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月の刻限  作者: ゆいぐ
第一章
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第一八話 暗転 終

 小城こじろからやや離れた樹林では辺りに薄闇が広がり始めている。対して上空に浮かぶ月はベージュ色のぼんやりとした真円を描き、次第にその存在感を増しつつあった。


 追撃を一旦止めたミサス達先行軍は茂みに潜み、戦場から逃げてくるクドンの兵を奇襲した。そしてその亡骸からプロテクターとアンダーシャツを剥ぎ取り着替える。小一時間程でクドンの偽兵ぎへい一個小隊が出来上がった。

 そうして後から追い付いてきた味方部隊を待機させ、ミサス達先行軍は小城へ。


 あとは、まんまとその格好に騙され、小城の中へと引き入れてくれた守備兵を、不意を衝いて斬り倒しつつ、時間差で砦の前まで来ていた味方連中を中へ引き入れることで、その晩のうちに小城は陥落してしまった。

 もっとも指揮官のクドンはミサス達の前に姿を晒すこともなく、闇の彼方へと落ち延びていってしまったようだったが。


 敵のいなくなった城内を見回ると同時に、ミサス達は城の後ろを流れるレデヌ川に停泊された渡河とか用の船を焼き尽くし、ベインストックで待つ軍曹宛てに陥落の書簡を送ると同時にモールス信号を打電し、さらには念のために付近に斥候を出したところで、その日の作業を終えた。


 夜はすっかり更けた。


 ミサスは城内の物見台まで来ていた。隣には右腕に包帯を巻いたアノがいるのみだ。

 カンテラ一つの薄闇にはささやかな月光かりが差していた。静かに流れるレデヌ川の風がミサスの頬を優しく撫でていく。


 ミサスはあの醒めた目を、眼下に滔々と流れるレデヌ川へと向けていた。見ていたのは川面に浮かぶ月だ。その表情に、昼間の戦闘で見せた殺気や高揚は欠片も見当たらず、ただ重苦しい陰りを帯びさせていた。

 アノも川面の月を見つめたまま、ミサスに尋ねる。


「疲れたのか」

「……ああ」


 それを言うのがやっとだというような、腹の底から絞り出したようなミサスの小さく短い返事だった。


「……そっか」


 それきり二人は黙ってしまい、流れゆく川にゆらゆらと浮かぶ月を見ていた。

 罪が心の内へ収まっていく。そのあいだの沈黙だったのかもしれない。 


 どれ位経っただろうか。ミサスがぽつりと言った。


「どうしてだろ」


 声に感情が無い。

 彼はもう川面の月を見ていなかった。その瞳はただ漠然と、遥か地平線の彼方に佇む闇を見ていた。


「死んでいったスス達の無念を晴らそうとして。生き残った仲間を守りたくて……ここまで来たはずなのに。逆にあの場所や時間から離れちまった気さえ、する。 

 同じ思いで軍に入った筈のあいつらだって今はもう、どこかあの頃とは違う。ケーケは、あんなに暗く思い詰めるように呟く奴じゃなかった。ジャンだって、あそこまで怪我して戦い続けるような奴じゃなかったんだ……」


 そこまで一息に言って、その後急に、分からないというようにミサスはぼそっと口走った。


「俺達みんな、どっかでなにか間違えたのかな」


 それはアノに問いかけるというよりも、彼自身を省みるかのような呟きだった。そのまま彼は続ける。


なにか」


 ミサスの視線は、まるで囚われてしまったかのように彼方の闇から動かない。


「何か、このまま……」


 あたかもその闇が呼び水となってしまったかのように


「このまま進み続けたら、結局最後はみんな俺の傍から、


 彼は心の底深くに沈み込めていた言葉を汲んでいき――


「いなくならない」


 隣で聞いていたアノが、ミサスに終わりまで言わせなかった。


「俺は、いなくならない」 


 迷いのない声でもって、釣瓶つるべに満ち満ちた水を、その桶ごと泉の奥底へと押し戻した。ミサスの視線がゆっくりと闇から離れていく。やがてその先にアノを捉えた。

 アノが見ていたのは、川面に弱々しく浮かぶ月でも、先の見通せない闇でもなかった。彼の目はしっかりと目の前のミサスを見ていた。そして、ミサスに言い聞かせるよう続けた。その言葉の裏には、何年も何年も一緒に過ごしてきた二人の年月があったんだろうか。


「これから先何があっても俺はこうやって、お前の隣で愚痴を聞いてるから。だから、もうそんな顔するな。それで……」


 アノは、そこで何かを想像したらしく、ちょっと楽しそうに笑った。


「そうやって……そうやってさ。いつかこの戦争が終わってシダクに帰れたら今度はみんなで、リーンのあの懐かしいふくれっ面でも拝みに行こう」


(リーン……。メイアのリーンなのか)


 その名前を耳にして、ミサスは少しづつ自分を取り戻していったようだった。ゆっくり頷く。


 「……ああ、……そうだよ、な」


 そうして、アノの前で弱気になっていたことを急に後悔したらしく、軽く毒づいてみせた。


「……へへ。

 ……にしたって、そういう優しいセリフはマアヴェに言ってやれよ。……あ。既に手紙で何百回と書いてんのか」


 アノは少し安心したように、『コノヤロウ、調子にのりやがって』と怒ったような顔をしてみせた。


 やがてアノは、『もう疲れたから寝よう』と言ってその場を去りかけた。そんな彼の後ろ姿を見たミサスが呼び止める。


「……あ、なあ。そういやその傷」

「ん? ……ああ、これか」


 まだ石壁に寄りかかりながらミサスが指差したその先、確かにアノの右手首には包帯が巻いてあった。


「ここへ向かう途中でやられたんだって?」

「ああ。かすり傷だ、どうってことない。子供だと思ったら反応が遅れちまった」

「子供?」

「ああ。あのシルエットは多分……。全員一様に、ほら、ヨウ位の背格好だった」

「へえ……。部隊として編制されてたってことか? 

