぶち抜いていた。構え、と呼ぶべきステップがなかったのだ。敵は既にケーケの方へ体を向けていたから、その眉間とまではいかなかったが、動きを永久に停止させるには十分な一撃だった。ジャンより早くに動き出していたミサスでさえ、その時点では敵に触れることすら出来ていない。ジャンはよくやった、本当に。
だけど。
敵の心臓が止まった時点で、もうその刀身はケーケの左上腕部に深々と突き刺さっていた。
「っうがあァアッ……!!」
ケーケは激痛に顔をしかめながらも激昂して、既に肉塊となっているその敵に斬り付けた。と言うよりも突っ込んできた敵の剣を受けようと反射的に動いた右手が止まらなかった、そんな印象だった。彼もまた敵の剣先が描く軌道に沿って瞬時に身を捻り、急所への直撃を防いでいたのだから、やはりそこは目を見張るべき反応だったのだが。
ケーケの体にその剣を留めたまま敵が倒れていく。だが、危機は去っていなかった。そのすぐ後ろから間を空けることなく二人目の男がケーケに襲い掛かってくる。振り切った剣を握るケーケの右手の返りが間に合わない。
ガンッ!
鼓膜に障る鋭い金属音を打ち鳴らし、そんな二人の間にミサスが割って入っていた。しかし敵も手を緩めない。その男の脇からミサス目掛けて激しく突き出されてきた三人目の剣を、今度はミサスの左隣に立ち塞がったラモンが受けた。
ミサスと押し合いをする敵を、ケーケが痛みを押し殺しつつ斬り伏せる。同時に、そのケーケ目掛け、右座席を乗り越えて跳ねてきた別の敵が降ってくる。その剣先がケーケの右肩に達する……! 寸前。次弾の装填を終え、今度は照星に対象の左脇を捉えていたジャンが鮮やかに撃ち落した。
ラモンの相手をミサスが横から薙ぎ払う。その間、僅かに空いた隙でケーケは左腕に刺さった剣を引き抜いた。破れた袖の傷口を中心に、見る間に赤黒い染みが広がっていく。
一呼吸も置けただろうか。少なくともジャンが三度目の装填をする暇はなかった。
さらにその後ろから続く四人の敵が、今度は両サイドの座席と通路から同時に斬りかかってくる。どうやら、ミサス達と新たに切り結び始めたその連中で、敵の第二波とでも言うべきこの近接攻撃部隊は打ち止めらしかった。もう彼等の背中に新たな気配や足音は無かった、のだが。
不意に、再度後ろ扉の方に複数の足音が近付いてきたかと思うと、銃を構えたらしき微かな機械音が立て続けに聞こえてきた。タイミングを計っているような向う側の静寂は無言のプレッシャーとなって闇の奥からミサス達を威圧した。目前の敵と渡り合うミサスの鼓動が僅かに大きくなる。
ミサスは数合剣を交えた後、力技で強引に相手を斬り伏せると、早くも息を切らし始めたケーケの前に割り込んだ。片手で握る剣でからくも相手を凌いでいたケーケ。立っているミサス達四人の中で彼だけは急速にその体力を消耗しつつあった。当然だ。左腕の傷口から流れ出ていく生温かい血は、彼の生命力そのものだったのだから。
最早強がる意地も残っていないらしい。ケーケは見ている方がつらくなるような歪んだ顔で苦しそうに息をし、ミサスのすぐ斜め後ろにある壁面にもたれかかった。その隅に座り込んだアノは、息すら止まっているかのように微動だにしない。
そして極め付けにミサス達を追い込むように。彼等が背にしている扉の裏、車両連結部分にも何人かが近付く足音が聞こえてきた。ミサスが危惧した通り、最初に銃撃してきた連中は彼等を挟撃すべく二手に分かれていたのだ。放っておいては退路が断たれる。かといって、目前の三人はどこまでも食い下がってくる。
死地という泥沼からどうにか引き抜こうともがくミサス達の足に、幾つもの冷たい手が執拗に絡まりついてくる。もう彼等に残された猶予は幾ばくもなかった。
そんな絶望的状況にあったせいで僕はすっかり忘れていた。この時その泥沼に浸かっていなかった者が一人いたということを。つまり、汽車が急停車した直後、ミサスが一縷の望みを託して別行動を指示したバニルである。そのバニルは沼に足を取られるミサス達の上に乗っかって、天から垂れてくる一筋の光の糸をつかみ取ろうとしていたのだ。
おそらくバニルはそれを遂に掴み、力一杯に手繰り寄せたのだろう。
ガックンと車内が揺れ、そこから始まった振動はそのまま大きくなっていった。同時にミサスの全身にも前扉の方向から微小な負荷がかかってくる。割れている後方の窓から走行音が、夜風が流れ込んでくる。
汽車がもう一度ドレスバイルを目指して動き始めたのだ。
(遅いよ、バニル……!)
