第三一話 暗中 壱
参考程度に適当な用語解説
エスタコウォール:西洋漆喰
カナリー:黄色っぽい色
青海波:江戸時代の浮世絵の波みたいなやつ
スレート瓦:西洋の町並みで見られる瓦らしい
ドレスバイルへ到着した夜、ミサス達は駅近くにある三階建ての小さなホテルに入った。
その屋内は外観から得る期待を裏切らない安普請である。ただその三階にあるミサス達の部屋から眺められる夜の街はそれなりのもので、ケーケとジャンはすっかり満足していた。ちなみに駅に降り立った兵士達は三百人はいただろうか。その中には隣の車両にいたドラフとその取り巻き、そしてヨウもいた。ミサス達の話によれば、汽車にはベインストック以外の拠点からも兵士達が乗り合わせてきていたらしい。
どうやらその日の夜のうちに、下士官以上の者に召集がかかることになっていたらしいのだが。午後十一時半を回っても一向に指示が下りてくる気配がなかった。ミサス、バニル以外の待機を命じられていた他の面々はとっくにベッドで寝息を立てていた。開け放たれた窓から乾いた風が入ってくる。そういえば、ここはベインストックほどは寒くない。
部屋の窓際に小さな丸机と椅子が二つある。その片方に腰掛けて外を見ていたミサスに、バニルがカクテル缶を差し出す。ミサスは少し躊躇っていたが、バニルは向かいの椅子に座って然程考える様子もなく自分の缶ビールを開けて一口飲んだ。
バニルはふうっと軽く息を付き、木組みの背もたれに右腕をかけてミサスに言った。寝ている連中に配慮して声のトーンはやや控え目だ。
「今日はもうないって。
どこの誰だか知らないが、ふざけた上官だ。
下士官二十数人を数時間待たせておいて
連絡一つ寄越さないなんてよ」
今ミサス達がいるような簡素なホテルが、駅の周りには数軒建ち並んでいた。そのあちこちの部屋でこの二人と同じような者達が待ちくたびれているのだろう。
ミサスもやがて缶の口を開けて一口、二口飲む。そんな彼にバニルが再び口を開く。
「あまり思い詰めるなよ」
「俺が?
こんなのベインストックの前の駐屯地でもしょっちゅうあったろ。
もう慣れたよ」
別に大したことじゃないという顔をするミサスに、バニルは首を横に振った。
「そうじゃない。
俺が言ってんのはこれから先のことだよ。
何つーか、ほら。
お前ベインストック出た頃から
たまにだけど声掛けづらい顔してたから。
前もまあ、そういう雰囲気の時はあったけど
あの頃とも何か少し違うみたいだからさ」
そういえば軍曹もミサスに『根詰めるなよ』って言っていたっけ。
バニルは目を伏せて醒めた口調で付け加える。
「まあここまで状況が悪化しちまったら
俺等に出来ることなんて、さ」
もうない。バニルはそう言いいたいのだろうか。ミサスはやや視線を落とした。
「……そう……なんだよな。
…………いや。
……ただ、それだけじゃなくてさ」
そこまで言ってミサスは言葉を探すように机のカクテル缶を見た。
「へえ。
まだ別にあるってのか。
いいよいいよ。
悩みならこの優しいオニイサンが聞いてやるから。
恥ずかしがらずに話してみな」
「茶化すなよ」
ふざけるバニルにミサスは一応怒って見せつつも、話し始めた。
「ベインストックでマアヴェが言ってただろう。
『あの頃のあいつらは
自分達の恨みに仲間が死ぬまでしがみついて欲しいなんて思ってない』
って」
「……ああ」
「これだけ人の命を奪ってきた俺が言うと
質の悪い冗談に聞こえるだろうけど……。
復讐以外に……、
あいつらの思いを汲んでやれる方法が
あるんじゃないか……ってさ」
『あいつら』。……ススやその仲間のことを言っているのだろうか。バニルがちょっと顔を上げる。
「お前、あの時のことを言って
「いや、別にそれに限った話じゃない。
まああれだって未だに気にしてんのは
もう俺位なのかもしれないけどな……」
「……そうは思わねえよ。
マアヴェだって、ケーケだって、ゴートンだって……。
軍へ入った連中が忘れるわけねえよ。
だけど……」
そこまで言ってバニルは背もたれに寄りかかりながら腕を組む。やがて少しして、ため息をつきちょっと残念そうに笑って言った。
「……それは、俺には荷が勝ちすぎる問題だな」
「すまん」
「いや」
バニルはゆっくりと首を一度だけ左右に振ってから、自分の中で何かを受け止めようとするみたいに重々しく言った。
「そっ……か」
そうして長い沈黙の後、ミサスを見て笑ってみせた。
「まあ、好きにしてくれ。
……俺はねみーから、もう寝るわ」
一見突き放すようなバニルの言葉にミサスの表情が少し陰る。だが、立ち上がってミサスに背を向けたバニルは一言付け足した。
「ハブにしたら怒るけどな」
