第一五話 暗転 弐
結論から言うと僕はまだ元の世界に戻れないでいた。一旦はミサスから解放されたものの翌朝に彼が目覚めるタイミングで再びその中へと閉じ込められてしまった。こうなったらとことん付き合うしかないらしい。
で。今現在は地下の作戦室で下士官以上の者達が集まり協議の真っ最中であった。議題は砦から打って出てくるクドンの部隊への対応を含めた今後の方針についてなのだが、進捗は捗々(はかばか)しくなかった。
ベインストックにおける指揮官たる軍曹とそう年の変わらない感じの士官が意地の悪そうな顔をして主張する。
「そもそも、今回の一件はそこのミサス、バニル伍長の両名がクドンのところへ偽の書簡を送り付けたのが発端と伺ったが。
部隊長も部隊長です。そんな不確かな戦術を我々に計ることもなく採用されるとは。
その返書にしても逆にクドンが我々を陥れる為にしたためて寄越したものかもしれない。手につばして行ったら逆に敵の手の上だったでは目も当てられませんよ」
「いやそれはだな……」
軍曹が答えに窮する。だが問題はその後だった。今発言した士官の隣の、眼鏡をかけたひょろ長い士官が立ち上がり、しれっと付け加えたのだ。
「後方では、ウエスカの陣営から立ち上る炊事の煙が日々少なくなっているという噂もありますな」
その言葉に議場がざわつく。
「馬鹿が……、言っちまいやがった」
隣のバニルが小声で呟き、少し困惑した顔でミサスを見てくる。
バニルが仕入れてきた味方後方拠点の撤兵という情報は、この場に出席しているごく一部の者には別ルート経由で知れているらしかった。それはミサス達もある程度予想していたのだが、味方に裏切られるという情報が公になってしまう事態はミサス達好戦派にも現状維持派にも避けたいものである筈だったのだ。少なくとも現時点において味方の士気が下がる事態には何のメリットも無い。
ミサスは何か考えているようだった。周囲の動揺に勢い付いた眼鏡士官は続ける。
「それが事実であれば、我々が単独で動く危険は極めて大きい。ここは、我々も味方がウエスカから南下するのを見届けてからそれに歩調を合わせて出撃すれば良いのでは?
今回の戦術は現状をちと楽観視し過ぎてるきらいがあるようですな」
「楽観視してんのはどっちだ……」
再びぼそりとバニルが呟く。その声音には明らかに怒りの色が見てとれた。自己の主張への支持を集めたいが為に情報を漏洩してしまった眼鏡士官へと向けられた怒りの色が。
その呟きが聞こえてか聞こえないでか、その眼鏡士官は続ける。
「まあ結局、半年近くここを持ち堪えたことを己の手柄と勘違いして少々舞い上がった若者達の提案した軽率な戦術と言わざるを得ないかと」
そして最後に、末席のミサスとバニルの方を見下し冷たく言い放った。
「ここは貴様らガキ共の遊び場ではない。分をわきまえろ、分を」
そうして座り、なおしつこく言葉を繋げる。
「これだから、二十にも満たない子供に昇格を許すよう本営に推薦する等私は反対だったのだ」
どうやらそれが彼の一番言いたいことらしかった。
目の前のドラフが下を向き、さも愉快そうに笑いを堪えている。
必ずしも、そこにいた全員がすぐさま、この方針に賛同したわけではないようだった。というのは、その後間もなく近くの者同士が顔を見合わせ、困惑した様子で遠慮がちにひそひそと相談に入ってしまったからだ。
ただいかんせん、背中を預ける後方部隊の撤退という事実がその場の趨勢に与えた影響は大きかった。どうもそれ以上は目新しい意見が出てこない。それはつまり、最後に述べた者の主張に場が傾きつつあるということらしかった。隣のバニルも今は不機嫌そうにむっつり黙っている。これまでなのだろうか。
僕がそんな風に思っていた時、おもむろに立ち上がったのはミサス本人だった。
彼は議場の端から、ゆっくりと周囲を見回し、一同が自分に注目したのを確かめた後、ぽつぽつと話し始めた。それは少し緊張の入り混じった声だったが、自分の主張に絶対の確信を持つ者の力ある声だった。
「一番最悪な状況を想定して下さい。つまり後詰の撤兵が事実で、ここが敵勢力下で孤立する状況です。
味方の援軍は望めない。眼前の砦には数千に及ぶ敵の援軍が入城している。我々はここから脱出しなければなりません。その時に必要なのは時間です」
先程まで言われっ放しだった『二十にも満たない子供』は、はなから眼鏡士官一人を相手にしていなかった。傷付けられた名誉も、軽んじられた地位もそのまま捨て置き、士官達全員に向けて理を整然と並べ立てていく。
「仮にその際、小城が我々の支配下にあったなら。敵はレデヌ川の手前で兵糧の搬入もままならず、二の足を踏むでしょう。
我々が選び得る時間稼ぎの為の拠点、敵側にとっての障壁としてこれ以上相応しいものはありません」
ミサスは、ここで少し間を置いた。
理に抗し得るのは理だけである。そこには、年齢や身分は勿論のこと、私憤でさえも挿し入る隙はない。一同はすっかりミサスの言に耳を傾けていた。
ミサスはそんな彼等に道を、示す。
「その砦を奪う機会を作ることができるのはクドンの部隊が外に出てくる、今だけです」
もうその声に固さは見えない。そうして彼はここぞとばかりに、一同の背中を押していく。
「貴方がたはクドンの部隊を恐れているのではなく、その後ろに控える敵の人数に惑わされているのではないですか。戦局を見誤らないで下さい。これは局地戦です。我々が今相手にしているのはクドンの部隊三百人です。後ろに控える数千の軍勢ではありません。
小勢に対しては、罠があるかもと疑って出ず、多勢に対しては、味方の出方を窺ってからと籠る。それは慎重というより臆病というものでしょう。ひいては死中に生を拾う機会を逸します」
もう十分だった。どうやら軍配が上がったらしい。それまで立場を決めかねていた士官達も、ミサスのこの説明で決心がついたようだった。目から迷いが消えていく。議場からは、『やってみるか』という声、それを支持する声がぽつぽつと上がってくる。さっきミサスとバニルをなじっていた二人の士官も、俯いてしまっている。
その様子を見て、軍曹が胸を撫で下ろす。もしかしたらこの後のことを考え、敢えてミサスに士官達の説得を任せたのかもしれない。
「よし。以後、クドンの砦を落とすことまでを視野に入れて各小隊の役割分担を決めていく。
ミサス」
「はい」
ミサスは軍曹の隣に行き机に身を乗り出して、そこに広げられたここら一帯の地図に自軍、敵軍に見立てたいくつかの駒を置いていく。その地図を見ようと各士官が立ち上がり、身を寄せるように集まっていく。その姿に不満の目を向けるのは輪の一番外に立つドラフ位だった。その傍に立ったバニルが満足そうに話す小声を僕は確かに聞いていた。
「頼りになるだろ? ウチんとこの隊長は」
やがて、その日の午後。
クドン以下三百弱の歩兵部隊がベインストックを目指し、南の小城を出た。そして勿論、その連絡は何人かの斥候を通し、作戦室で野戦後の詰めについて打ち合わせていたミサス達の下へと届いた。
その短兵急なる決断は、『小心』と見くびられたクドンという男の評価を僅かに上げるものではあったのだ。……いや、評価ではなく価値か。




