三日夜の餅・其の二
二
「東雲さんやぁ。 それってぇ、私に四日目の朝にそっちに行けって意味だよねぇん?」
「そうよ」
ビオルは思った。
(勘弁して欲しいよぉ)
父役は別に良い。 東雲の長であるのだから当然の事だ。 問題は、新婚(たとえまだ手を繋ぐので精一杯であっても)の家に、しかも婚儀の手順として行かなければならない事である。
「東雲さんや、出ても良いけどぉ、一つ条件があるよん」
「なに?」
「今すぐ、狭間の姫の所に行ってぇ、人間の婚儀について聴いておいでぇん?」
「だから三日夜の」
「いいから。 お願いだからぁ、聴いておいで。 今すぐぅ」
頼むから。 そう言われれば東雲も首を傾げながら言われた通りにする他ない。
東雲は不思議に思いつつ、言われた通りに狭間の姫と呼ばれる人物の元に行くために、ビオルの家を後にした。
吉野ついなは国の機関である大内裏の陰陽寮に勤める陰陽師だ。
冷静沈着、いずれは陰陽寮より出て帝の覚えもめでたい蔵人陰陽師になるだろうと、陰陽の才も不足ない。 歳は十八。 十二で元服つまり成人と認められるこの国では立派な大人だ。
黒髪黒目と一般的な東域の人間がもつ色彩ながら、どこか神秘的な雰囲気を纏うその姿は人目を惹く、と宮に仕える女官達にも中々の好評を博す青年なのだが……。
人間、そうそう完璧な人物などいない。
「花宵、東雲の様子がおかしいのですが、君が何か吹き込んだりしてませんか?」
「ねぇ、何で友人の家に遊びに来て掛けられる言葉が、いらっしゃいとかじゃなく、疑いなわけ?」
ついなの家を訪れた花宵は、出迎え一番のついなが言った事にそう返した。
黒い艶やかな髪を結い上げ、ほんのりと着崩した壺装束の襟元から覗く鎖骨からうなじへのしなやかな輪郭と肌が艶かしい。
唇に刷かれた紅も華やかな顔立ちを引き立ている。
一般的に言って、この上ない美女だ。
外見だけ見るならば。 性別が、男でさえなければ。
「一番疑わしいからです」
「あんたって本当に何て言うか……。 時々、何で私が友人やってるのか自分に訊きたくなる」
「私の事が好きだからでしょう」
「うわぁ……。 自分で言ったね」
「違うんですか?」
花宵は溜息をついた。 キョトンとした面持ちで首を傾げる様子が思いのほか可愛く思えてしまう自分もおかしい、と。 可愛げなんてないのに、憎めない。 強いて言うなら手の掛かる弟をもつ兄の気分が近いだろうか。
「先ほどの問いに答えるけど、私じゃないよ。 あの一件以来、東雲殿に会っていないから」
先日、ついなの弟が盛大に実兄であるついなの逆鱗に触れてくれたおかげであわや大惨事になりかけた事件。 花宵はその考え無しに釘を刺してから事の顛末を確かめようと自らここに足を運んだのだが、どうにもついなと東雲の雰囲気が良かった所へ踏み込む形になってしまったらしかった。
冗談ではなく呪われるのではないかと思うほどイイ笑顔のついなと言い合いしたのはそろそろ忘れていいだろうか。
「そうですか。 ……では、一体」
「あのさ、上がっていい? それとも、今日は追い返されるのかな?」
「あ。 どうぞ」
まったく、と花宵は思う。
ついなは人間としてちょっと捻じ曲がった部分があるが、有能なのは折り紙付きだ。 そんなついなも自分の妻の事となるとまるで乙女のようにそわそわと落ち着きがない。
家に上がりつつ、花宵はまだ悩みつつも先を歩いて室へ案内するついなの背を見遣った。
出会った頃はもっと小さかったのに、今では妻を娶るまでになったのだと思うと、時間の流れを感じてしまう。
「……私も、そろそろ決着つけないと」
ぽつりと呟いて、花宵はもう一度ついなを見た。
相談をしようと思って来たのだけれど、この様子ではまた日を改めた方が良さそうだ。