その背中にミサスが『ああ』と頷く。もうその顔から戸惑いの色は消えていた。
その夜、ついに召集がかかることはなかった。
翌日ようやく呼び出しを受けてミサスとバニルの二人は町の中心にある作戦本部へと向かった。バニルは『気分がのらねえ』とぼやいていたが、いつもと変わらず支度をすませるミサスに諦めたらしく黙って後に従った。
ドレスバイルの町並みは色で大雑把に表現するなら白と黒だった。エスタコウォールの白壁は空の青によく映えている。その上、柔らかい黒を使ったスレート瓦の屋根が白壁に対し程好いコントラストをなしていた。勿論瓦屋根を用いていないホテル等の屋上は白色系で統一されているものが比較的多く、街の景観に対する配慮を窺わせた。路面の石畳はグレーの平たいもので敷き詰められ、青海波のような模様をなしている。
勿論白と黒だけの無機質な色彩にまとまっていたわけではない。民家の窓枠は温かみのあるカナリーやグリーンのものが多かったし、街路の脇にはオープンカフェ用の木製テーブルと椅子が並んでいたり、かと思えばアイスクリーム屋台が出ていたり、花屋のリアカーがあったりと、戦時中でなければ歩いているだけでも気持ちが華やいでくるようなところだった。
二人は噴水を中央に据えた駅前広場を東に出て直進し、メインストリートに出たところでそれに沿ってしばらく歩いた。そして、町の中心部にある庁舎横の五階建ての白い建物へと入っていった。どうやらここに軍の作戦本部が設置されているようだ。
建物の中もやはり白をメインにした内装である。だけどそれは町の外観と違って嫌味っぽい白とでも言えば良いのか、ともかく僕は何だか気に食わなかった。後で気づいたが原因は白い内壁ではなく、アクセントとして壁の下部に使われていた黒い模様の気色悪さにあったらしい。
二人はロビーにいた軍服姿の男に案内されて二階の一室にやってきた。中はベージュ系の壁にカーテン、然程広くもなく何の装飾もない部屋だ。部屋の正面には大きなデスクと革張りの肘掛椅子。それに向かい合うように六つの粗末な長机が二行三列に配置されており、それぞれに五つの椅子が並べられている。各席にはホチキスで止められた数枚の紙。すでに数人が先着していた。
ここはベインストックのそれと違い、席の配置がまるで学校の教室のようだった。
やがて、二人が席に着いてから十数分後、奥の扉が開き一人の男が士官達の前に姿を現した。ミサス達は起立する。ちなみにこの頃には席はほぼ埋まっていた。
かなり年のいった男だ。カジより間違いなく上だろう。全体的に線が細い。軍人のイメージからやや離れていると言える。顔と口は小さい。背は高くもなく低くもない。白髪の方が若干多い黒髪を九対一で横分けにしている。前髪も長いが後ろ髪もこの年代の男性としてはあまり見かけない長さだ。髪型だけ見ればペテン師臭くもないが、垂れ気味の細い目の奥に漂わせた陰気な光がそれを否定していた。
彼は士官達の前まできて正面を向く。そして軽く敬礼をしてみせた。それは流れるような動作であり素人の僕から見ても士官達に対する敬意を著しく欠いているように見えた。
だが別の捉え方をすれば彼のそれは、何百何千と飽きる程にやってきた所作であるからこそ身に沁みついており簡単にこなした、と受け取れなくもなかった。返ってそれは年端のいかない者にとって、重みある振る舞いとして映るかもしれない。
続いてミサス達も敬礼をする。やがて全員に着席させた後に、彼も正面の肘掛椅子に座った。そして両手をデスクの上に組むと、抑揚のない声で話し始めた。その上、早口ときている。
「初めまして諸君。
私はドレスバイル駐留軍の指揮官を務めるハレー中佐だ。
まずは昨日の連絡の不備を詫びておこう。
さて、早速本題に入らせてもらうが
諸君らには目の前のその用紙で
自身の小隊メンバーを確認してもらう。
勿論それは各隊員に伝えてくれ。
次に二枚目の用紙を見てくれたまえ。
それには二日後に行われる……
……云々かんぬん」
各隊への指示内容は幾つかあったが、ミサス達に関連することにのみ言及しておく。
二日後、ドレスバイルで簡単な軍事パレードが行われる。大きな戦いを前にした新規部隊のお披露目ということらしい。その後三日間程、ミサス達の小隊は五十キロ北北東に位置するノルツァという小さな町からドレスバイルへ汽車で輸送されてくる武器弾薬その他物資の警備に着く。つまり三往復するらしい。
そして、それが済み次第スタンフォークへ、というものだった。
ちなみに用紙にはノルツァとドレスバイルの位置を示した簡易な地図が載っていたが、右下に湖の左上らしき部分が見えている以外これといって特徴はなかった。




