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東の空に映る色番外余話  作者: 琳谷 陸
三日夜の餅(ついな×東雲)
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三日夜の餅・其の十四

十四


 苦しくて、何よりも甘い感情の名前を知った。

 人間として過ごすことが肝心と言われ、それを実践した東雲の心中しんちゅうは穏やかでない。

「もう、なんでまだ熱いの……」

 火にかけた釜の中身がくつくついう音を聞きながら、そう呟く。 別に釜がどうこうではなく、熱いのは自分の頬。 東雲は両手を頬に添えて俯いた。

 今宵は婚儀の最終日だ。

 だと言うのに、その前に息絶えてしまいそうだと半ば本気で東雲はうるさい鼓動の音に思う。

 人間の器は不便だ。

「何で体温なんてあるの」

 昨晩、背中越しに感じた夫の体温と鼓動。 あちらのが伝わるなら、当然こちらの鼓動だってあちらに伝わっているだろう。 体温も、あまり考えたくないけれど。

「あう。 ああ……」

 顔から湯気が出そう。 呟いて、両手で頬と言わず顔を覆う。

 夫の顔がまともに見られません。 まさにそんな状況。 動悸と頭がぼんやりしそうな熱が、あの姿を見ると同時に襲ってくる。 無理。

「悔しい……」

 何がって、もう一人の当事者である夫、ついなは今朝もその前も何食わぬ顔で朝起きて出仕して行った。

 自分がこんなに翻弄されているのに、涼しい顔だ。

 人間歴の差がこんなにも出るなんて。 そう思って東雲は唸ったが、実際はどっちもどっちだと何故本人達だけが気付かないのか。 世の中、不思議なものである。

 ふと、友人から貰った香袋のようなものを袷から取り出して、中身を取り出す。 それは白い金平糖。

 婚儀の最終日に、二人で食べてと渡されたものだ。

「今日の唐果物からくだもの(いわゆるお菓子もしくはデザート)ね。」

 高杯たかつきと呼ばれる足の長い杯にそれをあけて、少しだけ心を落ち着ける。

 完全に落ち着けたい所なのだが、それはどうやら叶いそうに無い。

 人間は本当に不便だ。 こんなもの、どうやって制御しているというのか。

「壊れそう……」

 めまぐるしく渦巻き暴れる感情は自分のものなのに、気を抜いたら自分がバラバラにされてしまいそうな気がする。 自分の感情のはずなのに、思い通りにならない。 こんなもの、一体どうやって御しているのかと東雲は子供のように頬を膨らませた。

 物凄く、不利な気がしてならない。 誰に対してかと言えば一人しかいない。 ついなである。

「別に戦っているわけではないけれど……悔しいわ」

 これでも、ついなに比べたら随分年上なのに、あちらの方が余裕に思えて面白くない。

 声や姿を、あの表情を、思い浮かべるだけでこんなに苦しく甘いものが胸に広がる。 それは暖かいけれど、本当に困る。

 そっと胸元を手で押さえれば、とくとくと若干早く脈打つ鼓動。 頬はきっと林檎みたいに染まっているだろう。 本当に困る。 こんな状態では、すぐにバレるではないか。

「好きだって、バレるじゃない」

 そりゃ、互いにはっきり既に言い交わしたのだが、それはそれ。 これはこれ。

 支離滅裂だが、そうとしか言えないから困るのだ。




 柔らかくて温かくて、甘い花のような優しい匂い。 日向の匂いにも似ている。

「ん……」

 ぎゅっと頭を抱き締められて、ついなは寝具の中で硬直した。

 事の起こりは夕餉の時。 最後に出された金平糖を食べた直後、東雲が寒いと言った所から始まる。

「今日は冷えるのね……」

「え?」

 そんな事はない筈だと首を傾げたが、東雲は寒そうに自分の両腕をさすって。 そうしている内に今度は眠気が襲ってきたらしく、うつらうつらと頭が揺れた。

 そのまま目の前の片付けていない膳に突っ込みそうな危なっかしさを感じ、ついなは東雲から片づけ役を取り上げて先に休むようにと促すことにした。

(人間に合わせて、人間と同じ器を構成したと言っていましたから、疲れが出たのかも知れませんね)