 以前から小城の守備兵の中にいたのか。そんな報告聞いてなかったけどな……」


 少し納得がいかないという顔でミサスは首をかしげる。


「うーん。そういう事になるのかな。

 ここから一番近い敵の拠点だって軽く三、四十しじゅっキロ……。軍用トラックにあんな子供達だけ乗せて連れてくるって話も無さそうだし。

 何にせよ、辺りも暗くなってきてたし『明日調べてみるか』って士官が言ってたよ」


 それ程大した傷ではないのだろう。アノは怪我をあまり気にする様子もなく階段を降りていった。

 にしても、避難民にさせるだけでは事足りずに、戦争にまで駆り出すとは身勝手が過ぎる。この戦場にはルールも無いらしい。僕は昼間の殺し合いすら忘れ兼ねない程に不愉快極まりない気持ちになっていた。 

 だが、そんな僕の思いを無視するかのように急速にその意識が途切れ始め、ミサスがまだ起きているにも関わらず、辺りは本当に真っ暗になっていった。


 *  *  *


 後から思えば、この時、束の間の平穏に身を休めようとするミサス達のところへ、彼等が送ったものと入れ違う形で、軍曹から一通の書簡が届きつつあったのだ。

 それは、ウエスカを起点とした反攻作戦の中止に加えベインストック駐留部隊及び市民に撤退、退避の命令が下ったこと、それに伴う部隊再編を告げるものだった。

 つまり。事実は冷たく彼等の前にただ横たわっていた。


 *  *  *

 

 ……暗い闇の中で誰かが話している。


「……ったん……な」


(?) 


「……この……んだろうから……」


(一体……)


 不意に、自分が世界のなかへストンと落ちてきたように視界が開け、途切れ途切れの声も徐々に明瞭になってくる。

 目の前にいるのは軍曹、ゴートン、クルイだ。三人とも背に深緑色の大きなバックパックを負っている。その姿は一様に埃にまみれ、既にここまで長い道のりを歩いてきたことを思わせる。

 背後には茶色い砂地が広がり、右奥に横たわる小高い丘付近には丈の低い草がまばらに見える。青い空には幾筋かの白い雲が浮かぶ。そして彼方には、徐々に遠ざかっていく長い長い隊列が見える。


「……だとは思うが。 

 しかし残念だな。お前とはこの先も一緒にやってみたかったんだが」


 目の前で、やや心残りといった顔をしているのは軍曹だ。


「俺達も残念です。

 散々好きにやらせて頂けたのも貴方のお蔭でしたし。本当に迷惑掛けっ放しですみませんでした」


 答えるミサス。傍にはアノ、バニル、ジャン、ケーケ、マアヴェがいる。さらにその先には、先程の隊列とは異なる方角を目指す別の一群が見える。こちらもミサス達から遠ざかっていく。


「気にすんな。俺が認めていたから使った、それだけだ。

 ドレスバイルへ行っても生き残れよ、何としてでも」


 そう言って軍曹は少しだけ顔を曇らせながらミサスと固い握手を交わす。続いてバニルの肩を叩き、他の面々にも短く声をかけていく。そうした後、『じゃあ行くから』と告げて軍曹はそれきり振り返ることなく、先に行く人々を追うように一人歩き出していった。


 クルイとマアヴェが名残惜しそうに抱きしめ合う。


「……せっかく一緒になれたのにね」

「また会おう。今度はシダクで。絶対」


 離れがたそうにするクルイの両肩を掴み、その正面からマアヴェが力強く微笑む。クルイがその笑顔につられ、ようやく僅かにその目元を綻ばせる。

 一方で、ゴートンがミサスに言ってきた。


「……今更言うまでもないけどバニルのこと、頼むな」


 ミサスが頷き、バニルは憎まれ口を叩く。


「ったく、ほんと今更だぜ。いつまで大将気取ってやがる」


 ただそれは彼にしては珍しく強がっているように思えた。

 クルイも、マアヴェから一歩後ずさりミサスを見据えて言う。


「ほんと、敢えて言っとくけどマアヴェに何かあったら、許さないからね」

「ちったあ俺達のことも託せよ」


 包帯で吊った右肩にジャケットを羽織るジャンが、少しひがんでみせる。


「アンタ達のことは何も心配してないわよ。殺しても死なないような連中なのは昔から知ってるから」


 確信を持って言うクルイに、ケーケが『それもそうだ』と快活に笑う。どうやらこここから先、ゴートンとクルイの二人は別の目的地へ向かうようだった。ミサスの様子から、あの砦の夜のような気弱さはもう感じられない。だがそれが繕ったものなのか本心なのかは、分からなかった。

 二人もまた、別れを告げてミサス達から離れてゆく。


 そうして次第に小さくなっていく後ろ姿に、ジャンが呟いた。


「また会えるよな」


 それはそこにいた他の五人もまた、強く胸に抱いていた切なる願いに違いない。どこまでもどこまでも続いていく空と大地が、二人の戦友を包み込むように見守っていた。


 空高く放った石ころが落ちてきた後にもう一度だけ小さく跳ねたかのような、その短い夢の幕が降りる音を聞いた気がした僕もまた、せめてこの場から消えゆくまでの間、あの八人の為に祈らずにはいられなかった。


 *  *  *


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