第二三話 上陸
船倉の天板の隙間から月の光が差し込んでくる。上は静かなものだ。船員達はおそらく見張りを残して寝ているのだろう。
それにしても一体どこへ向かっているのか。港の倉庫で樽に押し込んだ男は、船が出てから間もなく目を覚まし、自身の置かれた状況に最初は戸惑っていたものの行先については結局口を割らなかった。
やがてカジも面倒になってしまったらしく、チタンにナイフをしまわせた。まあ、僕等としても騒ぎ立ててくれさえしなければ、取りあえずは問題なかった。今では彼も樽の中へ入り眠ってしまっている。
幸い僕が持っていた乾パンとこの船倉にある食料のお蔭で、飢えを心配する必要はなかった。排泄も船倉の下層にここより更に狭いスペースがあって、そこで済ませられるようになっていた。ここは今でこそ積荷で一杯になっているが、元は倉庫ではなかったのかもしれない。ともかく樽男の話では、この船倉は船の後部にあるということだった。
先程まで眠りこけていたカジがいつの間にか目を覚ましていたらしい。大欠伸をしている。僕の『起きたんですか。』という少々不機嫌な声に、頓着することなくカジは頷く。僕は周囲に声が響かないよう気にしつつ、やや呆れ気味に続けた。
「だいたい……言おうと思ってたんですけどね」
「なんだよ。」
「泳げないなら泳げないで初めから言って下さいよ」
「いいじゃねえか、海に飛び込む前だったんだから」
地声で反論するカジに、僕は慌てて人差し指を口の前に立てる。
「そもそも元軍人なのに泳げないってどうなんですか」
僕の的確な突っ込みにカジはあっ、という顔をして小声ですぐに言い返す。
「……お前。それを言っちゃおしまいだよ?
なら俺だって言わせてもらうけどな。
お前がホントに西大陸で伍長やってたかなんて
怪しいもんだぜ」
「なっ……。
一体何を根拠に」
「昨日倉庫の入口で、
チタンにナイフ突き付けられるまで
ぼーっと突っ立ってたじゃねえかよ。
あんなの俺に言わせりゃ
素人も良いトコなんだよ」
「んがっ」
「大体ここへ来るまでのお前の一連の行動だって
行き当たりばったりじゃねえか。
そんなんで、ベインストックとやらで
参謀顔負けの活躍してたなんて言われたってな」
カジは勝った、という顔をしている。あまり物事を深く考えていないように見えて、抑えるところは抑えている。年の功といったとこなのか。しかし、『そんなイイ年したオヤジが三十以上も下の若者にムキになってんじゃねえ』とも言ってやりたかった。
「すみませんでしたね、行き当たりばったりで。
泳げない軍人も希にいるっていう貴重な情報も
今度から計画に入れておきますよっ」
僕等二人の言い合いに目が覚めてしまったらしい。樽男が樽から這いずり出てくる。
「うっせえなあ、寝てられやしねえ……。
……んあ。夜か」
頭には日よけのターバンを巻き、少々破れたシャツに裾をすぼめた黒のパンツ。年は僕と同じ位だろうか。天板を見上げていた樽男は、僕等の方に向き直って他人事のように聞いてきた。
「……で、あんた等これからどうすんだ。
順調にいってりゃ夜明けには
この船は目的地に着く。
俺を人質にして逃亡でもしてみるか?」
何となく余裕を含んだその顔に、カジが気にくわなさそうに聞き返す。
「だから、その目的地はどこかって聞いてるじゃねえか」
「それは言えねえ」
「……ちっ。
……はん、何でい。
今時流行らねえこんなオンボロ帆船なんか使ってよ」
カジは口惜しそうに樽男を挑発する。だが彼は乗ってこない。
「大体、あんた等どこへ行こうってんだ?
こんな俺達に関わってきて」
「……ふんっ!
