第二六話 帰郷 序
茅葺屋根、こげ茶色の小型煉瓦を組み上げて造られた簡素な家。この外見では中は一部屋か二部屋だろう。そういう建物が広場の周りに数軒集まっている。その広場の脇には無造作に積まれた木箱や樽、煉瓦、薪等々。それは生活の為の住居というよりも、一時的な仮住まいという感じだった。
周囲に生い茂ったクヌギ等に遮られ、海風もここまでは届かない。来るまでに通って来た一本道は、丈が膝近くもあるような草々を踏みしめて作られた獣道。
自力で立ち上がれない怪我人や、船から降ろした荷物を運ぶ手伝いをさせられつつ、僕等は海岸から十分ちょっとのところにある小さな集落へと案内されてきていた。老人は共に来た他の者達に何がしかの指示を出した後、立ち並ぶ家々の中でも比較的立派な建物へと僕等を導いた。おそらく皆から『村長』と呼ばれるこの人の住まいなのだろう。
中からは食欲をそそる甘辛い香りが漂ってくる。どうやら、海岸に来ていなかった集落の人間が料理をしているらしかった。
『お入り』と老人に言われ、彼を支える年配の男の後に従って僕等三人も木製の扉の奥へと入っていった。
このあたりになっては、僕の警戒心は相当に和らいでいた。
結局のところ、浜辺でやり合った連中のまとった雰囲気は僕等のものと然程違わなかったということだ。それはここに来るまでの間、連中に肩を貸したり言葉をかけたりして実感した素直な気持ちだった。
それどころか今となっては自身の空腹の方が余程深刻な問題になっている。そういう点では僕も、後ろで舌なめずりをしているカジと大差なかったということだ。
やがて僕達は火の入っていない囲炉裏を囲んで座り、とりあえずという感じで目の前に出されたコップの水を頂きながら老人の話に耳を傾けた。カジが非常に残念そうな顔をしている。
「ワシらはな、キトのスラム出身なのじゃよ」
自身も水を飲みながら老人は言う。
キト。聞いたことのない地名だった。だがカジとチタンには思い当たる節があるらしく、意外そうな顔で老人を見た。チタンが僕の方を向き親切に説明してくれる。
「キトというのは東大陸の北西部にある国で
ブレアールからだと北東に位置してるんです。
アスロペンより少し寒いですが
三方を海に囲まれた自然豊かなところですよ。
東国の連合にも加盟していて、文明もそれなりに発展しています。
デスニアとはともかく
中立に近い立場にあるアスロペンとの関係は
それほど悪くありません。
広大な海を間に挟んでいるとはいえ
隣国といえば隣国みたいなもんですしね。
決して数は多くないですが
公に認められた交易船もそれなりに行き来してた筈ですが」
最後の部分に老人は力無く首を振る。
「交易にかけられた税を納めることができない
ワシ等にとっては、
船の商いで生計を立てることは
認められてないに等しいのじゃよ」
ふうむ、というようにチタンが考え込む。
「それで素人の旦那方が密貿易に手を出している
ってワケですかい。
にしたって危ない橋だ。
海洋国家が目を光らせる密貿易は
取引の品もだが、
その規模に応じて段階的に罪が重くなると聞いたことがあります。
これだけの人数だ。
国に見つかれば
下手すりゃここの方々だけじゃなく
その縁者にまで罪が及ぶんじゃ……」
チタンの指摘を、老人は淡々と肯定した。
「そうじゃろうな。
しかしどうにもならん。
国内で働いてもそこで生活していくだけの分を稼ぐこともままならん。
結局ワシらのような者は
国に住居を構えて仕事をする傍らで
こうして法の外に
その身をはみ出さざるを得ん」
「なるほどねえ、せちがらい話だ。
……しかし初耳だ。
キトは東大陸でも有数の海洋大国。
その経済は船舶の技術に支えられた貿易と観光によって
潤っているものとばかり」
「……ふぉふぉ。
チタンさんと言ったかね。
あんた位の年の者なら
この世界の暗黙のルールというやつを
あちこちで見てきておると思うが。
多きに富む者達がおれば
その陰には必ず
少なきに貧する者達がおる。
外面を飾ってみたところで中身はどこも似たり寄ったり
ということじゃよ」
キッチンらしき隣の部屋から手始めにと運ばれてきていた、魚の香草焼きと煮物を自身の取り皿に乗せながらカジが口を挟む。
「なるほどな。
それであんなオンボロ船に乗ってたってわけか」