今日は、この手の掛かる弟分の友人の相談相手になる事にしよう。
「どんな風におかしいの?」
「それが……上手く言えないのです。 じっと見られているかと思って、そちらを見るとすぐに目を逸らされて。 いつの間にか傍に来てくれているのに、気がついて声を掛けようとするとさっさと何処かへ行ってしまいますし」
「え。 何、相談じゃなく、惚気聴かされてるの? 私」
「真面目に聴きなさい」
「聴いているよ。 それは、ただの照れ隠しとかじゃないの? 君たちの話がちゃんと纏まったのってついこの間じゃないか」
だから、それはまだ不慣れな恋にある初々しいものなんじゃないのかと、花宵は言いつつ自分の心がちょっと寂しさを感じているのに気付く。 羨ましいという感情も多分に含まれて。
「そうだと良い、のですが……」
腑に落ちないながらも、ついなにとってもこれは初恋だ。 絶対に違うという確証も持てずにいて、だからこそ花宵にも相談して意見を聞いたといった所なのだろう。
花宵は真剣な面持ちで唸っているついなの頭を軽く撫でる。
「何するんですか」
少しだけムッとしたような顔でついなは花宵を見上げた。 子ども扱いされていると感じたのだろう。
それでも手を払いのけようとしないだけ、自分はこの友人に認められているのだと思って、花宵はなんとなく嬉しい気持ちになる。
「頑張んなさいな」
「……花宵の癖に」
「それどういう意味かな?」
「そのままの意味ですよ」
「ほお。 ついな、少しは自分の国の東宮に敬意とかそういうものを持ってみない?」
「頭沸いたんですか? 女装癖のある変態をどうやって尊敬するんです」
「だから、これは趣味じゃない!」
「性癖でしょう?」
「違う!」
勿論、ついなも花宵の女装の訳を知っている。 だからこれは遊び。 友人としてのじゃれあいのようなものだ。
「まったく。 今日はもう帰るよ。 東雲殿によろしく」
「何か、用事があったのではないのですか?」
「気分転換。 そろそろ、身動きが取れなくなるからね」
花宵の言葉に、ついながそちらをじっと見詰めた。
くすりと花宵はその視線に気遣うような色を見つけて微苦笑する。
「大丈夫。 まだ時間はあるから。 それより、もうこの間みたいな惨劇未遂起こさないでよ」
「それは言う相手が違うと思いますが?」
「いや、合ってるから。 君がもうちょっと怒るにしても穏便に済ませればいい話でしょ」
「無理言わないで下さい。 今だっていつ改めて行おうか思案しているのに」
「君、執念深すぎ」
蛇だって敵わないくらいだよ、と溜息をついて花宵は西域からの唐果物を手土産だと言って置いた。
「金平糖だって。 東雲殿と一緒に食べて、気になる事は直接聞いてみれば?」
「そうですね。 ありがとうございます」
「じゃあね」
花宵が帰った後、ついなは一人で小さく手入れもろくにされていない庭を見る。
秋も深まって、虫の声も目立つようになってきた。 誰そ彼刻に染まる光景も影濃くなり、名の通り隣の相手の顔もはっきりとわからなくなり名を尋ねそうなほどだ。
「春宮の時間がもうすぐ終わる」
ついなは染まる庭の陰影を見詰めて、新たに加わった事を思案する。
「花宵の時間」
ついなにとって、友人は妻の次に貴重で代え難い。 自身でも自身の性格や考え方があまり一般的でない事をついなは理解している。
誰でも彼でも惹きつけて好かれる類の人物も世の中にはいるが、自分はそれとは逆の人間だと自覚もあるのだ。 となれば、その自分を友人だと言ってくれる存在、自分でも友人だと思っている彼らは滅多にない玉のようなもの。
大切な友人だ。 その友人が恐らくそう遠くない時に勝負に出なくてはならなくなる。 それを他人事とは言えなかった。