第二十話 来客
メイアの港町が見渡せる丘まで来ると子供二人は駆け出していってしまった。
彼等の背中に『おばさんに知らせてあげてーっ』と叫ぶリーンはもう普段の彼女だったのだが、僕は声を掛けられずにいた。
町外れのレメア孤児院――言ってなかったかもだがリーンのファーストネームだ――に着いたのは正午過ぎだ。
院の中からは豪快で野太い笑い声が聞こえてきていた。リーンが『あれ。』と少し考える顔をしつつ扉を開けて中へ入っていく。当然に僕も続く。
どうやらダイニングルームの方から聞こえてくるらしい。足早に向かったリーンが勢いよくドアを開けて歓声を上げた。
「やっぱり! 来てたんだ」
リーンの後から部屋へ入った僕は少なからず驚いた。
椅子が押し潰されてしまうんじゃないかと思う程大柄な男がおばさんと向かい合っていた。こちらへ振り返ったその日焼け顔は熊に似ていなくもない。
「久しいな、リーン」
角刈りの黒頭には白髪も少し混じっている。五十そこそこといったとこだろうか。ただもみあげと繋がってる顎鬚は無精髭のようでもあるし、額隅の小さな傷跡を見るともう少し若そうにも思える。
「笑い声ですぐ分かったわよ。あんな馬鹿でかい声で笑う人、他にいないから」
「相変わらずご挨拶だな、お前は」
二人の再会を気にも留めずおばさんが立ち上がった。
「アンタ達、キルから今聞いたよ。聖堂でミサスが倒れたんだって? 大変だったそうじゃないか」
「うん……。
ちょっと教会の中でも様子が変だったから早く気付いてあげるべきだったんだけど……」
そう言ってリーンは、ばつが悪そうに僕を振り返る。キルが話してしまったらしい。あまり心配させるのも何となく申し訳ない。
「大丈夫だよ、何でもなかったんだから」
弁明してみたが、おばさんがそれ見たことかという顔でまくしたてる。
「だから言わんこっちゃないってんだよ。おばあちゃんが変に自信もって言うもんだから行かせちまったけど。アンタ、やっぱりまだ大人しくしてた方が良かったのよ。
昨日は、向こうの家に夜になっても帰ってきた様子がなかったから心配してたんだよ」
おばさんの話が長くなりそうだと思ったのか。熊っぽいおじさんが割り込んだ。
「おい、リーン。誰なんだこの坊主は」
「あ……そうか。おじさんもミサスも初めてだったか。えーと、おばさんからちょっと聞いてるかもだけど、この……」
そう言って右手で僕の腕をぐいと引っ張る。
「ちょっと頼りなさそうなのがここに住み込みで働いてるミサス。ファミリーネームは……まあ、いっかどうでも」
おい。
「そんで」
そう言って今度は少し丁寧に男の方へ掌を差し出し、僕を見る。
「この大木と見紛う大男こそおばさんと、私の母の昔馴染み。カジ…………カジ、なんだっけ?」
そう言って決まり悪そうに助けを求める。
「カジ・ゴーニアだ。よろしくな小僧」
目の前に立たれるとそれこそ木陰に入ったような気になる。
ニカッと白い大きな歯を覗かせて笑い、太い眉まで一杯に開いた黒い目ん玉が真っ直ぐに僕を見下ろしている。そして握手を求めてきた。
『どうも』と言って差し出す僕の手を、骨が砕けるんじゃないかという位に強く握って上下に振る。
「まあ、仲良くしてやってあげて。それはそうと……今日はどうしたの?」
カジに対し、まるで友達みたいな口をきくリーン。それをまるで意に介さずカジが答えようとした時だった。
「あの……よろしゅうござんすか」
カジの脇から細い遠慮がちな声が上がる。実は部屋に入った時から僕の視界にも入っていたのだが、カジが押し広げるあまりの存在感に、とりあえず後回しになってしまっていた。
カジとは正反対の小柄な男、気の弱そうな目がこちらを見上げている。こちらへ歩み寄ってきた彼は丁寧に頭を下げた。よく見れば、その小さな目は気弱というより一癖ありそうな、と表現する方が正しそうだ。年はカジより少し下に見えるが、やや生気に欠けた表情のせいかあまり変わらないようにも思える。
「あ、ゴメンゴメン。
この人は、チタン。チタン・タンガーさん」
リーンが慌てて隣に立って紹介する。そういう存在を忘れられ易い、と言っては何だが、ともかくそういう扱いには慣れているらしく、一向に気にする様子もなく彼も僕に手を出してきた。僕も手を差し出す。
一通り挨拶を終えた僕達は、直後に『おかえりー』と部屋に入ってくるなりリーンの足にしがみついてきた女の子、クリスを加えテーブルについた。
