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東の空に映る色番外余話  作者: 琳谷 陸
三日夜の餅(ついな×東雲)
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三日夜の餅・其の七



 頬に触れた感触は、柔らかくて、熱かった。


 このまま、泣かれてもいいから自分の愛しい人に自分という存在を刻み付けてしまおうか。 そんな事を思っていた罰だろうか? それとも、指先で触れた唇の感触に我を忘れてしまいそうになった為だろうか。

 どちらにしても、これでは自分は何も文句は言えない。

 ついなはむにむにと頬を引っ張られ、東雲の気の済むまでされるがままになっていた。 ようやく東雲が手を離してくれた頃には、頬が感情ではなく物理的な理由により赤くなっている。

「まったく……」

 どことなく呆れられている感満載の眼で見られ、ついなはしゅんとした。

「…………」

「そんなに嫌だったなら、言えば良かったじゃない。 そうしたら日数だって掛け合ってみたのに」

「……そういえば、どうして三日離れて、何処に行っていたのですか?」

 あの時は聞けなかったけれど。 ずっと気になっていた。 東雲は精霊で、精霊には精霊の仕事がある。 それに自分が口は出せないから、三日必要だと言われれば仕方ないかと思っていたのだけれど。

 今の言い方からすると、どうやら個人的な事で、日程の調整も可能だったらしい。 ならば、気になる。

 勿論、強制なんて出来ないけれど、聞けるのなら聞いておきたいと思う。

「お友達の所に行っていたの。 ……人間の文化について、教えてもらっていたのよ」

「え。 何でそんな事」

 言った瞬間、東雲の目が冷たくなった。 あ、と思った時にはもう遅い。

 東雲はつんとそっぽを向いてしまっていた。

「東雲」

「…………」

「ええと」

 どうしよう。 そう思っておろおろとする。 陰陽寮では歳若くも切れ者として一目置かれている“吉野ついな”と同一人物とは思えぬ狼狽ぶりだ。

 仕事の有能さや見かけもそこそこと評判だけあって、秋波しゅうはを送る女性も少なくないのだが、この姿を見たら八割は考え直すかもしれない。

「そんな事? ……ついなにとってはそうよね」

「いえ、そ、れは……。 申し訳ありません」

 思わず小さくなるついなを横目で一瞥して、東雲はちょっとだけ拗ねたように唇を尖らせ俯いた。

人間ついなの妻になりたいからなのに……」

「東雲?」

 ぽつりとした呟きを拾い損ねた間の悪い人間ついなの聞き返すような声に東雲は背を向けようとして、押さえつけられ握られたままの片手に阻まれる。

「放して」

「え。 嫌です」

 ぽろっと反射的に返してから、ついなは東雲のじろりとした睨みに、ばつが悪そうな表情を浮かべた。

 それでも三日離れていた所為でついなとしては東雲成分が不足している。 放せるはずも無い。

「帰ってきて、いきなりで申し訳なかったと思っています。 予め確認されていたのに何も言わなかったのも私です。 全面的に私に非があるのはわかっています。 けど、嫌です。 三日会えなかったのでもう限界です」

「今までそんな事なかったのに何でいきなりそうなるのよ」

「だって、今までは夫婦じゃなかったので」

 実を言うと結婚前でもついなは、東雲の姿を一日一回、遠目でもいいから見ないと落ち着かなかった。 東雲は知る由も無いが。 初めて見初めた時から七年間の執念は伊達ではない。 東域にはない言葉だが、北域などでは確実に“ストーカー”と呼ばれる類である。 それでも結婚してしまえば赦されてしまうような部分があるのはなんともはや。