教えてやんねーよっ」
……子供か。
カジは悔しそうにそっぽを向いている。どうもこのカジといる時の僕は少しペースを乱されている感がある。
それにしても。ブレアールから北北東へ一日半進んだところにある場所……。僕は頭の中でこの間カジに見せてもらった地図を思い描く。大陸等なかった筈だ。地図にも載らないようなどこかの島に向かっているということか。だとしたら、この樽男を人質にとったところでそこからすぐ脱出を、とはいかないだろう。
カジの隣でそれまで目を瞑っていたチタンがこちらに向き直って言った。
「ブレアールの北の海域には
小さな群島があると聞いたことがあります。
おそらくその中のどっかの小島を拠点にして
他の大陸と密貿易をしているんじゃないでしょうかね。
この方々は」
僕とカジが『そうなのか?』と樽男に詰め寄る。樽男は……右上を見て額に少し汗を浮かべている。どうやら図星らしい。その後、僕等三人はどう行動を起こすかについて話し合った。
やがて、天板の間から見える夜空がうっすらと明るみ始めた頃、船上の方でもドタドタと船員達が動き回る音が聞こえ始めてきた。『帆をたためーっ』とか『信号旗を上げろーっ』等と言った声が聞こえてくる。どうやら彼等のアジトがある小島へと到着するらしい。
この船倉へ来た時と同様、僕等はそれぞれ手頃な樽に身を潜め船の外へと運ばれるのを待っていた。今度はチタンが樽男とセットになってくれている。樽男が仲間に救いを求め一声上げる気配を見せようものなら、チタンは昨日僕に僅かに見せたあの鋭い殺気をもって、迷わず樽男の首筋に当てたナイフを横に引くだろう。
しばらくして、上の方で船倉の入口の蓋が外される音がした。何人かの船員がそこから掛けられた階段を伝って降りてくる気配がする。階段の隣には、それよりも緩やかなスロープとでも言うべき厚板が据え付けられている。そこを利用して、彼等は樽を船上へと転がしていくのだ。
来た時もそうだったが、ゆっくりながらもぐるぐると体ごと回っていく感覚に気持ち悪くなってくる。樽男をチタンに任せて正解だった。
このまま島内の貨物保管場所へと運ばれていけば、その後は再び夜になるのを待って動き出す。そして様子を探りつつ敵の頭を押さえて人質を改めた後に、ブレアールなりクロイン領なりへと船を出してもらう。それが昨晩三人で考えた案だった。
実は行先については、最後まで僕とカジがもめた。
僕は勿論カジ達と別れてでもクロイン領へ行くつもりだった。ここの船員達にはとりあえずブレアールかメイアへ船をつけてもらい、カジとチタンをそこで降ろしてから西大陸へと向かってもらえば良いぐらいに考えていた。
しかしカジが強硬に反対した。
「考えてみりゃよ
西大陸の話をお前さんに漏らしたのはこの俺だ。
これでお前さんが行ったきり帰ってこない
なんて事にでもなってみろ。
俺はリーンに合わせる顔がなくなっちまうよ。
それだけはやめてくれ。なっ」
と言うのである。
加えて僕自身の中でも、昨日の夜に帰れなかった為にリーン達が心配しているだろうという負い目があった。あったのだが、やはり譲れなかった。
結局。結論を出すのは敵の頭を人質にとってから、ということで保留となった。
回転し続ける樽、その板の隙間から差し込んでくる光が大分強くなった。どうやら船上に出たらしい。僕の樽は何番目だろう。カジは前だろうか後ろだろうか。チタンは。まあ何でもいいや、ともかくこの目が回る状況を少しでも早く終わらせてくれ。そう僕が願う間にも樽は転がされていく。
ややあって、船から降ろされて小舟の上にでも移されたらしい。回転は止まったものの地面がゆっくりと揺れている。水が一定間隔でぶつかってくる音もすぐ近くから聞こえてくる。
やがて、小舟を漕いでいるらしき櫂のきしむ音がしてきた。
一、二分程そんな状態が続いたが、直にその音も止む。
どうやら海岸へ着いたということか。船員達が『おい、そっち持ってくれ』、『重いぞこれ』等と言っている。カジが入っているのだろう、きっと。あの狭い樽の中で必死に体を丸めて両手剣を抱き込んでいるカジを想像して、僕は笑いをかみ殺すのに苦労した。断じて笑っていないんだ。けれど。
神様は見逃してくれなかったらしい。
重そうに樽を持っている声がした方から、しまった、という感じに『あっ』と小さな悲鳴が聞こえてきた直後だった。
ドッゴンッ!
鈍い大きな音に続いて水飛沫が派手に上がる。おまけに時を同じくして、聞き覚えのある野太い声が漏れた。
「あだッ!」
誰がどう聞いても樽の中から上がりましたというその声は、大樽の落下、着水という些細なアクシデントに振り返った周囲の船員達を一斉に警戒させた。
もう……。
次にどこか遠出するときは、このオッサンと一緒には行動しませんから。
そう自分に固く誓ってから小さなため息を吐いた後、僕は樽の蓋を勢い良く蹴破った。
樽の外へと飛び散ったトウモロコシが小舟の周囲にパシャパシャッと落ちていく。そんな中、木剣を手に立ち上がった僕が目にしたのは、すぐ脇で浅い水底にめり込む樽から巨体を這い出させてきたカジと、その周囲にナイフやシミターを手にして集まりつつあった十人程の船員達だった。
ヴォルテールとでも表現したら良いのか、鮮やかさを欠いたブルーとグレーを混ぜ合わせたような色の浅瀬。そこにたゆたう茶色い三艘の小舟と、その周囲にアクセントを与えるように浮き散ったトウモロコシの黄やオレンジの橙。
ゆっくりと昇り始めた朝日が、武器を手にしていきり立つ僕達の場違いさを際立たせるよう、その舞台をつつましく優しく照らし出していた。




