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東の空に映る色番外余話  作者: 琳谷 陸
水桜の姫(瑞穂)
18/18



 三日程はろくに身体を動かすことは出来なかった。

 その間、吉野よしののついなと名乗った少年は朝昼夕と顔を出した。

「何か足りないものはありますか? 揃えられるものなら用意しますよ」

「足りてる」

「そうですか」

 会っている間に交わす会話と言えばその程度。ついなは必要最低限の事しか聞いてこなかったし、こちらも聞かれた事にしか答えなかった。

 だけど不思議とそのやり取りも空気も、苦にはならない。

 そんな日々が一月ばかり続いたある日、ついなが珍しく“必要のない”話題を振ってきた。いわく。

「花見に行きませんか」

 本堂の床を磨いていた手を止めて、そちらを見やる。

「今は冬だけど」

「そんな事は知ってますよ。で、行きますか?」

 どうやら気が狂ったとか、若いのに呆けたとかでは無いようだ。

 一月で大分、身体も安定してきた。最近は目眩も疲れが取れない事もない。

「行ける所まで」

「では行きますよ」

 ひらりと、ついなは氷襲の童水干、その袖を揺らして身を翻す。

 自分もその後に続いた。

 ふと、昨夜降った雨が木陰で凍ったままなのに気付く。

 ついながその薄氷を割らずに渡り、後に続いた自分もその上を通る。

 薄茶の髪と白衣白袴。そこに映った自分はまるで幽鬼のように、気味悪かった。




「着きましたよ」

 ついなが導いた先は、あの滝壺がある場所だった。

 普通、そこで死にかけた相手を、死にかけた場所に誘わないだろう。連れられる者も嫌なはずだ。

 けれど、不思議なくらいその光景を受け入れている自分がいた。

 むしろ厭うどころか落ち着くような心地にすらなる。

「桜は?」

「ここに」

 それでも当初の目的であるものはどこにあるのかと、ついなに問う。その応えとして示されたのは、滝壺を受け止める泉、その中だった。

 淵に手をつき、覗き込んだそこに見えたのは、白。

「桜…………」

 青い水底に、幽玄の白桜が笑っていた。

「綺麗でしょう。それと、君が死に損なった原因ですから、それ」

「失礼ね。人助けしてそんな風に言われるなんて心外だわ」

 どこから声が? と思った瞬間、声の主が視界に映る。

 ゆらゆらと揺らめく水面に映っていたのは、いつの間にか自分ではなくなっていて。

 白い髪と肌に、桜色の瞳。その大きな丸い瞳と目が合った。

「生きていてくれて嬉しいわ」

 水面から、白くたおやかな両腕が伸びる。両手で頬を包まれ、映った姿そのままで、その人は水面から出てきた。

 清流のような白く長い髪と白い肌、そして桜色の瞳をもつ、少女の姿をしたカミ。

「瑞木よ。ねえ、あなたのお名前は?」

 その声は、もう随分聴いていない慈しみをもった暖かいものだった。

 だから、かもしれない。

「どうして泣くの? ね、ねえ、ついな! 私、何かいけなかった?」

「いえ別に。ただ、名前にトラウマがあったらその限りではありませんが」

「ど、どうしよう。あの、ごめんなさいね?」

 違う。けど、今、口を開いたら、嗚咽しか出ない。

 情けないけど、何もいえなくて。

 おろおろと困っているその人の姿と案じる瞳に、また、視界が滲んだ。

「た、すけ、て、くれて……ありがとう、ござい、ます」

「え」

 ぼろぼろと零れる涙が熱い。自分の涙だと思えないくらい。

 生きている、体温と同じもの。

 生きてる。

「死にたく、なかった」

「…………」

「ありがとう」

 それだけで精一杯で、だから。

「名は、もう、ありません」

「……」

「ぼくは、あなたの、ものです。だから……名を、下さい」



      ◆     ◆     ◆



 手を貸したのは、数少ない友人の頼みだったから。

 はっきり言って、人身御供なんて珍しくない。けど、友人はそれが嫌だったらしい。

 自分に捧げられるものなら、余計に。

 だから、手伝って自分と同じくらいの子供を水から引き揚げ、社に運んだ時点ではただの作業としか思ってなかった。

(……でも、興味が出た、かも)

 どんな反応をするかなと思って、幾通りか考えていた。

 でも、今この目の前で交わされているやり取りはどれにも該当しなかった。

 瑞木に助けられた事を認識して、感謝したらしい。そういえば、社で助けられたのだと告げた時も否定する様子はなかったと思い出す。あの時は思考が追いつかないか、わかっていないのかと思っていたけれど、どうやら理解した上でその事に感謝をしていたらしい。珍しい。

(大体は助けても逆恨みするのに。……矛盾しない)

 助かって安堵するくせに、何が気に入らないのか「助けてくれなんて言った覚えはない」とか余計な事をするなとか、そういう輩は矛盾している。助かって安堵するという事は、死にたくなかったという事だ。

 なのに、礼より文句とはどういう事だと思うけれど、目の前の子供にはそれがない。

(どうせ、暫くは補助しなければならないのだし、もう少し付き合ってみようか)

 心に決めて、くすっと小さく笑う。

「瑞木。叶えて差し上げたらいかがです。折角の、下僕志願者なんですから」

「ついな! 変な事言わないでよ!」

「変? どこがですか。自分から瑞木のものだとわきまえて、名を与えて欲しいと言っているんですから、叶えて差し上げればよろしいでしょう? どうせ、まだ暫くは側から離れられないんですし。あのボロ社の世話でもしてもらえば良い」

 有効利用するべきだと告げて子供を見る。その顔にも、やはり拒絶の色は無かった。

(でも、言われたからって様子ではない。自分で受け入れている。……やはり、興味深い)

「ぼくに、名を」

「~~! もう! そんなつもりじゃなかったのよ! ただ、少しは元気になったか確かめたかっただけなのに」

「何かやる事があった方が案外、回復も早まりますよ」

 私の言葉に友人が考える素振りを見せ、そして子供を見た。

「…………下僕なんて思わないけど、ここにいる間の名前を」

 はぁ、と溜め息をついて友人が名づける。

「瑞穂。瑞々しく生命と実りに溢れたこれからを」

 どうやら子供の名前は、瑞穂となったようだった。

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