「ふぉふぉ。オンボロ船とは言ってくれるわい。
まああんな船でもこの村に三つしかない
生命線なんじゃよ。
ところで。
あんた等は何の為にあんな樽の中に入ってまで
ここへ来なすった。
家へあんた等のことを知らせにきた船の者は
ブレアールの自警団だと騒いでおったが。
先程も言ったようにワシにはそれだけの用とは思えなくてな。
なるべく双方にとって
悪くない方へ
話をまとめられると良いんじゃが……」
老人はややかしこまった口調で、僕等の目的へと話題を移した。
魚をフォークで突きつつカジがちょっと戸惑った顔で答える。
「まあ……。
……大した用があったわけじゃねえんだけど、な」
あれだけの騒動を起こした後で中々言える台詞ではない。やや呆れつつも僕は今迄の事を老人に簡単に説明した。
かなり手短に話したつもりだったが、説明が終わる頃には運ばれてきた料理の皿はほとんど綺麗に平らげられていた。布巾で口を拭きながら老人は何かを思い出そうとする顔をした。
「なるほどのう。
その、感覚を持ちながら見る夢の話は
ワシが若い頃にどこぞで聞いた気もするが……。
……まあともかく
船。というコトじゃな。
まず、メイアへ行くやつなら問題はないわ。
その航路の船なら明後日にでもここへ来る。
乗っていくがええわ」
物足りないといったら罰当たりだが、来る途中の船で物騒な計画を練っていた僕等からすれば拍子抜けしてしまうようなあっさりとした承諾だった。ましてやこんな親切な人を質に取ろうとしていたなんて罪悪感さえ湧いてくる。カジも同じことを思ったらしい。それを誤魔化すようにまくしたてた。
「いやあぁ……。
爺さん、話が早くて助かるぜ。
だから俺は、まずは話をしてみてからって思ってたんだよ。
まったく……それをこの小僧が
『樽の中に入って様子を』とか言い出すもんだから
ややこしい事になっちまってって話だよなぁ。
いやあ……ほんと、うん。ははは」
いや……アンタはその前に樽男をのしていただろ。倉庫の床に転がしてたろ。
僕はふてくされた顔でスープの残りを飲み干した。そんな僕の肩を慰めるようにチタンが軽く叩く。
老人は続ける。
「それで、もう一つの行先の方じゃが」
こちらの方が僕にとっては本題だった。
「西大陸クロイン領の東北側海岸部は大きく三つの地域に分けられる。
お前さんの話を聞くに
多分、そのシダクとやらに最も近い海岸は
フロック地方のシナン海岸じゃろう。
そこの沿岸都市部ならワシ等の商売相手じゃ。
……そうじゃな。五日後か。
五日後で良ければここから出る船に乗っていくが良い」
良かった、どうやらシダクへ行ける。老人に礼を述べる僕に対して、その横でカジが眉間に皴を寄せ始めた。彼は僕に懇願するように訴えかける。
「……なあ、
やっぱりそれは、やめとかねえか。
俺はリーンが悲しむ顔見たくねえんだよ。
折角これだけ話がきれいにまとまるってのによ
そりゃお前の気持ちも分からんでもないが……」
……うぬぬぬ。こっちだって折角船が出るというのに、みすみすメイアへとんぼ返りするなんて勿体ないことは出来ない。僕も折れるわけにはいかないという顔で、口をへの字に結んでカジを横目に見る。
ここへきても僕等は結局平行線だった。カジはリーンの気持ちを大事にしろと言う。僕は自分の記憶もそうだが、なにより夢の中の仲間のことを諦めきれない。手遅れになる前にクロインの地へ渡りたかった。
夢だったというのなら、それはそれで良いんだ。あんな仲間達は最初から僕にはいなかった、アノもきっとどこか別の場所で目と頭を怪我したってことだった。……そういうことなら、そういうことで。
だけど、万が一。本当にあの夢が僕のそう遠くない過去だったら、この時間を無為に過ごしたが為に取り返しのつかない事態に、となってしまうのは悔やんでも悔やみきれないじゃないか。
煮詰まってしまった僕とカジの様子に、やれやれという顔で老人が結論を下した。
「まあ、明後日の正午にメイア行きの船が来る。
それまでじっくり考えてみると良い。
ここの雑用を手伝ってくれるというのなら
寝床も提供しよう。
なに、心配せんでも
食事や怪我人の世話程度のことしか頼まんよ」
そう言って老人はカジに軽く片目をつぶってみせた。あるいは、ここへ来るまでの間に、樽男からある程度の話を聞いていたのかもしれない。




