第十話 旧友
・ねんのため
カッコ()書きは、ミサスの中にいる『僕』の思いが
とりわけ強くのっかったセリフに用いています。ややこしくて恐縮です。
見張り台から見えた建物に目立った動きがないことに納得したらしいミサスは、来た時より幾分固い表情で物見台を後にした。
狭くくすみがかった通りをまた抜けていくミサスはやがて、こじんまりとした建物の前に着いた。どうやら今度こそ『作戦室』に着いたらしい。
ミサスはノックもせずに扉を開けると、薄暗い中へ入っていく。
黴臭く狭い通路を進んでいった先、景気の悪そうなドアの前でミサスは直立不動、敬礼の姿勢をとる。
「失礼します。
ミサス伍長。命令によりまかり越しました」
僅かな間の後、低く落ち着いた声が返ってきた。
「来たか。入れ」
「はっ」
応接間と執務室を合わせたような小部屋だ。やはりダークグリーンで統一した二人が向かい合って座っていた。
ミサスを招き入れたと思われるナイスミドル――物事に動じなさそうな切れ長の眼、肩には階級章らしきものが光っている――が向かいの女性を紹介する。
「古い知り合いだと聞いてるが。
昨日二十時付けで、ベインストックに転属してきたマアヴェ・ブライアム二等兵だ」
(……マアヴェ……?)
「はっ」
「久しぶりね、ミサ君」
(……マアヴェ……ブライアム……?)
「おう」
マアヴェと呼ばれた彼女が立ち上がり、笑顔で会釈している。
少年のような小顔に黒髪のショート。意志の強そうな大きな黒い瞳が、真っ直ぐにミサスを見ていた。年は、さっき宿舎にいた男と同じ位か。
何か……、何か、思い出さなきゃいけないような……。
強迫観念にも似たその思いに、少しの間僕は悩んだけれど。
……結局、ダメだった。
「同郷だって話だったからな。お前の小隊所属ってことで良いだろ?
まあ、所属と言っても彼女は衛生兵だから、平時は診療所勤務だけどな」
「了解しました」
「見回りの任務は、今日はないだろう?」
「ええ」
「なら、丁度良い。診療所へ連れていく前に彼女に施設を案内してやってくれ。
他の新顔達は、別の奴に任せちまったんだが……。
同郷なら積もる話もあるだろうと思ってな。気が利くだろ、俺も」
少し得意そうな顔をする上司――上官、なのかもしれない――にミサスが苦笑いして返す。
「本当に」
どうやらこれで呼ばれた用件は終わりのようだ。
ただ、マアヴェと出ていこうとするミサスの背中に一言が掛けられた。
「ミサス」
「はい」
「あまり、根詰めるなよ」
「……大丈夫ですよ」
僅かな間の後、ミサスは返事をして出ていった。
そうして狭い路地を歩き始めた二人はぽつぽつと話し始めた。
「それにしても、本当に久しぶりね。軍立を出てからだから、二年になるか……」
「そうだな。アノも元気にやってるよ」
(……!?)
「うん、知ってる。手紙遣り取りしてたから」
「そっか。
……ちょっと宿舎に挨拶していってくれるか。ジャン位はいたと思うから」
「うん。ジャン君も久しぶりだなあ。ホントにみんないるんだね」
(ジャン……)
「はは、当たり前だよ。
ただ……」
そこで言葉を切りミサスはちょっと表情をしかめる。
だが、マアヴェはそんな彼に気付かないような感じで続けた。
「手紙に彼書いてたよ。『あいつがここまで切れるとは思わなかった』って」
ミサスが顔をしかめたのは僕の気のせいだったのだろうか。彼は遅れることなくマアヴェに返事した。
「アイツが人を褒めるなんて信じられないな」
「見てるとこは見てるのよ、しっかり。
書いてたよ。今のあいつはスス君より頼れるって」
その一瞬、今度は気のせい等ではなく確かにミサスの表情が固まった。そしてそういう僕も、『スス』という名前の響きに非常に強い戸惑いを感じていた。
ややあって。ミサスは言う。
「この先何年経ったって俺にあいつの代わりは務まらないよ」
否定したミサスの横でマアヴェは少し悲しそうに微笑んだ。
それきり何故か二人は口数が減ってしまった。
ミサスの声にようやく調子が戻ったのは先程の宿舎の前まで来てからだ。
「あいつ……」
というか、やれやれという感じに気の抜けた声だった。
「うん?」
「騒ぐだろうな」
「はは」
マアヴェにもようやく笑顔が戻り、分かっている、という顔をする。
向き直ったミサスがドアを開けて、口を開き何か言おうとする直前だった。
「あれーーーっ!! 誰かと思ったらマアヴェじゃんか! 何でここにいんだよーーー!!
おいおいおいおい、ホントかよ!?」
ミサス達が中へ入る間もなく、先程ミサスを起こしてくれた男は満面の笑みで二人に、というよりマアヴェに駆け寄ってきた。やっぱり彼はミサスより背が低かった。もしかしたらマアヴェよりも少し低いかもしれない。近くで見ると愛嬌のあるギョロっとした大きな目と大きな口をしているのが分かり、これまた大きな声で喜びを一杯に表現していた。
ミサスは無言のまま斜め後ろのマアヴェに振り返り、ほらな、とジェスチャーしてみせる。
マアヴェは笑いながら、それでも嬉しそうに返事した。
「久しぶりね、ジャン君」
僕はここまでひょっとしたらという思いで描いていた、メイアの孤児院のジャンの顔を打ち消した。単に名前が同じなだけだったようだ。
「何だよーー、来るなら来るって一言いってくれりゃ良かったのによぉ。宿舎でだらだらしてるなんて、カッコわりぃとこ見られちまったな。
でもやっぱ、変わんねーよな、俺達の憧れの姫はよっ。な、ミサスっ! つうか、ますます綺麗になっちまってよ、うんうん……あれ、何だろ俺。嬉し涙かこれは……
「じゃあ、そういうわけだから。また後でな」
長くなりそうな話に、すました顔でミサスはジャンの両肩をぽんぽんと叩く。同時に一方的に別れを告げた。
「え、なになに!? おい、俺との再会もう終わり!? オイ……ちょっとお!」
冗談だろうと思っていたら、そのままミサスはマアヴェを外に出してドアを閉めようとする。
「マアヴェ、今夜歓迎会な! 絶対だぞ!」
「うん、楽しみにしてるから」
狭くなってゆくドアの隙間から精一杯のラブコールを送るジャンだった。
彼等は皆、『同郷』ということだろうか。そういえばミサスがマアヴェの顔を見た時、一瞬だけ彼の気持ちが緩んだような気がした。体の力の入り具合から何となくそういう気がしたのだ。にしても色々と分からないことだらけだった。