ミサスの中でパニックに陥りかけていた僕は彼のことを思い出し、一筋の光明を見た思いで呟いていた。
対して目前の敵は、明らかな戸惑いを浮かべる。戦闘中に車両が動き出すことは計画の内になかったのかもしれない。
ただ、その僅かな隙をミサスが見逃す筈はなかった。あっという間もなくその頸部を刺し貫く。相手は今の今まで切り結んでいた剣先がどう流れてきて自分の命を奪ったかも分からぬままにその息を引き取っていた。彼が床に崩れ落ちた時には、ジャンの目の前でもう一体の串刺しが出来上がっている。
それから少しして、数分前に落ちていた汽車の全照明が復旧した。
同時に車両後方で横一列に連なってこちらを向く六つの銃口がぼやけた視界に入る。今度は急に明るくなったせいで、また視覚の順応が追い付いてきていない。
ただ、双方が見合ったのは一瞬だった。間髪置かずに、早口言葉の競争の如く前と後ろで一斉に怒号が上がる。
「……伏せろッ!」 「……う、撃てえェっ!」
どちらが早かったか。身内贔屓なしにしても僅差でミサスの勝ちか。
ミサスが振り向き様、うなだれるケーケの首根っこを掴んで自身もろとも床に叩き伏せる。ジャンが倣う。並んだ銃口の半分位がダッダンッ、ダンッ! と火を噴く。一秒弱遅れて再び、ダンッダンッ、ダンッ! だ。一発の弾丸が倒れていくミサスの鼻先を掠めていった。ラモンと鍔迫り合い中で、座るべくもなかったフウス兵が背中に直撃を食らい倒れる。逆にラモンは頬のかすり傷一つで銃弾をやり過ごしていた。
死闘の最中だった二人にとっても、視界がまだはっきりしていなかった狙撃主達にとっても、双方のリーダーからの指示はかなり無茶苦茶だった。まあ、不可抗力ということで勘弁してやって欲しい。
その間にも車両は徐々に加速していく。それに伴いミサス達の体にかかってくる負荷も大きくなっていく。車速は既に人が全力疾走する位の大きさにはなっていたと思われる。
結果として、今の射撃命令のタイミングがミサス達の危機を救うこととなった。発車してしまった汽車に戸惑う車内の敵がもたもたと銃の装填を行う。その間に配電盤の操作をマアヴェに託してきたアイザーとレックスが車両連結部分に駆けつけ、踊り場にしがみ付いていた敵を流れ去っていく地面へと蹴落とし、この車両へ来てくれた。
ケーケとアノを差し引くと、こちらの人数は五、向うは残り七だ。やってやれないこともなさそうだったが、ケーケの止血を優先すべきと考えたミサス達は敵の射撃の間隙を縫って前の車両へどうにか退いた。
やがて彼等が二両目の中央辺りまで戻ってきた時、その物音に気付いたマアヴェ達が一両目から出てきてケーケとアノを引き入れた。眠っているアノを見ても、覚悟していたかのようにマアヴェは動揺を見せなかった。むしろ、ケーケの容体の方がいけないらしい。その説明をろくに受ける間もなく、ミサス達は使える銃剣を手に取り二両目の前部へと舞い戻る。
汽車は再び常夜灯の光を追い始めた。何も出来ない僕はただ願う。
夜道にひっそりと咲き並ぶその花が、車内にあって見向きもされぬ者達の、いつの日か真に帰るべき場所まで続いていることを。




