第三二話 暗中 弐
軍事パレードを翌日に控えた夜、ミサス達六人は街へと繰り出してきていた。
来る時にホテルの入口で会ったヨウも一緒だ。彼は相変わらずの癖毛に例のベージュの外套を羽織っている。その表情にこれといった疲れも感じさせない彼を見て、僕は少し安心していた。寝るときはドラフ達の部屋の床に毛布を敷いているらしい。あの連中には微塵の慈悲もないようだ。
夕方から町を練り歩き、ちょっと買い物をしたりしてきたミサス達が今いるのはメインストリート。その中心にあるのが庁舎と作戦本部の建物であり、そこよりやや南に行ったところに店を構えるレストラン、そのオープンカフェで彼等は遅めの夕食をとっていた。
夜のドレスバイルは昼間のそれとまた趣を異にしている。午後九時を回るというのに人通りは多く、道の両側に連なる街灯や店先の照明がそこをゆく人々を絶え間なく照らしていた。道脇に並ぶ出店も昼間より数を増している。むしろこの時間帯こそが稼ぎ時なのかもしれない。景観の主役が、日の光に調和した建物から夜の街を彩る光そのものにシフトしていた。
レストランは盛況のようだった。客は民間人もいれば、ミサス達のようにジャケット姿の軍人もいる。まあ遠方から兵士達が集まってきているこの町は今飽和状態に陥りつつあるのだろう。
楽しげに食事をする客達の姿は、パラソルや店先に取り付けられた電球でオレンジ色にライトアップされ夜ならではの賑わいを見せている。アルコールで少しほてった体に夜風が気持ち良かった。
ライスの上にチキンとスパゲティ、生野菜を載せ、その上に豪快にデミグラスソースをかけたものをケーケがかきこんでいる。その横ではヨウがハンバーガーを食べつつ、ケーケの方を敬遠するように見つつ抗議した。
「ソースが飛んでくるってば。
もうちょっと上品に食べれないの?」
ケーケは全くお構いなしだ。
「ばがやろ……んぐっ、
これはそうやって食うもんじゃ……むぐっ、ぐぁっ。
……いやあ、ホントに美味いなコレ……」
一息ついて口をおしぼりで拭うケーケ。その皿に残っているチキンに、同じメニューでカレーソースとピラフを選んだジャンがフォークを伸ばす。ケーケは気付かずにヨウと話している。ジャンのフォークがチキンに届く。かに見えた瞬間、ジャンのフォークを握る手は素早くケーケに押さえられた。
「ッとぉ。
何してんですか、ジャン君……」
ケーケが得意そうに笑ってみせた時だった。ジャンは空いた方の手をさっと伸ばし、チキンを一切れ口に頬張ってしまった。
「ああ……この野郎、俺のチキンを……」
「うふぁふぁふぁ……、
あみゃいよ……ケーケ君……むぐっ、んぐっ」
勝ち誇って食べるジャンをケーケが恨めしそうに見た。と思いきやいきなりジャンの首に腕をからめる。
「吐けっ、俺のチキン吐き出せっ!
こんにゃろ、ちくしょうがっ!」
絞め技を食らったジャンが喉にチキンを詰まらせ苦しそうにむせる。何とか席を立ってケーケの腕から逃れたジャンは、アノが差し出したコップの水を口一杯に含んだ。……どうにか飲み込めたらしい。
「あー……苦しかった。
まあ、そう怒るなって。
ホテル戻ってから飲物でも奢ってやるから」
「ちきしょう……」
まだ嘆くケーケ。その背中と背もたれの間にある紙袋に気付きジャンは聞いた。
「お前、それ
妹にか?」
「ん?
……ああ、そうだよっ」
「何買ったんだよ」
「オルゴールだよ……。
見るか?」
「良いのか?」
「別に包装してもらったわけでもないからな。
ちょっと高かったけど妹に送るって言ったら負けてくれたよ」
マアヴェが思い出すようにしてケーケに尋ねる。
「アーサちゃん、幾つになったの」
「十六さ。
最近じゃ手紙に母親みたいなこと書いてくるんだぜ?
