第一二話 彼女
その夜、哨戒任務に出ていた連中も戻ってきたことで、宿舎ではささやかな酒宴が開かれた。
ベッドが並んでいた大部屋は中央に丸机と椅子が置かれ八人の若者がめいめいに座る。机の上には酒瓶やらコップ、炭酸水、それに乾きものといった酒の肴が散らかっている。菓子類とオレンジジュースまであった。
「でもよお、マアヴェがここに来るなんて、ほんと俺。夢のようで夢のようれ……」
飲みが始まる前からマアヴェの席とその左隣をキープしていたジャンは既に酩酊状態だ。
「もう良いからお前黙っとけ。分かったから。嬉しかったんだよな、な」
ジャンの右隣に座る銀髪の男がジャンの背中をなだめるように叩く。
彼は……確かバニルと名乗っていた。後頭部だけ刈り上げ、後ろ首の上までを覆うように綺麗な銀髪が遊んでいる。
この中ではミサスに一番似た雰囲気を持っているかもしれない。ただミサスを鏡で見たときにはなかった、いたずらっぽいというか好奇心を湛えた目をしていた。それは、そのどこか醒めた雰囲気とは相反する筈のものだった。右耳の小さな赤ピアスが銀髪によく映えている。
「分かってくれるのはお前だけらよ、バニル。……それなのに」
赤ら顔でジャンは席につく他の男連中を見回した。
「こいつらときたら、すましちゃってさあぁ! アノなんか、なんれ言ったと思う!?」
そこでジャンは口をすぼめて目を細める。…………少なくともアノには全然似ていなかったが。
「『ああ、着いたのか』……らよ!? どうなのよ、それは?男として……彼氏としれ!」
「いや……ダメなのか?」
困惑顔でゴートンが横のクルイに小声で尋ねる。
ゴートンというのは、バニルと共に最後に宿舎に帰ってきた男で、赤っぽい茶髪に、顎鬚をうっすらと生やした巨漢だ。上背はケーケよりも更にある。ただそのガタイの良さに似合わぬ優しさと責任感を思わせる、澄んだ目をしていた。
このゴートン、クルイ、ジャン、バニル、アノ、ケーケ、マアヴェ、それにミサスは皆同郷ということらしかった。
『楽しそうだから放っておけばいいって』と、クルイが苦笑いで答えている。
そんなジャンを援護するようにケーケが突如として喚く。
「いや、俺だって、感激したよ!?
俺だけじゃない。ここにいる男連中はトイレの中で一人のときにこっそり飛び上がってたんだから」
何でトイレなんだ。
「だぁろ!? 俺はそぉれを……それを……う~ん」
派手な音を立てて、ジャンは椅子ごとひっくり返ってしまった。
「ぎゃっ」
隣のマアヴェがちょっと驚いた様子でジャンに顔を近づける。バニルも『あーあー』と言いながら床にこぼれた酒を拭く。
「寝ちゃったみたいね。ちょっと手伝って」
マアヴェが静かな寝息を立てている満足顔のジャンに微笑み、肩を入れようとする。ところでバニルが静止をかけた。
「ああ、ああ、良いって。主賓はいてくれなきゃ。俺やっとくから」
結局何やかんやでみんな立ち上がってしまい、ともかくということでジャンを隣の部屋のベッドへ運んだ。大音響で騒いでいたジャンがいなくなり、場の温度が少し下がった気がした。
そうしてみんなが一息ついた頃。ぽつりと、誰にともなくクルイが呟いた。
「もう、シダク出てから、何年になるかな?」
ケーケが天井に目を移して答える。
「軍立に二年、その後あちこち転々としてきて二年だから、四年か」
(……シ、ダ、ク)
「……帰りたくなったのか?」
少し空いた間の後に、ゴートンが聞く。
「そりゃ……少しはね」
クルイは目を伏せた。
一方でケーケは違った。彼は右拳を強く握り俯いて、自分に確かめるように呟いた。
「俺は……。俺は帰らねえよ。
……フウスの奴ら叩き潰すまではさ…………たとえ、道連れにしてでも」
それは場違いに思えるあまりにも重い言葉で。
僕はただ、ミサスの握りしめている右手が僅かに震えるのを感じ取るので精一杯だった。
「それは」
(……え)
「違うよ」
その場にいたミサス含め全員が声の主を見た。自身の言葉を、思いを、否定されたケーケさえも憤りよりも驚きに我を忘れて。
視線が集まった先にいたのは、優しく、しかし強く真っ直ぐにケーケを見つめる、マアヴェだった。
「ちょっと、マアヴェ――
「少し聞いて」
慌てて声をかけたクルイにではなく、ケーケの目を見て言い、マアヴェは話し始めた。
「私さ、スス君から誘われてみんなの仲間に入る前までは。
……みんなでいるのが、あんなに楽しいなんて知らなったんだ。
キャンプして、秘密基地つくって……、あんなにいがみ合ってたゴートン君達と喧嘩して仲良くなって……、花火見に行って。挙句の果てにネム君さらった隣町の子供達とも大喧嘩して……」
マアヴェの顔に影が差す。
「あの後楽しいこともあったけど、大変なこともあって。
確かにみんな、もう……」
マアヴェは少し声を詰まらせた。部屋の中は水を打ったように静まり返り、誰一人として声を発する者はいない。
「……もう、会えなくなっちゃったけど」
マアヴェはここから先、一層語気を強めた。
「断言する。
あの頃、一緒にいた……あの頃のみんなは。誰一人として。
自分達の恨みに、仲間が死ぬまでしがみついて欲しいなんて……」
言葉に、思いを込めた。
「思ってない!! …………絶対に」
ミサスのあの、醒めた両の眼に涙がたまっていくのを感じながら。
思っていたんだ、この時。
もしミサスが僕であるならなんで、なんでこの人のこと、僕は忘れちゃっていられるんだろうって……。