『カジとチタンが来るというので、子供達と共に昼を先に済ませた』と言って、おばさんが僕とリーンにリゾットを持ってきてくれる。考えてみればブレアールを出た後は歩き通しでろくに食べていなかった。僕とリーンは、カジとおばさんの会話に加わらずスプーンを動かし続けた。何が嬉しいのか、クリスは頬杖をつきながらそんなリーンの食べっぷりを満足そうに見ている。
「じゃあ、辞めてきたってのかい!?」
話の最中に突然大声を出したおばさんにクリスがびくっとする。そんな彼女の栗色の頭を、僕より先に食べ終わって一息ついたリーンが撫でた。
「ああ。まあ、な。……そんなに怖え顔するこたねえだろう。何か悪いことでもした気になってくるじゃねえか。それによ、俺の不満なら散々聞いてきたろ」
カジはまるで母親に叱られた子供の如く言い訳していた。
「そりゃ……上役の不満とか軍の方針とかにケチつける程度のはね。だけどアンタ、いくら何でも早まり過ぎだろ、辞めるなんて」
「ホント奥さんのおっしゃる通りですよ。あたしも散々止めたんですけどね。
何せ一度言い出したら聞かないですからねえ、この旦那は」
隣で聞いていたチタンも便乗する。
「うるせえ。そもそもアイツ等がおかしいんだ。何のかんの理屈つけて――
「ちょっと、お待ちって。あんたはこんな真昼間から結局またいつもの愚痴をこぼしに来たわけじゃないんだろ?」
「ああ、そうだった。いけねえ、いつもの癖でつい」
カジは頬をかいている。
「つまりよ、グレスターにいる意味も無くなったしよ。あいつ等と顔合わせんのもつまんねーからこっちに戻ってくることにしたってのを伝えに来たんだよ」
「はあ。そうかい。
確かに向うに留まってちゃどの面下げてラディン卿にその小汚い顔見せるんだってなるわね」
後からおばさんに尋ねたところ、グレスターというのは僕らが今いるアスロペンという国の首都、ラディン卿というのはロアの叔父らしい。カジはそのラディン卿の下に仕えていた軍人らしい。
そのラディンという名を聞いた途端、カジは面目なさそうに顔を俯かせた。
「……」
「悪かったよ、そんなに情けない面すんじゃないよ、ヒグマがしょげたって可愛くも何ともない。
……で?いつ越してくんだい」
「……おお、次の日曜だ。空家同然になってた実家の荷物も整理しなきゃいけねえとこだったしな」
「そうか……そうだったね。
アンタも?」
おばさんがチタンに振る。
「ええ。あたしは別にこっちに住み着こうってつもりは無いんですけどね。まあ、この旦那とも長い付き合いですし。しばらくこっちでゆっくりしていけって言ってくれるもんですからね。少し厄介になろうかと」
「なるほどねえ。
それで?これからどうすんだい」
「おお、まあ、……な」
それは、とばかりにカジは困ったような顔をした。
記憶を失った僕が今まで接してきた大人の中では最も子供っぽい人に見える。
「……なに!? 考えも無しに辞めてきたってのかい。
……はあ。ホントあんたは変わらないね。むしろ気持ちいいくらいだよ、そこまでいくと」
にやりと笑うカジ。
「……よせよ」
「バカ! 褒めてやしないよ」
「なんだよ。
まあ、知り合いの漁師の手伝いでもしながらとりあえず考えてみるからよ。金なら幸い今まで貯めた分が結構あるしな」
そこまで黙って話を聞いていた僕は、この人にならと思い付き、提案してみた。
「あの……。じゃあその。荷物整理の手伝いに行きますよ、僕。
おばさん、構わないでしょ? 日曜だし」
隣のリーンの顔をできるだけ見ないようにしつつ、向かいのカジとおばさんを見る。
子供達のことは申し訳ないけれどリーン達に見てもらおう。
カジが顔を綻ばせ僕を見てくる。
「お前……見かけによらず気が利くなあ」
……その返答は予想していなかった。
僕はカジに軽く苦笑いしながらおばさんの方を窺った。
「ああ……こっちは良いけど。……あんまし無理すんじゃないよ。このオヤジとアタシは知れた仲なんだ。気分が悪くなったら遠慮なく休ませてもらいな」
リーンには悪いけれど、やはり動かないわけにはいかない。おばさんやおばあちゃんを頼らないのはせめてもの気遣いだと思ってくれ。僕はそう勝手に自分に説明し、事情を何も知らずに僕の両手を握って喜ぶカジに愛想を返していた。いつからかクリスはカジの太腿を椅子代わりにして座っている。一体どのような事情で軍を辞めてきたかは知らないが、その裏表の無さそうな熊顔にはこれっぽっちの影も見えない。
はてさて。先も向きも分からぬ程千々にからまり合ったかに見える運命の糸は、ゆっくりゆっくりと、しかし確かに、それに結われた者達を引き寄せつつあったらしい。




