三日夜の餅・其の四
四
東雲が出ていってから三日。 ついなは仕事ではいつも通りに、しかし家に帰れば何処までも深く沈み込んでいた。 文字通り、部屋の床に突っ伏して。
「東雲に会いたい…………」
たかだか三日。 されど三日。
「はぁ…………」
もう今日は寝ようかな。 そんな事を思う。
彼女が居ないだけで世の中こんなにもつまらない、などと恋の魔力にどっぷり漬かって染まった男は言っているわけだが。
「東雲は、平気なんでしょうね」
留守にするのを承諾した時の東雲を思い出す。 心なし安堵しているようにも見えた。
「どうすれば、もっと好きになって貰えるのか」
出来れば、私と離れるなんて考えられないくらい、深く自分を彼女の中に刻み付けたい。
「いえ、『今は』まだ駄目です。 確実に怯えられる」
慎重に。 ゆっくりと。 そうでなければ、怖がらせる。
「それに、私もまだ」
まだ手を握っただけで心拍数が跳ね上がってしまうから当分時間が必要だと、ついなは自分に言い聞かせた。
「東雲に会いたい」
「うわ。 本当に君は相変わらず公私の落差がありますね」
「浅緋殿?」
いきなり落ちてきた自分以外の声に動じる事無く、ついなは首だけを声の方に向ける。
「いくら声を掛けても反応がないし、試しに戸に手を掛けたら開いていたので」
上がりましたよ、と溜息をついていたのは、一年前に地方に赴任していった友人だった。
鈴原浅緋。 生真面目で典薬寮の呪禁師だ。 薄色の狩衣を身に纏った腰に片手を当て、もう一方には風呂敷に包んだ何かを下げている。
「以前、君は言いましたよね。 私は戸が開いていれば上がって待っていて良いって」
「はい」
「勝手に上がらせてもらいましたが、いいですね?」
「良いって言ってるじゃないですか」
「……もう言っても無駄かと思いますが、普通ないんで。 あと、無用心すぎる」
「だって浅緋殿は別に盗賊じゃないでしょう? それに、結界張ってありますから大丈夫ですよ」
「うん。 言っても無駄だってわかってたんですけどね」
疑問符を浮かべながら身を起こすついなに、浅緋は座らず片手に持っていた包みを差し出す。
「すぐに発たなければならないので」
「何でそれで寄ったんです?」
「…………もういい」
とりあえず受け取って下さい、と言われてついなは包みを受け取る。
「それを渡す為です。 ご結婚おめでとう」
「あ」
「別にいいですよ? ええ。 私は君の中で優先順位低いのはわかってますから。 良いですが、寄った理由くらい察してくれてもいいんじゃないですか?」
「……すみません」
ついなは視線を逸らす。 そういえば、結婚したって報告の文出してなかったかもしれない、とか思って。
「花宵様から連絡無かったら着いて知る事になるはめになってたんですけど?」
「その、つい」
「つい?」
「……悪かったですよ」
そんなに言わなくたっていいじゃないですか、と十八になろう男が頬を膨らませる。
「流石に十二過ぎた君がそういう顔しても気色悪いだけですよ」
「浅緋殿は冷たい」
「ほう。 友人に結婚報告貰えなかったんですが、それは冷たくない、と?」
面倒くさい。 その思いが顔に出てしまったのか、浅緋は笑顔の低気圧を発生させて小首を傾げた。
「ついな?」
「う」
これは相当怒ってるかも、とついなはそろり浅緋を見上げる。 普段はそんな事ないのだが、怒らせると友人の中で一番厄介なのが浅緋だと、ついなは思っていた。
「……ごめんなさい」
「よろしい。 ところで、その君が執念深く追い回していたという奥方は?」
「執念深いとかいう枕詞いりませんから」
「執念でしょう。 どう考えても」
「それ言うなら花宵だってまだ……」
「花宵様は立場とか色々込み入った事情があるんですよ」
「ずるい……」
「で。 奥方は? まさか逃げられました?」
「逃げられてません! 縁起でもない事いわないで下さい!」
「え。 図星ですか?」
「違うって言ってるでしょう!」
ふしゃー! と威嚇する猫のようなついなの瞳には若干涙が滲んでいるからそう思われても無理も無いのだが。 浅緋は首を傾げる。
「じゃあ、どこに?」
「三日ほど」
「はい」
「留守にしたいって」
「別居……?」
「浅緋殿!」
声にも泣きが入ったのを確認して、浅緋はこれ以上は止めておこうとついなの肩を叩いて落ち着かせた。
「わかりました。 わかったから落ち着いて」
プイッと頬を膨らませ顔を背けるついなに、浅緋は子供じゃないんですからと言いつつ、変わらぬついなの様子に微笑を零す。
「まぁ、じゃあ留守でお会いできないというのはわかりました。 残念ですが」
「本当にすぐに発たなければいけないのですか?」
「付き人の奥方が丁度、産み月間近なんです。 一刻も早く帰してあげたいですからね」
「それは……そうですね」
仕方ない。 ついなも頷く。
「だから、お祝いだけ置いていきますよ」
貰った包みを開いて出てきたのは、海産物の干物や草木染の布で作られた小物に女性が化粧に使う紅などだ。
「うちの特産です。 美味しいですよ」
「ありがとうござい、ます?」
「疑問符つけるとは何事ですか」
「いや、だって」
「税を納めるのと報告で都に来たんですよ。 自分の手荷物で持ち込めるのは限度があるんです。 ……本当は、私だってもっとですね」
「いえ、十分なんですが……。 干物と化粧道具の組み合わせに浅緋殿の感性が如何なく発揮されて」
「違います! 言ったでしょう限度があるって。 まったく。 君と奥方両方に贈るからそれになったんですよ」
「同じでいいのでは?」
本気でそう思っているらしいついなに、浅緋は片手で顔を覆って深く息を吐いた。
「ついな。 君は奥方が好き好き言っているくせに、女性に対しての配慮が足りない!」
「え」
いいですか! と浅緋はついなに詰め寄る。
「精霊でも人間でも、女性なんです。 それとも君が妻に迎えたのは男性ですか」
「東雲は女性に決まっているでしょう!」
「なら、もっと気を遣いなさい! いいですか。 まず、精霊で人間とはそもそも生活が違うんです。 そうとなれば戸惑う事もきっと奥方にはたくさんあるでしょう」
そういえば、浅緋殿は上に姉上が三人いると聞いているが、この並々ならぬ鬼気迫る様子は姉上達から相当教育を受けたからだろうかとついなは思った。
布の塊は重い腰を上げて、狭間の森を出ていた。
自分の眷属の婚儀だ。 いつかは祝いに行こうと思っていたのだが、それは今で良いのかどうか、未だに考えている。
「嫌な予感がぁ、するんだよぉん」
そう。 物凄く。
「せめてぇ、もうちょっと経ってからでも良いんじゃあないのかなぁ」
今って確実にまだ夫婦って段階じゃない気がする。 そんな所に祝いだろうがのこのこ行ったら、馬に蹴られる予感しかしない。
見かけに反して動きは音もしないくらい静かで風のように身軽な布の塊は口許を片袖で覆った。
年寄りにあんまり無茶言わないで欲しいよぉ、とそう言って。
「まぁ、シルフィさんの祝いだからねぇ」
仮でも、自分は長で、やはり眷属は可愛い子のような存在だから。 仕方ないかねぇと言いながら、果てしなく嫌な予感がするもののその足取りは確実に東域へと向かい、進んでいた。