三日夜の餅
三日夜の餅
一
「ビオル。 あなたは私達の長よね」
大陸の中心にある狭間の地、そこには深い森と山脈がある。
布の塊ことビオルはその地にある自身の住処で、そんな事を言われて何とも言えない表情を口許に浮かべた。 と言うか口許と目深に被ったフードから零れた緑青色の髪一房しか露出していないのだから、それ以外に表情を窺える所はないのだけれど。
森の中、木を組み合わせて作られた小屋で質素な丸イスに腰掛けて休んでいたら、先の台詞を言われた。
「そうだねぇ。 あは、仮だけどねん」
「仮でも代理でも、貴方は私達が認めた長なのよね」
「……そぉだねぇ。 そうだけどぉ、それが何なのかなぁん?」
「つまり、私達の親でもあるのよね」
ビオルは指先まですっぽり隠れるゆったりとした長い袖を口許に当てて小首を傾げた。
自分の眷族である目の前に立つ女性。 少し前に東域の人間に妻問いされ、それを受けた風の精霊を見た。
「シルフィさんやぁ、それがどうしたって言うのぉ?」
人間での名は東雲と言う浅葱色の腰まで伸びた長い髪に白い肌、明るい光に照らされた森の緑を瞳に宿す女性は、東域で天女が纏うようなひらひらとした衣を身に付けている。
歳は十六くらいに見えるのだが、精霊としてそれなりに長いときを生きていたりする。
「ビオル」
「なぁにぃ?」
「お願い。 私の父として婚儀に出て」
「…………」
◆◆◆◇◆◆◆
「三日夜の餅? それなぁに?」
「三日夜の餅って言うのはね、この辺りの……ううん、この国の人間の、婚儀なの」
春は夢のようと讃えられる東域の国、占唐の中でも、特に桜の美しい場所と言われる吉野の郷。
その郷にある山に建つ古くも手入れの行き届いた社、その簀いわゆる廊下で、見た目はどちらも十代の少女である浅葱色の髪と雪白色の髪をした二人は他愛のない話をしていた。
雪のような真っ白で足首まで伸びた髪と肌、大きな瞳は桜に染まった、東雲と比べれば幾分幼い顔立ちの少女はこの地を護る土地神だ。
土地神である瑞木という少女は、東雲よりもさらにひらひらとした衣に包まれた薄い胸を張り、妹か何かに教える姉のような澄ました顔と口調で言う。
「夫婦になった人間はね、夫は妻の家に三晩泊まるの」
「妻の家に?」
「この国はね。 家柄は妻の方に寄るからなのよ。 『男は妻柄』なんて言葉もあるんだから」
東雲は緑の瞳をぱちぱちと瞬かせた。 それを見て瑞木は笑う。
「ふふ。 まぁ、しのちゃんは気にしなくて良い事だと思うけど。 人間て面白いわよね。 でね、三晩泊まった夫は妻の両親と一緒に朝餉を取るのだけど、その時に出されるのがこの三日夜の餅なの。 お餅って縁起物だし、婚儀祝いって所かしら」
「そうなの……」
瑞木の言葉を目を丸くして聞いていた東雲はそう呟いて黙り込んでしまう。 そんな様子に瑞木は小鳥のように小首を傾げて問い掛ける。
「どうしたの?」
「あのね、私は精霊でしょ」
「そうね」
「私の場合、自然の気が凝って生じたから、人間のように両親というのはないし、家族という概念がないのだけど」
「うん」
「そういう場合、両親の代わりに、長に務めてもらう事はできるのかしら?」
今度は東雲の言葉に瑞木が目を丸くした。 東雲の言う長とは、風の精霊の長である。
光、闇、火、水、風、土。 大きく分けて六大精霊の一角を担う相手に親代わりを頼もうというのだ。
「私達の長は、自身では仮だと言っているけれど、私達はあの人を仮なんて思っていないの。 私達の自慢の長よ」
精霊は家族などいないから、親馬鹿とかそういうものも無い。 しかしその代わりのように、彼らはことごとく自分達を束ねる代表である長が大好きだった。
それぞれが自分のところの長は最高だと思っているし、敬愛している。 その態度の表し方などはそれぞれで随分違っていても、その部分だけは変わらない。
長というのは、眷属を束ねる者。 眷属全てが認めねば長にはなれない。 認められるという事は普通に考えて仮など有り得ないのだ。
「だから、長に親代わりになってもらうのは駄目かしら?」
「えーと、しのちゃん。 それって、三日夜の餅、やりたいの?」
「だって、人間は婚儀を挙げないと普通は認められないのでしょう?」
妻にと乞われて了承した。 それでもう東雲の心は決まったのだが、人間の世に照らし合わせればそれでは正式に認められたとはならない。
「私ね、自己満足なのはわかっているけれど……ついなの妻になりたいの。 ちゃんとした、人間の女性みたいに」
「しのちゃん……」
「知りたいわ。 ついなの事。 人間の文化を知って、合わせる事ってきっとその役に立つんじゃないかと思って」
まだまだ知らないことは多くて、自分たちは歩き始めたばかり。 だから少しずつでも、どんな事でも知っていきたいと東雲は思っている。
「ついなは、ちょっと人間としてはおかしい所もあると思うけど、人としては馬鹿じゃないと思うの」
わからなくて惑う事も多いけど、と前置いて東雲は微笑んだ。
「いつも、ついなは私の事を想っていてくれる。 それだけは確かに感じられるの」
にへっと大切な宝物を抱くように、胸の上に両手を重ねる。 不思議な感覚だった。
自分はあの夫に恋をしたのだと、最初はわからなくて認めたくなくて、今になってみればおかしな話だけど。
相手の事を想うだけで、胸の奥に暖かいものが広がる。 淡いようで、鮮烈で。 甘く苦く。 苦しくて泣きたくなりそうな時もあるけれど、同じくらい嬉しくて歌いだしたくなるくらい幸せになる。
知らなかった感情が芽吹き、育っていく。 世界はもっと色を増していく。
「私も、ついなが好きだわ」
完全に惚気である。 しかし、瑞木はそんな東雲を少し眩しそうにちょっと羨ましそうに見つめて、笑顔でその胸元に抱きついて頬擦りした。
「うふふ。 しのちゃん、幸せそうで見てると私も嬉しい」
そのまま瑞木は桜の瞳を上げて東雲を見る。
「しのちゃん可愛いわ。 三日夜の事、長さんに頼んでみるの、良いんじゃないかしら。 私は賛成」
「ありがとう」
頼んでみるわ、と東雲も嬉しそうに言って、瑞木が身を離すのを見計らって軽く床を蹴って浮き上がった。
「お話聞かせてくれて、ありがとう」
「いいえ。 楽しかったわ。 また来てね!」
「ええ」
東雲が風に乗ってそこから去った後、瑞木は自分の胸元をぺたぺたと触った。
「やっぱり……しのちゃんくらい無いとダメかなぁ」
微妙にしょんぼりした声音がそこに転がるが、幸いな事にそれを聞くものはいなかった。