第二九話 夕焼
ベンチに座って待つこと一時間。
やがて予定時刻より少し遅れ、ロマウナ行きの汽車が高い汽笛の音と共にホームへ入ってきた。
初見ではないだろうと思いつつも、僕はその黒鉄の機体に圧倒されていた。車体が仮に黒色でなくとも結局真っ黒に塗り替わってしまうだろうと思わせる程の黒煙が、その先頭車両の煙突からモクモクと吹き出ている。前頭部の蒸気室を覆う円筒型カバーには、進行方向正面にプレートが付いていて型番らしきものが見える。その上には煤で少し汚れた前灯。
客車は三両。やはり黒一色だ。各車両に引き戸らしき入口が付いていて、その両サイドに三枚づつ大きな四角い窓が据え付けられている。そしてその後ろには石炭やら、貨物やらを積んでいる車両が二両。こちらはホームからはみ出ていた。
僕とカジはその最後尾の客車に乗り込んだ。内装はほとんど木製だった。布張り、紺の二人掛けシートが進行方向を向くものとその逆のものとで向かい合っていた。通路を挟んで両側に、合計で二十席強といったところだろう。乗客はまばらだった。
僕とカジは入って左奥の空いている席へと行き、斜めに向かい合って座った。カジが固そうな上下二枚組の下窓を力任せに押し上げる。木々がこすれるちょっと高い音を立てて窓が開いた。
カジは身を乗り出し、反対側ホームに立つキトの連中に大きく手を振った。連中も約一名を除いて盛んに手を振り返す。口々に『気を付けてな』とか『元気で』とか声が聞こえる。僕は何となく恥ずかしかったのでカジみたいに身を乗り出したりはしなかったけれど、小さく余った窓のスペースから連中に向かって頭を下げて礼を言った。
少しして、再び汽笛が車外に響き渡った。蒸気を徐々に吐き出す音と共に、車内に軽い振動が伝わってくる。そうして窓に映る景色がゆっくり左から右へと動き出した。
それでもまだ上半身を外に出して元気に手を振るカジに、いい加減僕は周りの乗客の視線が気になりだす。いやまあ、乗っていたのは三、四人の大人と子供二、三人ってところだったけれど。
カジの背中をグッグッと二、三度引っ張っていたその時だった。ふと視界の端に腕組みして立つエイダが映る。彼女は僕の視線に気付いたみたいで僅かに口元に笑みを零したようだった。でもそれは一瞬のことですぐにすました顔で『ふん』と横を向いてしまった。それを見た僕もちょっと笑い、カジが車内にその大きな体を戻し始めたのを見て席についた。そしてその時にはもう車内に伝わる振動と音は一層大きくなっていて、汽車は一路、南東のロマウナを目指して走り出していたのだった。
それから二時間ばかり、特にこれといったこともなく旅は続いた。
カジは流れる外の景色を見ながら、船でもらったオレンジをかじっている。僕も通路側の肘掛に右肘を乗せ、頬杖を突きつつ同じ景色を見やっていた。僕は旅の疲れが少し出たのか、それとも朝が早かった為に眠り足りなかったのか、姿勢を崩してやや気の抜けたような表情をしていたと思う。カジがその右隣に愛用の両手剣を立て掛けているのと同様、僕も腰に寄せた片手剣を左手に抱いていた。
そんな僕の後方から無邪気な笑い声と賑やかな足音が近付いてくる。頬杖を突いたままその音の方へ目をやると、三人の子供達が僕らと通路を挟んで反対側の席にちょうど移動してくるところだった。どうやら後ろで親と一緒にいた子達らしい。
男の子二人の向かいに女の子一人が座っている。彼等の座席は海側だ。楽しげに話をしながら時々岩陰から覗く青い海を見て歓声を上げている。車内に響く走行音でその会話の中身まではよく分からなかったけれど、どうやら通っている学校の話をしているようだった。
そんな子供達の笑顔を、眠くなってきた横目で見ながら思っていた。左手に抱えた剣のことも、この旅の目的すらも一時忘れて、僕はぼんやりと思っていた。リーンとアノをシダクへ連れてきてあげれば良かった、と。
今の僕はシダクどころか二人のことさえ思い出せずにいる。アノにいたってはシダクへ連れてきても、僕とリーンが一緒であっても、何一つそうだと認識出来ないのかもしれない。そしてそんな二人の傍で、昔の三人を知っているリーンだけが今はまるで一人ぼっちであるかのように、どうすることも出来ずに立ち尽くしてしまっている。過去も未来も全く見えない。前も後ろも闇に覆われている。どうしようもないザマだ。
どうしようもないザマだけれど。それでも、せめて子供だった三人が一緒に過ごしていたというシダクに、リーンとアノを連れてきてあげれば良かった。本当にそうしてあげれば良かった。
後悔にかられつつも、車内の心地良い振動に揺られ、四肢の意識が薄れていく。子供達の笑い声と笑顔が遠ざかっていく……。
……ごめんな。……アノ、リーン。
まぶたが、重い。視界が段々と、暗く……。
ほとんど聞こえなくなっていた周期的な走行音も、遂には完全に聞こえなくなってしまった。
時間は流れたのだろうか。
閉ざされた闇の中で微かな機械音が断続的に息を吹き返す。伝わてっくる僅かな揺れを背中が再び認識し始める。やがてそれらが走行中の音と振動であることを、まどろむ意識の中で何となく思い出し始めた。
そして何よりも、目を瞑っていても確かに感じることが出来る。先程までは無かった、前方から差し込む光。まぶたの裏にぼんやりと感じる優しく温かい光。
それに誘われるように、視界がゆっくりと開けていった。
徐々に回復しつつある意識に、懐かしい声が語り掛けてくる。
「……寝てたのか?
だいぶ疲れてたみたいだな」
柔らかなオレンジ色の光が車内を染め上げていた。
向かいの座席にはジャン、ケーケ、マアヴェが座り、僕を見て微笑んでいる。すぐ左隣から声をかけてきていたのはバニルだった。そしてその横にアノもいる。
……なんだ、みんな無事だったのか。心配していたんだ。ちっとも行方が分からないものだから。
いつの間にやら座席は緑のシートで七人掛けに、そして窓側を向いている。横方向にスライドして開閉するタイプのもので、相当に大きいやつだ。
その車両側面の窓全てを使って大空に描かれた夕焼けが、ゆっくりと右へ流れていく。それがまぶたの裏に差していた光の正体だった。
白と黄の中間色に輝く夕日は、ゆらゆらと輪郭を崩している。まるで密やかに揺れる水面に写った月のように。その主役を真ん中に据える空は外側へ向かって黄、橙、赤という絶妙のグラデーションをなしていた。
直にその艶やかな色合いは、逆光によって黒く染まった山間へと残らず収められるのだろう。所々にかかったおぼろ雲の影が、その美しさに落ち着きを与えている。
優しげな景色に隣り合わせつつも、汽車は次の目的地を目指していた。