 慣れない身体で慣れない事をしているのだからそれも当然だろうと、ついなはその身を案じる。

 東雲とは違い、産まれた時から人間のついなは手早く洗物を済ませ、居間で完全に寝入った東雲の姿を見てその身体をそっと抱き上げた。 東域の女性が身につけているものは貴族ならば幾重にも衣を重ねたもの。 平民や農婦ならば数枚程度の重ね衣。 東雲が身につけているのは貴族ほど物々しくは無く、平民や農婦ほど飾り気の無いものではない変わったもの。 言うなればこの域で天女と呼ばれるような御伽噺や神話の中に出てくる女性が身に纏うものと似通っていた。

 何が言いたいかというと、ほどほどに身体の線や柔らかさが抱き上げると感じられるという事で。

 抱き上げてから、ついなは思わず「しまった」と思った。 片手は両膝の裏に。 片手は背を腕に支えさせて肩を抱いている。 安定して運ぶ為に、ぴったりと抱きかかえた身体と自分は密着しているのだ。

 思わず頬が赤く染まっていくのを感じたが、さりとてここで手を離して落とすというのは考えられないし、やったら最低である。 論外だ。

 起こすのは忍びなくて抱きかかえたが、きっと正解は優しく揺り起こすことだったのだと、ついなはひしひしと実感していた。

 なるべく今の状況(二人っきりで密着状態今から寝所に運ぶ)と東雲の柔らかさや体温を考えないようにして、ついなは寝所へと向かう。

 朝、起きた時にはきちんと畳んで仕舞った寝具は最近は帰ってくればきちんと敷かれている。 夕餉だけではなく、掃除もこういった用意も。

 それを見る度に、ついなは少し複雑になる。 嬉しいのは勿論だ。 東雲が自分のためにと世話を焼こうとしてくれているのは、純粋に嬉しい。 けれど、少し不安になるのも確かで。 家のこと、自分の身の回りの世話をして欲しくて、妻が欲しかったわけではないと。 ちゃんと東雲が好きで妻にと乞うたのだと、伝わっているだろうか。 そして自分はこの与えてくれたものにちゃんと返せているか。 それが不安になる。

 そっと東雲の身体を横たえて、掛け布を肩まで引っ張り上げた。 寒いと言っていたのを思い出して、もう一枚掛けた方が良いだろうかと部屋の隅にある唐櫃からびつを振り返り、そちらに行こうと立ち上がったのだが、一歩踏み出した所で衣が何かに引っかかったような感覚を覚え不思議に思って振り返る。 と、すやすや眠る東雲が衣の裾をしっかりと掴んでいた。

 試しにその裾を東雲の手から引き抜こうと軽く引っ張ってみるが、抜き取れない。

 再びついなは東雲の傍に座り込み、そっと指を開かせようと触れた。 瞬間。

「わっ?」

 白い指が、袖からすらりと伸びた細い腕が、ついなを絡め取った。

「東雲っ?」

 どうしたのかと問う前に、ついなは黙らざる負えなくなる。 ふにっとした柔らかい感触が額やら頬に当たれば然もありなん。 まるで抱き枕のように、東雲はついなの頭を抱いた。

 冗談ではなく、ついなの思考は真っ白になって停止する。 ようやく動き出せば動き出したで、頭の中で自分自身が大会議だ。 柔らかくて暖かくて、日向の花みたいないい匂い。 身じろいだ時に聴こえた声は甘えるような初めて耳にするもの。 しかも、今は婚儀の最終日。

(待って下さい。 駄目です。 いけない)

 落ち着け静まれ理性を最優先に。 そう唱えるかの如くめまぐるしい速さの自身の鼓動と脳内大会議に言い聞かせる。 そうでもしないと何かが危ない。 その何かを考えるだけでもよろしくない事になりそうで、ついなは懸命に耐えた。 何が悲しくて婚儀でこんな拷問を味わわなければならないのかと、考えている余裕は無い。


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