第一三話 暗転 序
その場にいたみんなはめいめいの姿勢でマアヴェの言葉を聞いていたけれど、しばらく誰も、何も喋り出そうとしなかった。ケーケもまた、自身の思いの持っていき所に答えを出しあぐねている感じだった。
やがてその静寂を丁寧に振り払うようにアノが静かに立ち上がり、マアヴェの傍まで行って彼女の左肩をぽん……、と叩いた。
「ケーケだって。
そういうことを、どうだっていいって思ってるわけじゃないよ」
マアヴェはその言葉で、というよりもアノの声を聞いたことで我を取り戻したように慌てて口を開いた。
「……ごめんっ。
……言いたいこと好き勝手に言って、私。何やってんだろ……。
ここに来たばっかりで、ケーケ君のこの二年間もろくに知らないのに……。
本当、ゴメン!」
両の手を一生懸命に合わせて謝るマアヴェに、ケーケもやっと笑った。それは、ちょっと力が抜けたようなそんな顔だった。ケーケの目が少し細くなる。
「……変わらないな、マアヴェは。……あの頃のまんまだ」
「ホントそうだよね、全然成長してない。ホント嫌になってくる、全く……」
ようやく少し元気を取り戻したらしいケーケに、ちょっとずれた反応をするマアヴェ。張りつめていた空気が和んでいく。クルイがテンションを上げて続けた。
「……イヤ、ほら。今のケーケの言葉には、私はマアヴェへの愛を感じたけどねー。相変わらず可愛いぞ、コイツみたいな?」
それに乗るようにバニルが自分の胸を片手で二、三度叩きながら声を張り上げた。
「オイオイ、それを言い出したらマアヴェファンクラブ会員ナンバーゼロは、俺だよ? 俺。
そこだけはっきりさせとくよ? ホント。みんなには申し訳ないって思ってるけど」
「お前はクラス隣だったろーが。そもそも会員資格ねーよ」
ケーケがすかさず混ぜっ返す。
「ちょっ……それ汚い! 卑怯!」
「はいはい、そこはどうでもいいわよもう。
飲もう飲もう、折角こうして集まれたんだから」
そう言ってドサンッと腰を下ろし空のコップに酒を注ぎ足すクルイに、隣のゴートンが笑いながら言った。
「お前も相当きてるぞ、クルイ」
「何よ、文句あるー?」
こうなってくると、さっきジャンがいた時の雰囲気とあまり変わりはないみたいだった。僕も何だか安心して一息つきたい気分だった。ミサスもどうやら気を取り直したらしい。
だが、その和気あいあいとした空気は間もなく一蹴されてしまった。
――バタンッ!!
宿舎のドアが荒々しく開けられ、赤黒く染めた坊主頭、頬には黒いタトゥーを入れたいかつい顔の男を先頭に、数人の連中が姿を現した。
「相変わらず、ぬるい面した連中が集まってんなあぁ! ここは。えェ!? ミサス隊長さんよォ!」
姿格好からしてやはりこのベインストックの兵士らしい。年もミサス達とそう変わらない感じだ。部屋にいたほとんどの者が表情を少し強張らせて入り口の方を見た。
注目を集めたことが快感だとでも言いたげに、坊主頭のそいつがミサスに向かいニタッと笑う。
一方で唯一人、見向きもしなかったバニルがつまみのするめを無造作に口に入れながら、少し醒めた声でミサスに代わって言った。
「何か用か、ドラフ」
『ドラフ』と呼ばれた彼は憎々し気に視線を移しバニルの背中を睨む。そうして短い舌打ちをした後、ミサスへ再び向かうと荒々しく言い放った。
「……明朝六時っ! 下士官以上の者は地下の作戦室集合だとよっ!
