三日夜の餅・其の十一
十一
「スイさんや!」
「あら。 どうしたのビオルさん」
スイはノックもそこそこに家の扉を開けて入ってきた客人もとい布の塊にそんな声を掛けた。 用件は大体わかっているが、あくまでも、まぁどうしたの。 を貫く。
「シルフィさんのぉ、事なんだけどねぇっ?」
「あら。 何か不都合でもあった?」
「ちゃんと教えてくれたかいぃ?」
「ええ。 “どこまで”って言われていなかったから、とりあえず涙目で済むところまで」
「スイさんーっ?」
うわぁぁ! と盛大に頭を抱える布の塊に、スイはとりあえずスッキリした面持ちで頷いた。 これくらい可愛いものでしょ、とでも言うように。
「あのねぇ? 私っ、あの子たちの婚儀に出なきゃいけないんだよぉ?」
「知ってるわ。 頑張って」
「いやいやいや! だからぁ」
「ビオルさん」
ふぅっと溜息をつき、スイは悩ましげな様子で片手を頬に添える。
「心配しなくても、東雲には最終兵器を持たせてあるから平気よ」
布の塊はその言葉に嫌な予感がいや増したのを感じた。 そもそも、変な単語が混じっている。
自分の精神衛生上は絶対聞かない方がいい。 確実にだ。 しかし、物事には避けて通れるものと通れないものがあるわけで。 これは八割方後者である。
「シルフィさんにぃ、何を渡したのぉ?」
「仲良くなれる秘薬」
布の塊は黙った。 冗談なのかどうなのか自分以上にわからない狭間の姫の言葉。 微笑む顔はそれだけで国を傾ける事も出来るだろう美しさだが、それこそ産まれた時からその成長を見ている布の塊にしたら、それは悪戯っ子の笑みに等しかった。
しかし。
「スイさんはシルフィさんの友人でしょぉお? 何でこんなややこしい事するのかなぁんっ」
「あら。 人聞きの悪いことを言わないで。 私はあの子を不幸にする気なんてないわ。 どころか、誰よりも幸せになって欲しいって思っているの」
「ならぁ」
「だから、甘やかさないわ」
水碧玉のような瞳が煌く。 暖かく、強く。
「知識だけ与えても意味なんてないのよ、ビオルさん。 本当に、殿方ってどうしてそういう所がわからないのかしら……」
「…………」
呆れたような溜息を吐かれて布の塊は再び口を閉じる。 下手に何か言ったらそれが何倍にもなって返ってきそうだ。 スイはそれで正解と言う様に今度こそ石の花すら本物に変えてしまいそうな極上の笑みを浮かべ、言う。
「私は、本当にあの子が幸せになるのを願っているわ。 だから、知識だけ教えてそれでよしにはしない。 甘やかすこともしないの」
それが私からあの子に贈る心からの贈り物だとそう言って。
「大丈夫よ。 あの子は気付くし、あの子を妻にと願ったくらい見る目のある殿方なら絶対あの子を不幸にはしない。 あの子の本当の望みを見つけ出した殿方なんだから」
◇◇◇◆◆◆◇◇◇
「ついな。 どうしたの?」
東雲の呼びかけに夜着に(勿論自分で)着替えたついなは、本当に一緒の寝具で眠ろうと思っているらしい自分の“妻”の姿に固まっていた。
覚悟を決めたものの、いざ本当にその場になると身体が硬直してしまっている。
かつてここまで窮地だと感じたことはあるだろうか否ない。 そう心の中で呟いて。
「少し、緊張してしまって」
「あら。 そうなの?」
無邪気に仕方ないわねぇと笑っている東雲に、ついなは重い溜息をつきそうになるのをひたすら堪えていた。
この地域の寝具はイグサという植物を編んで作られた長方形の板、畳というものの上に敷き布、足のついた枕と大袿もしくは昼間着ていた衣を掛け布とする。 ただ、これは貴族の通常で、農民ならば藁で編んだものを掛け布にしていることもあるし、普通に大きめの布を掛け布にしているのが一般市民(ついな含む)だ。 寒くなればここに綿を入れたものを足したりする。
そんな寝具に常と変わらぬ格好のまま入り、早く来いと自身の隣を叩いて見せる東雲に、ついなは床に沈みそうな自分をどうにか支えていた。 しかしいつまでもそうしていられない。
のろのろとその隣へと行く。
「ほら、寝て。 ちゃんと肩まで掛け布の中に入れないと、風邪引いちゃうわよ」
幼い子供を寝かしつけようとしている母親のような仕草と口調で、東雲はついなに掛け布を被せた。
背を向けるのもそちらを思いきって向くことも出来ず、ついなはひたすら天井の梁を見詰める。
「ついな、どうしたの?」
そんなカチコチの石みたいな状態で気にならないわけがない。 まして今は肩が触れるくらい近い距離だというのに。 東雲の声についなは必死に心の中で唱えていた祭文を中断する。
「いえ、その、特にどうという訳では」
「…………」
不意に視界が遮られ、ついなは不思議に思った。 この緑の絹糸はどこから垂れているのだろうと。
それが、身を起こして自分を上から覗き込む東雲の髪だと気付いたのは、たっぷり三つ数え終わってからだった。




