第10章 嵐の前触れ
1.
某所――
「ぐあああああああ!!」
「伯爵様! 伯爵様!」
優雅にカフェオレを飲んでいた伯爵が、突然顔面蒼白となり、苦しみだした。ガントレット――今は日中ゆえ、変身をしていない初老の男性の姿である――が駆け寄り背中をさする。
数分後、伯爵はようやく息を整え、ガントレットに急変の理由を告げた。
「ラクシャの黒水晶が、破壊された!」
「なんですと?」
ガントレットの顔色もまた蒼白になる。
「そんな……水晶の破壊など、あの女にすらできないことのはず……!」
「そのまさかが起きた――」
伯爵は充血した眼でガントレットをにらむと言った。
「フレイムを呼び出せ。今すぐにだ」
2.
金曜日のお昼少し前。何かと自由の利くこの国の大学生といえど、今日をしのげば二連休というのは、やはり心浮き立つものである。そんな、そこはかとなく浮ついて構内を歩く学生たちを、生協上のカフェテラスから観察している3人の女の子たちがいた。
「あの子は……ちょっと短いな」
「うーん、もっと髪の量が多かったような」
「はあ。なによあのパーマ。せっかくの髪が台無しじゃない」
「理佐。だれがファッションチェックやれ、って言ったんだよ」
優菜たちが見る方向を分けて、生協付近を通る女子学生を観察していた。正門を含めて、下界への出入り口が多く集まっているのが、この生協下なのだ。るいなど、どこからか望遠鏡まで仕入れてきて喜々としてのぞき、もといヒューマンウォッチングに勤しんでいる。
「うわ、あの子大胆! そこでチューしますか」
「……なにやってんの? 君ら」
るいが望遠鏡を覗いたまま振り向いて、隼人のドアップにけらけら笑い出す。
「隼人君の剃り残し、発見!」
「いいかげんにしろ!」
優菜がるいの頭にチョップして、ようやくるいは望遠鏡を眼から離した。
「で、なにやってんの?」
「ああ、昨日の人を探してるんだよ」
優菜が隣に座った隼人に答える。
「昨日の人? ああ、"黒田さん"ね」
隼人はにやりと笑う。昨夜の事後ブリーフィングの席上、エンデュミオール・ブラックは正体不明のため『黒田さん』と外では呼称することになった。隼人の笑みに二重の意味があることに気づかず、優菜が説明を続ける。
「そう、あんな髪の長い人、そう多くはないと思うんだ。だからこうして、とりあえずお昼ごはんが終わるまでみんなで見張ろうって話になったんだ」
「なるほどね。で、それらしい人は見つかった?」
隼人の問いに、理佐が首を横に振る。
「ストレートロングって最近流行ってるから、ちょこちょこいるのよ。でも、髪の量が少なかったり短かかったりで、なかなか――」
「ねぇ、あの人、どう?」
会話に加わらず下を眺めていたるいが、坂を上ってくる1人の女子学生を指さした。
「お! それっぽい!」
「ほんとだ。結構長いじゃん」
隼人のコメントは下手な演技なのだが、優菜がそれに乗せられて動こうとした機先を、理佐が制した。
「違うわ」
「なんで?」
「背が低すぎる」
理佐の根拠は明快だった。
「私より高かったわ。180センチくらいあるってことよ?」
そういう観点から見ると、件の女子学生は確かに低い。優菜が気落ちして席に戻った。
「よく考えたら、もうその時点でほとんどの女子が圏外だね」
るいが真顔で言い、テーブルに置いてあった缶コーヒーを一口飲んだ。
……今のところ、隼人は疑われていないようだ。しかし、もうしばらく、隼人は正体を明かすつもりはなかった。
理由は2つある。1つ目は、なんといっても気恥ずかしいことだ。女の子に変身しちゃうという経験は、それはそれで面白いのだが、友人たちにばれなければという大前提がある。
理由の2つ目は、ボランティアに正体を明かすことが良いことかどうか、判断が付きかねるという点だ。ボランティアを信用していない、という意味ではない。
隼人の疑念は、『ボランティアの動向が敵に漏れているのではないか?』という点だ。昨夜にしても、ご丁寧に罠まで張られていた。スタッフ2人は、定時連絡をした直後にオーガに襲われ、捕らわれた。隼人もあのタイミングでトイレに行かなければ、同様の目に会っていただろう。
そして振り返れば、バルディオールはことごとく、フロントのエンデュミオールが1人しかオンステージしていない時に出現している。隼人が支部長に連れられて見た戦闘の時は――これは後から聞いた話であるが――最初はルージュ1人だった。るいのバイトが早めに終わったこと、理佐の彼氏がデートをドタキャンしたこと、この偶然が無ければルージュは1人でフレイムと戦わねばならなかった。
その次にフレイムが現れたときは、ブランシュ1人だった。優菜もるいもバイトで遅れての参戦となった。