確かに伝えたからな。遅れんじゃねーぞ」
「分かった。悪かったな、わざわざ」
ミサスが答える。こちらもバニル同様普段と変わらぬ調子だ。
「ちっ!……伝声管使えってたんだ。ったくよ」
ぼそりと小さく呟き、そこを後にしようとするドラフに他の男達が従う。
……と。
その男達の後ろの方から、すっと少年が踏み出てきた。黒く散らかった髪、耳は隠れていて見えない。少し長め、癖毛の前髪の下から大きな二つの瞳がこちらを見上げていた。ぼろきれと見えなくもない、薄汚れたベージュの可愛い外套を羽織っている。
少年は人懐っこい愛想だけを浮かべつつ、自分を見下ろすミサス達の間を遠慮なく通り抜けていく。初めて会うらしきマアヴェの眼差しだけが少し驚きの色を湛えていた。
「……おい、ヨウッ!」
まだ入り口近くにいたドラフが面倒臭げに少年に向き直って呼び掛ける。
「ああ、ごめんっ。俺ちょっと、この前ここに忘れ物したみたいだからっ。悪いけど先に行っててよ」
(ヨウ……)
ヨウと呼ばれた少年は大声に怯む様子もなく外へ返事した。
さっきまでの少し強張った空気にまるでそぐわない明るい声にドラフは再び舌打ちし、来た時同様乱暴にドアを閉め、他の者達を従えて去っていった。
「時計か何かか? 忘れ物って」
しばらくして。再び飲み直そうと冷凍庫に氷を取りに行くケーケが、隣室へ行った少年に呼びかける。少年は、『んーちょっとね~』と答え何かゴソゴソやっている。
「あー、あったあった。
……あれ、ジャンの兄貴、寝てるのか」
まだ声変わりはしていない、少し高い声だった。さっき見た顔つき、背格好からして十二、三才といったところだろうか。やがてヨウは憚りもせず椅子を一つ引きずって戻って来た。
「君、この町の子?」
さっきからその様子を気にしていたマアヴェが開口一番尋ねた。
「うん、まあそんな感じ。あれ……お姉ちゃん、見ない顔だね、新入りの人?」
そう言っている間にもヨウは、ミサスとケーケの間のスペースに椅子を割り込ませる。
「うん。マアヴェ。マアヴェ・ブライアムって言うの。明日から診療所の方で働くのよ」
「へえ。マアヴェかあ……良い名前だね。
僕はヨウ。ヨウ・エルノートって言うんだ。よろしくね」
「ありがとう。よろしくね」
にこにこと握手をする二人に、少し呆れた感じでケーケがで話しかける。
「お前……いいのか、こんな所で油売ってて。またドラフのバカに殴られんぞ」
ヨウは『これもらうね』と断り、テーブルのオレンジジュースをコップに注いだ。それを美味そうに飲んでから然程気にしていないという笑顔で答える。
「大丈夫だよ。ああ見えてそんなに悪い人じゃないし。
それより、パーティでもやってたの? この散らかり様は」
「……ったく。良い根性してるよお前は。
ああ、このマアヴェ姉ちゃんの歓迎会をな」
そう言いながら、ケーケはヨウが飲み干したコップにまたオレンジジュースを注いでやった。それを眺めつつクルイがマアヴェに説明する。
「ちょっと変わった子でしょ。このベインストックに来る前の町で知り合ったんだけどね。何だかドラフ達に妙に気に入られちゃったらしくてここまで付いてきちゃったのよ」
「へえ。そうだったの」
「貴方も会ったと思うけどここの部隊長さん、ああいう人だから。まあ、ドラフ達が面倒見てる分には良いだろうって。
前の町はフウスの連中に占領されちゃったからね」
戦災孤児ということか。孤児院のキル達と比べてもそれ程離れた年には見えない。
「大変な思い、してきたみたいね」
「まあ……それなりにはね。でも運が良かったよ。僕は。この人達にもよくしてもらってるし、それに
「なんだあ? ちったぁ世辞も言えるようになってきたってか?思ってもねーくせに。うははは」
屈託なく答えるヨウを遮り、ケーケが彼の頭にヘッドロックをかます。ケーケもかなり酔いが回ってきているみたいだった。笑い出すヨウを微笑んで見つめるクルイとマアヴェ。
そんな最中、不意にすっとミサスが立ち上がり、室内の壁掛け時計に目をやった。
そんなミサスに、バニルが思い出したように、『あれ、もう時間か?』と声をかける。ミサスはバニルに頷いた後にみんなを見回して言った。
「明日の集まりの前にちょと軍曹に用があってさ。俺とバニルは行っちゃうけど構わずやってくれよ。そうそうこんな風にみんなで飲める機会も無いだろうしな」
「こんな時間からか?」
少し心配するアノに頷いた後みんなに釘をさす。
「あまり飲み過ぎて明日に差し支えることの無いようにな」
それに、『了解っす、隊長!』と既にかなりタガが外れているクルイが威勢良く返した。
席を離れるミサスとバニルの背中にヨウがのん気に声をかける。
「早く戻ってきてねっ。待ってるからさ」
ケーケがわざと、オレンジジュースの瓶をヨウから少し離して言う。
「あのなー、お前はそんなに遅くまでここにいるわけにはいかねーだろ。俺達だって、お前を引き留めたってドラフのバカと後でもめるのは御免だからなっ」
「だから、大丈夫だってば」
「何が大丈夫なんだ、何が。コノヤロ」
「うひゃひゃひゃひゃっ!」
二人がじゃれる声を後ろに聞きながら、ミサスとバニルはさっきまで脱いでいたジャケットを羽織り、夜の町へと出た。辺りはすっかり暗くなっているというのに、昼間鳴り響いていたあの耳障りな鈍い金属音は相変わらず遠くこだましている。昼夜問わず武器でも造っているのだろうか。
時折強い風が吹く路地を、二人は口数少なく歩いていく。改めて考えてみると、飲みが始まった時からこの二人はコップにほとんど口を付けていなかった。ミサスの表情からは先程の涙の影すらもう消え失せていた。
僕はその先に待ち構える状況に小さな不安を覚え、さっきマアヴェがその瞳に灯していた強く優しい光を必死に思い出そうとした。