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月の刻限  作者: ゆいぐ
第一章
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第一七話 暗転 四

「突撃ィッ!! かぁかれえぇェェッ!!」


 味方の中央から突如として上がった声を合図に、ミサス達後軍は乱戦と化している戦場へ怒涛の如くなだれ込んでいった。戦端が開かれた頃の勢いを失くし始めていた戦場に新たな鬨の声が、力が、思いが混じり合っていく。

 そんな中、ミサスは右翼中央の先頭集団を駆けていた。その両掌りょうてのひらが、僅かに冷たい汗をかき、視線は目まぐるしく移っていく。やがて彼は加勢すべき場所を選択したらしく、抜刀しつつ走行速度を一気に最高点へと持っていった。背中からはケーケ達仲間の喚声が追いかけてくる。


 だが、そんな差し迫った状況を拒絶するかのように、僕は一つの考えの中へ自らを埋もれさせようとしていた。

 

(僕は……。

 人を斬ったことは、無い。……無い筈だ)


 そうであってほしいと願うように。この現状と自分とは一切無関係であるのだと言い聞かせるように。

 ……それなのに。

 南町の路地でチンピラに抱いたあの明確な殺意が蘇ってくる。ブレアールの地下聖堂で金髪の男にぶつけ損ねたあの黒い感情が蘇ってくる。あたかも、それらは人を殺めた経験を糧としなければ生み出されないと、誰かが僕に囁いているかのようだった。

 憎い、よりも、殺したい。そういう部類に位置する衝動。それはおそらく、手を汚しその結果を体感した者しか抱くことは出来ないのではないか。

 だがそこまで辿ってしまって尚、受け入れ難かった。これから数秒先に知るであろう感触は。

 

 そうやって僕が逡巡しているうちに、もうミサスは対象を決めたみたいだった。

 傷だらけの白い軽装のプロテクター、破れかけた紺のアンダーシャツを身にまとった一人の男。背は、ミサスより少し低く見えた。その疲れ果て、血に汚れた表情が、迫りくるミサス達を捉えこちらに向き直る。だが重そうに剣を支えるその両手に最早力は感じられない。


 そのかんにもみるみる距離は詰まっていく。そして。


 僕に分からなかったその境目をミサスが踏み越えた瞬間、剣を握っている右手に信じられない位の力がこもった。そのまま斜めに振りかぶり、一気に振り下ろす――

 寸前、ミサスの視線が男のそれと交錯した。


 虚ろな瞳だった。


 凄まじい圧力を受けた男の体が宙を舞う。

 落ちてゆく男の二つの瞳が一瞬鮮やかな青い空を見た、時にはもう体ごと地面に落ちて二度と動かなくなっていた。

 か細く聞こえた呻きを、返り血のぬくさを、切り裂いた時の肉の感触を。確かめるもない程に僅かなかんの出来事。人を殺したと表現するにはあまりに呆気ないやり取りだった。


 けれどそれを意識する時間すらも戦場は与えてくれない。


 傍でミサスに気付いた別の敵が恐ろしい形相で絶叫して迫ってくる。


「おおォォーーーッッ!」


 またしても一瞬のこと。

 銃剣を素早く突き出してきた相手を左へ躱しつつ、その左下腹部ひだりかふくぶから右肩へ斬り上げた。既に幾多の衝撃を受けて歪んでいた相手のプロテクターがミサスの剣先に引っ張られ吹っ飛んでいく。膝を付き頭から突っ伏すそのかばねに見向きもせず、ミサスはすぐ向こうで味方と剣を交える新たな敵の横顔目掛け、もう突っ込んでいく。

 敵はすぐこっちに気付いたが、ぎりぎりのところで持ち堪えていたらしくミサスへの反応が半歩間に合わない。首筋を狙って描いた切っ先は容赦なくその命を絶った。


 相手が疲労困憊(ひろうこんぱい)していようが瀕死だろうがミサスは全く手加減しない。斬っては次を探し、探しては斬る。そんな風にしながら、足を止めることなく彼は戦いの場を南へ移していく。視線は相変わらず忙しなく移っていく。掌の汗は返り血と混ざってその冷たさも分からなくなっていた。後ろから付いてくる小隊のメンバーも二、三人逸れてしまったみたいだ。