ラクシャが現れて支部長が傷を負った戦闘の時もブランシュ1人。るいは飲み会、優菜はゼミの友人と小旅行で、あの時点でまだ新幹線に乗っていた。
昨夜のことに話を戻せば、ラクシャはこういったと言う。『丸聞こえなんだよ』と。
昨夜の事後打ち合わせでその話が出て、支部長は無線の周波数を変えるつもりのようだ。
だが、無線だけなんだろうか? そもそも、普段のフロントスタッフの動向や、昨夜の人員配置は、無線を通じて話してはいないはず。ということは、支部内に盗聴器、の線も捨てがたい。あとはHUMINT、すなわち、内通者がいる、ということになる。
以上の懸念を隼人はメールに書いて、支部長の職務用アドレスに送った。今日は夜に予定があるから直接話せないし、通話は盗聴されていたら困る。なんだか被害妄想のようで嫌だったが、自分と、なにより仲間たちを守るためだ。被害妄想で済めば笑ってすませられる。
隼人が考え込んでいる間にも、3人娘の話題は『黒田さん』の正体について、で続いていた。
「なんで出てきてくれないんだろうね?」
「恥ずかしいからとか」
ギクッ
るいの核心を突く言葉に、隼人は表情を取り繕うのに苦労する。
「わたしは支部長が言ってた、かつての仲間の子供、っていう線だと思うわ」
理佐が昨夜のことを思い出しながら意見を述べた。
22年前、支部長たちは敵と戦い、伯爵に大きなダメージを与えた。しかし彼の配下の自己犠牲により、すんでのところで取り逃がしてしまった。支部長たちも大きなダメージを受け、会長への不信感もあってボランティアを辞めて音信不通の人も多いのだという。 そのとき、辞めた人たちが記念に、あるいは黙って持っていった白水晶がその子供たちに受け継がれて、その一人がブラックなのではないか、というのが支部長の推測だった。
「それなら、名乗り出てこないのも納得できるわ。ボランティア、いや会長に対する不信も親から聞かされていたら」
あるいは本人が加入したくても親が止めてるかも。理佐はそう推測して結びとした。
確かに、会長が昨夜のピンチにまったく手を打った形跡がないことは、スタッフの間からも不満の声が聞こえていた。22年前も、会長はほとんど現場に現れず、それどころか現場の不信感を決定的にするようなことをしたという。支部長は詳細を語らなかったが、その時の彼女の眼には涙が浮かんでいるようにすら、隼人たちには見えた。
「なあ、隼人はどう思う? 黒田さんの正体」
「俺は姿を見てすらいないからなあ」
隼人はそう答えるのみ、とする。こういうとき、犯人はいつも警察のミスリードを誘おうとしたり、ついついしゃべりすぎちゃって破滅していくと相場が決まっている。
(ふっふっふっ警部さん、俺はそうはいかないぜ)
そんな隼人の脳内妄想に冷や水を浴びせたのは、るいの何気ない一言だった。
「そういえばさ、なんでアクアが治癒できるって知ってたんだろ? あの人」
ギクッ
「たまたま、アクアの手が空いてたからじゃないの?」
理佐の指摘にるいは反論する。
「でも、名指しだったよ?」
ギクギクッ
「前にどこかで治癒しているところを隠れてみてた、とか?」
と隼人は思わずフォローする。
「ああ、そういえば、最近現場に行ったら、『事故』がもうある程度処理されてたことが何回かあったな」
(優菜ちゃん、ナイスアシスト!)
隼人は心の中でほくそえむ。だが、ここで理佐まで考え込み始めたではないか。
「あの別れの挨拶、どこかで見た気がするのよね」と。
ギクギクギクッ
「ああ、『じゃっ』ってやってたやつな」
隣に座っている優菜が、隼人の眼前でしゅっと手を挙げる。
うわあ。
「隼人。暑いのか?」
「……別に」
冷や汗だよ。
完全犯罪って難しい。そう実感した隼人だった。
「「あ、みんな。こんなとこでなにしてんの?」」
「よう、双子。……相変わらずユニゾンしてるな」
と優奈は真紀と美紀に手を上げて挨拶した。
「おはよう。あ、美紀ちゃん、その椅子、汚れてるぞ」
美紀が持ってきた椅子に汚れを見つけ、隼人が手で払ってやる。ありがとうとお礼を言う美紀の眼がたちまち潤むのを見て、理佐がなぜか隼人をにらむ。
「……隼人君は見分けられるのね。美紀ちゃんを」
「ん? ああ、なんとなく、ね。もう3年目だし。ゼミの奴らもなんとなくなら見分けれるよ」
「「うちらもまだまだ修練が足らん、ちゅうことやね」」
「お前ら、やっぱりワザとやってんじゃねぇか!」
と優菜がツッコんだそのとき、息を飲む音が聞こえた。理佐だ。その視線の先、カフェテラスへの階段を男が1人上ってくる。
「利次君……!」