生水は飲むなだの食事は朝から食べろだの」
「あはは……。
でも……そうだよね
それ位の年になるよね。
今もベルラッドに?」
「ああ。シダクの家は
誰もいないしな……」
「そっか」
ケーケが大事そうに紙袋から小箱を取り出し、皿を少しどけてから、中のオルゴールをテーブルに置いてみせた。皆食べる手を一時止め、その中央に置かれたオルゴールに見入る。
フォークダンスの一場面をモデルにしたものだろうか。筐体の上で青のスーツを着た男の子とピンクのドレスの女の子が互いの右手を取り合って上にかざしている。それを見上げる二人は時計回りの方向に体を向けていた。空いた方の手と指は外側へピンと伸ばしている。つま先立ちの足は中心を向き少し開いていた。
筐体側面に付いたネジを、ケーケが大きな手で窮屈そうに回す。やがて筐体が奏で始めた音楽と共に、小さなカップルはゆっくりと回り始めた。街の喧騒で音はほとんど聞こえていなかった筈なのに、それを見つめる皆の瞳はいつしか穏やかになっていた。
僕も一生懸命に無い耳を澄ましてみる。……神経を研ぎ澄ます。そうしたらオルゴールの音がちょっとだけ大きくなった気がした。優しい旋律が心に流れ込んでくる。初めて聞く曲だったけれど、優しさの中に僅かな哀しみと懐かしさを思わせるそのメロディは心地良かった。そうやって少しの間心を委ねる。
いつしか街ゆく人や店の客達は影絵の登場人物になったように、淡い光の中にぼんやりとその輪郭を浮かび上がらせていた。通りのあちらこちらに灯る明かりは、夜空に舞う大きなぼたん雪みたいにまん丸に滲んでいる。白いもの、黄色いもの、橙のもの。そんな世界の片隅で可愛く踊る二人の子供は握り合った手の先に何を見ていたのだろうか。
ふと気付けば、どうしてだか僕は切なくなっていた。あるいはその優しげな調べの終わりを思ったのかもしれない。
ミサス達はその後一時間程過ごして、店を出た。
午後十時を回って通りを歩く人の数も少しは減っただろうか。ちょっと前にヨウは『ドラフ達と待ち合わせがあるから』と言って六人と別れていた。既にこんな夜遅いのに、連中はこの上どこへ連れ回すつもりなのだろう。考えるのが怖い。
前をゆく千鳥足のジャンにケーケが右肩を貸していた。その後ろにはケーケの紙袋を持つアノとバニルが続く。ケーケがぶつぶつ言っている。
「ったく。弱え癖に人一倍飲むんだからな」
「う~い……」
気分良さそうに返事をするジャン。
ミサスとマアヴェはそんな四人の後ろを少し遅れて歩いていた。彼女は前を行く連中に目をやりながらぽつりと言った。
「ねえ」
「ん?」
「この風景が一番良いと思わない?」
「え?」
分からないという顔をするミサスに彼女は穏やかな笑みを浮かべた。
「私はみんなと一緒に笑ってる時も好きだけどさ。
それよりもこうやって
仲良くしてるみんなを眺めてる時が、一番しあわせだよ」
ミサスは少し考えていたみたいだった。
「だけどマアヴェはいつだって俺達の中心にいたじゃないか。
男だけじゃなくて女子にも人気あってさ。
リーンともすぐに仲良くなった」
マアヴェは少し遠くを見る目をした。そして不意にミサスの背中を叩いた。
「いてぇっ」
「求められる役割と希望する立ち位置が
常に合致するとは限らないのだよ」
そしてミサスを見て再び笑った。
「誰かさんのようにね」
必要に迫られて自分が見せないようにしている部分を、誰かが分かっていてくれる。そういうのは救われるんじゃないだろうか。ミサスが表情を和ませて、少し前を行くマアヴェを見たのを感じながら、僕はそんな風に思っていた。
僕みたいなどこの馬の骨とも分からない人間に言われたくはないだろうけれど、ミサスは能力で仲間を安心させることはできても、人柄で安心させるっていうのはあまり得意そうじゃないもんな。
輪の中心にいてくれるだけでみんなが安心する。みんなが自然とその後を付いていく。そういう資質を持っている者はきっと極希にしかいない。もしかしたら『スス』がそういう子だったのかもしれない。
でも『スス』がいなくなって、ミサスはみんなの先頭に立たざるを得なかったんじゃないだろうか。それだけ『スス』という子に近いポジションにいたからなのか、それとも何か別の決意に動かされたからなのかは、分からないけれども。
だけど。それから少し歩いた後に立ち止まったマアヴェは、振り返った時にはもう笑っていなかった。そして不安げな色をその黒い瞳に漂わせながら言ったんだ。明日パレードの前にちょっと付き合ってほしい、って。
僕は周囲に吹く風が少し冷たくなったような気がしていた。店に長居し過ぎたのかもしれない。




