第一九話 帰路
ゆっくりと、眼を開ける。
ダマスク柄の白い天井、そこから吊り下げられたシンプルな装飾のランプシェードと電球が見えてくる。そして、心配そうにこちらを見下ろしているキル。
「あっ。起きた! 気が付いたみたい」
そう言って後ろを振り返る。どうやらここは部屋の中らしい。隅のベッドで寝かされていたようだ。キルの声にリーンとジャンが駆け寄ってくる。
「良かった。目が覚めたのね」
胸を撫で下ろして言うリーンを見て僕はちょっと安堵した。どうやらようやく、元の体に戻れたらしい。
「……ここは?」
「あのおじさんが営んでる宿よ。あなたをここまで運んでくれたの」
少し考えて、その『おじさん』がブレアールの教会堂前で声をかけてきた髭のおじさんであることに気付く。宿屋の主人だったらしい。何だか恥ずかしいところを見せてしまったようだ。そして、その直後に一番重要なことを思い出した。
「……あの男は? あの金髪の……」
その質問にリーンは少し表情を硬くしたように見えた。
「……ロア皇子のこと?」
「……じゃあ、やっぱり、あれがデスニアの」
ジャンが不服そうにしながら会話に割り込んでくる。
「聖堂での戦勝報告の儀式ならもうとっくに終わっちゃったよ。皇子なら今頃船の上じゃないの。
ミサ兄倒れちゃったせいで、最後まで見れなかったんだからな」
「……そうだったのか。
悪かったな、二人とも」
謝る僕に返って戸惑うジャンとキルは首を横に振る。リーンが少し戸惑うような顔をしたが、僕は意に介すことなく尋ねた。
「あれから、どれ位たった?」
「……六時間位かしら」
壁時計は二十時ちょっと前を指していた。六時間……夢で過ごした程にこちらは時間が経過していない。
大体状況が掴めた僕はまた眠気に襲われてきた。あるいは気が緩んだのかもしれない。
「そうか……。……ごめん、もう少し寝させてくれ」
リーンはさっきから僕に少し驚いていたみたいだったが、すぐにそっと『おやすみ』と言って、布団を肩までかけてくれた。後でおじさんにもお礼を言わないと、等とぼんやり思っているうちに、僕は久し振りに穏やかな眠りへと落ちていった。
翌朝、『思ったより大したことなくて良かった』と喜んでくれる人の良いおじさんに丁寧にお礼を言い、苦労して宿代を受け取ってもらったものの、逆に赤ワインを一本頂いてしまい、恐縮しつつ僕達はその宿を後にした。
メイアへの帰り道は、行きとは反対に緩やかに登り道が続く。それでもようやく我が家に帰れるという喜びからか、子供達二人の足の運びは軽やかだ。僕とリーンの大分先を行っている。
相変わらず左右の景色には鮮やかな緑と僅かな紫が点々と広がっていた。来た時とはまた異なる思いでその眺めに心を奪われつつも、僕はリーンに確かめねばならない件をいつ切り出すべきかとタイミングを計っていた。
「何か教会の外も中も人だらけで大変だったね」
「ああ」
自然、相槌も上の空になる。
「地下の聖堂にはそれなりにびっくりしたし、メイアの教会なんか比べものにならない程広々としてたけど。まあでも、あそこまで苦労して並んで見た割にはちょっと物足りなかったかなーって」
「うん」
「ロア皇子もそこまでイイ男ってわけでもなかったし。こう金髪をさらっと翻しちゃってさ。気取り過ぎだよ」
「そうだな」
「まあ総じて今回の催しに点数つけるなら七十点ってとこかな。私なら、もっとこう、聖歌隊とか横に並べちゃって花なんか敷き詰めてさ。派手にぱーっと……」
「ああ」
「……。
……ミサス?」
「ん?」
リーンが心配そうに僕を見てくる。そして、言い出し難そうに言った。
「……ひょっとして……何か、……思い出した?」
「いや、思い出したってわけじゃないんだけど」
足元を健気に飛び跳ねていく小さな青ガエルに目を移しながら、僕はぼそぼそと返事する。
「……そっか。……そっかそっか。なら良いんだけど。
あ……。良くないのか。あははは、ごめん」
リーンは明るく笑ってみせた。
あの夢に確かに見覚えはなかった。でも、登場してきた人物達がさも昔からの知り合いみたいに僕に語りかけ、怪我も病気もしていないアノはリーンの名前まで口にしていた。それも戦場で。今この時間、この場所と何か繋がりがあるのか。確かめないわけにはいかなかった。
「……あのさ――
「ミサスさっ」
「え」
意を決して切り出そうとした僕にリーンがストップをかけた、ように見えた。
「何か気のせいか……その、雰囲気変わったみたいだったから。……いや、私はそっちの方が話し易いんだけどね。ほら。前のミサスは『そう。』しか言わなかったから」
澄まし顔で僕を真似ているつもりだろうか。全然似ていない。だけどそんな事より、僕は指摘された内容に少しショックを受けていた。
そうだ。一体いつから……。
急に立ち尽くして俯いた僕に、リーンも立ち止まって振り返る。そして僕の顔色を窺っているみたいにおずおずと話し出した。
「あのね。怒らないで聞いてほしいんだけど。
その……。
……無理に、思い出す必要ないんじゃないかな~、なんて」
「……え」
何を言い出すんだという僕の声に、リーンはまるで聞きたくないという様に顔を逸らした。その横顔の、さっきまでとは打って変わった暗い目に僕は思わず口ごもる。
「……きっと…………きっと。
頼むからもう勘弁してくれよ……って位嫌な目に遭ったんだよ。
だってそうでしょ。記憶を失うなんて……」
そうしてリーンは僕を再び正面から見つめた。もうその顔は微笑んでさえいた。
「いつか……いつかさ。
思い出せない……ううん、思い出すべきじゃない事は全部忘れて、さ。
昔、」
そこでリーンは少し言葉を区切った。
「……昔、私とアノ君と三人で笑ってたあの頃のことだけ、
ああ、そういえば……って思い出せる時が……さ」
まるでこの先にはもう、悲しいことも、つらいことも、そして寂しいことも何一つ待ち受けてはいない。そう一生懸命僕に信じ込ませようとしている、そんな笑顔だった。
でも……そんな。……そんなわけにいかないだろ。もしあれが僕の過去だというなら、もしかしたら、こうしている間だって大変な目に遭っているかもしれない仲間を、今のいま、放っぽり出して僕は一体何をやっているんだってことになる。そうだろう。こんな……。こんな静か過ぎるくらい平和な場所で……僕を目の前で心配してくれる人さえいる、こんな所で。そう怒鳴りたかった。
……だけど、気が付けば。
崩れてしまったら私の負けでいいとでも言わんばかりの、その精一杯取り繕った笑顔は、今にも溢れ出しそうな大粒の涙を湛えている。それを必死にとどめようとするリーンを前にした僕は、どうしても言い返すことが出来なかった。