 そんなミサスの動きが、戦場中央まで来たところで何かを視界の端に捉えて止まった。

 視線の少し先にいたのは、一人の小男に向かって大剣たいけんごと体重をかけ、押し切ろうとする敵の後ろ姿だ。そしてすぐに、劣勢の小男がジャンであると僕にも分かった。


 躊躇なく走り出したミサスの横を、さらに一瞬早く抜き去っていったのはバニルだった。

 ……三、四歩目は数メートル先にある敵の背中目掛け跳躍していた。

 ついにはジャンの剣が重さに耐え兼ねてへし折れ、敵が大剣と一緒にドサァッと覆いかぶさった。ただその時にはもう、そいつの後頭部へ突き立てられたバニルの剣がその意志を奪い取っていた。


「……わ、りい。助かっ、た」


 最後の力を振り絞り敵の下から半身だけ這い出てきたジャンは、そのまま力尽きてしまった。多数の細かい創傷は勿論のこと、右肩をあけに染め、左肘と背中は金属製のプロテクターが歪曲していた。

 そんなジャンを、遅れて追い付てきたアノとゴートンが引っ張り出した。


「お前、銃は」


 自身も息を切らしつつ気遣うケーケにジャンが答える。


「そんなもん、……とっくに……どっかにいっち、まったよ」


 泥と血の下から覗くその情けない顔にそれでも安心したようにケーケが小さく笑って付け加えた。


「だから剣の修練もしとけって言ったろ?」


「……次からそう、するよ」


 小さく安堵の息をついたミサスの視線は、もう戦場を忙しく探し求めることをやめていた。

 その時になってようやく、昨晩のケーケの言葉にミサスが手を小さく震わせた意味を僕は知った。きっと怖かったんじゃないだろうか。


 勿論、すぐに指示を出すミサスの声からそんな感情は毛程も見えなくなっていた。


「アノ、ゴートン。ジャンを後方へ連れてってくれ。最後尾にはじきクルイ達も来る筈だ。

 その後は、前軍も動き出すだろうから近くの隊に付いてくれ」


 頷く二人に、ジャンが意地を見せる。


「……大丈夫だっ、て。……テテ、テ。てめーのケツ位てめえ、で……」

「馬鹿野郎、お前の仕事はここまでだよ。十分過ぎる位だ。

 あとは何も心配せずゴートンの背中で寝てろ」


 ケーケの乱暴な優しさに少し涙ぐむジャンは、ゴートンの広い背に負ぶわれ、アノと共に戦場を後にした。


「敵が退き始めたな」


 周囲を見渡しバニルが言う。

 退却の指示が出たという程まとまったものではなかったが、確かにちらほらと背中を見せる者が現れ始めていた。後方から現れた新手を見て、体力の削ぎ合いをさせられていたとようやく気付いたらしい。


「……ああ。残りの者はこのまま進む。付いて来てくれ!

 ここから先はその場にとどまり続ける敵は他隊に任せろ。

 小城こじょうの方へ逃げる敵だけを追え。一人として生きて帰すな!」


 ミサスの指示の下、小隊は動き出した。おそらく他の何隊かも同時に動き出しているのだろう。最早戦局の行方は素人の僕の目にも明らかだった。プロテクターの類を装着していない身軽なミサス達は猟犬の如く追撃を開始する。


 日は暮れかけてきていた。この分ではもう一時間もすれば綺麗な夕暮れを迎えるに違いない。

 戦場を離れ、南の小城へ向かうあぜ道はその周りに木々の緑を加え始めていた。逃げ行く敵兵の数は少なくその足も遅い。それはこの戦いが終わり近くまできていることを意味していた。

 だが、それでもミサスは飽かずに血で濡れた剣を振るい続ける。もはや奪った命の数すら分からなくなってしまった僕が覚えていられるのは、最初に斬った男の瞳に映った空の青さ位だった。


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