「確かに、世の中の夫婦がすべからく数日離れただけで我慢できないものなのかと言われたら違うとは思います。 けど、私は無理です。 だから放しません」

「…………」

 開いた口が塞がらない東雲であった。 何だその理屈は。 そう言う気も失せる。

「それとも……東雲は、嫌ですか?」

 私と触れ合うのは。 ついながそう言ってうつむいたものだから、東雲は言葉に詰まった。

「別に、そういう訳では、ない……けど」

 しっかりと握られた手はもう痛くない。 けれど宣言通り放す気はないらしく、しっかりと東雲の手を捕まえている。

 ちらっと握られた手を見て東雲の頬に朱が差す。 先程の頬への口づけだって、東雲にしてみればわりと勇気が要った事だったのに。

 今度うらめしそうな顔をしたのは東雲だった。 思えば、この夫は東雲にとって難易度の高い事をいとも簡単だろうと言うかのように要求してくるが、つまりそれはついなにとってはそれくらい簡単なのだろうか。 ならばそれこそ納得できない。 不公平だ。

「ついなは……全然平気そうね……」

「何がですか?」

 無性に腹が立つから、もう一度引っ張ってもいいかしら? と東雲は考えたが、実行に移すその前についなが握っていた手を緩め、そっと指を絡めてきた。

 精霊には体温というものが常はない。 それは実体を取っていないからでもあるし、必要ないからでもある。 けれど、今は“ついなに触れるため”に東雲は実体を構築していた。 精霊ならば誰でもできるわけではなく、中位以上の者でなければ出来ない芸当だ。

 名を交わした時にも一度だけ指を絡めてみた事はあるけれど、その時はそれこそ余裕がなくて恥ずかしいと思う暇が無かった。 だからだろうか。 指を絡めて相手の体温と肌が交わる感触に、いたたまれないくらい頬が熱くなって朱に染まる。

 嫌ですか? と。 もう一度問い掛けてくるその顔を、つねるのではなく思いっきり引っ叩いてやりたくなる。 それくらい甘くて嬉しそうな笑顔をついなは東雲へ向けていた。

 余裕すら感じて、東雲は答える代わりにまたそっぽを向こうとして。

「駄目です。 逃がしません。 私の可愛い妻ですから」

 顔を背けようとした方の東雲の頬へ一歩早く片手を伸ばし、固定。 そして先の言葉を言いながら、静かにそっと淡雪が降る様な軽さで、ついなは東雲の頬へ唇を触れさせた。

「ひゃっ……な、なにしてっ」

「ふふ」

 東雲が思わず小さく悲鳴を上げ、逃げようとしても、口づけた時のまま片頬にはついなの手が添えられていてまず首が動かせない。 片手は指を絡めて囚われたままで、空いた片手で引っ叩こうにも頬に添えられた手から伸びる片腕が邪魔をする。

 本能的に東雲は危機を感じた。 追い詰められた、と。

「嫌ですか? そうなら言って下さい。 放します」

 私とこうやって触れ合うのは嫌ですか? そう問い掛けながら、ついなは微笑む。 東雲だけに向けるそれは極上の甘い色香を帯びて。

 ついなの瞳に、先程とは違った意味で背筋がざわついて、東雲は退路を探す。 空いた片手で攻撃を加えるより、逃げることを選んだほうがいい。 けれど絡めて握られた手はしっかりと押さえられているし、黒い瞳から東雲が目を逸らすのを阻む頬に添えられた片手。 退路さえ断たれた。

「ねぇ、東雲……?」

 しまった。 罠だった。 獲物がそう思う頃には大体物事というのは手遅れだ。

「何よ」

「嫌じゃないんですか?」

「っ!」

 言える訳ないじゃない! そう叫びたいと東雲は心底思った。 恐らくそれをわかっていて言っているだけに本気で腹立たしいのもまた事実なのだが、攻撃も逃走も封じられている東雲に出来ることは渾身の思いで睨みつける事だけ。

 不意についなが不安そうに悲しそうに表情を曇らせる。

「そんなに……睨むほどお嫌ですか?」

 ずるい。 そんな事を言われたら、睨むことすら出来なくなるじゃない。

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