利次は理佐を無視して、まっすぐ隼人のそばに来た。隼人も立ち上がって、利次の殺意すら感じさせる視線と相対する。
「なんすか? 先輩」
「消えろ」
「利次君! 止めて!」
泣き出しそうな顔で利次の横に立ち、止めようとする理佐をまたも無視して、利次は隼人に憎悪の言葉を叩きつけてきた。
「目障りなんだよ前々から。俺の理佐にまとわりつくな。失せろ」
「ほぅ」
隼人は利次から視線をそらし、理佐をちらりとだけ見ると、ゆっくりと利次を見たまま席を離れた。その視線を挑戦と受け取ったのか、利次が理佐を押しのけ隼人に詰め寄ろうとした、そのとき。
「しょっと」
「うわっ!」
いつの間にか利次の背後に立った真紀が、彼の上着を引っ張りながら膝裏をつま先で押し、カックンとなった利次は、テラスの床にしりもちをつく格好になった。そこへ美紀がお茶の500ミリペットボトルを放り投げ、彼が受け止めたのはまさに顔面すれすれの有様。
顔色を赤や青に忙しく変える利次を見下ろして、美紀とその傍に移動した真紀が言った。
「「あんたの用があるのは理佐ちゃんやろ? そこで大人しゅう茶でも飲んでなはれ」」
今まで見たことのない、厳しくかつ挑発的な双子に、優菜たちは目を見張る。
「「さ、隼人君、授業授業」」
双子はくるりと揃って向きを変えると、またいつもの調子に戻って、隼人と一緒にカフェを出ていった。
利次が怒りで震える。カフェの床に膝カックンで座らされて茶まで恵まれて。こみ上げ始めた笑いをこらえる、理佐の友人たちまで揃ったこの恥辱の場を逃れるには、こうするしかなかった。
「理佐、来い!」
利次は理佐の腕を取ると強引に引っ張り、学食の中に消えていった。
隼人は歩きながらではあったが、ミキマキに素直にお礼を言った。
「ありがと、助けてくれて。でもあいつ、ねちっこそうだから、気をつけなよ」
「「ありがと。隼人君は優しいね」」
どういたしまして、と隼人が社交辞令で応えると、美紀が隼人をじっと見た。
「隼人君、うちのお願い、聞いてくれる?」
「応えられる範囲内なら」
「うち、隼人君がしてるボランティアに行きたい」
来た。それは、いつかは来るだろうと思っていたお願いだった。
「どうしたの、急に」
予想していたことでも、やはり隼人は聞かざるを得ない。
「優菜ちゃんたちを見てると、楽しそうやから。隼人君も、楽しそうやし。その、理佐ちゃんといるときとか」
最後のほうはわざと聞き流した隼人だったが、隼人としては概ね想定内の回答だ。サポートスタッフが増えるのはいいことだし、な。
「分かった。今日は行かないけど、近いうちに、少なくとも来週の火曜日には確実に行くから、その時に聞いてみるよ」
「うん。待ってる」
殊勝にうなづく美紀を見て微笑んだ隼人だったが、改めて前を向いたとたん、突然心中で先ほどの修羅場が再現された。なぜだか分からない。だが、何かが引っかかる。真紀が今日は飲み会がどうとか隼人に言っているが、耳に入らない。
(なんだこれ? いったい……)
隼人は講義中も、その後も考え続けた。そして、ある仮定に至ったのは、るい指定の店の前でだった。
3.
夕方7時。その店『粋酔』は、市南部の港に隣接する倉庫街にほど近い場所にあった。1年ほど前にオープンして以来盛況で、近くにカラオケやショットバーも数多あって2次会にも困らない。なんといっても地酒の種類が豊富なの。それが、るいお薦めの理由だった。
「隼人君、お酒奢ってくれるって言ったし。『好きなお酒を好きなだけ』って。ね?」
るいにウィンクされて、隼人は鷹揚に笑ってうなずく。
「なんか、趣旨が変わってないか? おい」
やや呆れ顔の優菜を理佐がなだめた。
「いいじゃない? 兼ねちゃえば。いずれやるつもりだったんだし」
隼人君の歓迎会をやろうよ。るいが前々からそう言っていた。サポートの人たちがやったのに、自分たちがやらないのはおかしい、そうおっしゃる。
お前はそれをだしに飲みたいだけだろ、と言いながら優菜も前向きに検討してくれた。金曜日のこの時間、隼人は警備のバイトなのだが、同僚に頼んで再来週の火曜日と交代してもらっていた。
問題は理佐だ。というより、例の彼氏だ。よりにもよって今日怒らせたばかりで、大丈夫なのだろうかと心配する隼人に、理佐はやや影のある笑顔で答えた。
「いいの。もしばれても、わたしがなんとかするから」
「それが嫌なんだけどな」
隼人の素直な物言いに、理佐は頬を赤く染める。
「いいの! 大丈夫だから。さあ、乾杯乾杯!」
理佐が、さっそくニヨニヨし始めた親友たちににらみを利かせると、乾杯の音頭をとった。
それから30分ほどが経過。料理は隼人が見る間に平らげ、お酒はるいが喜々として次々に注文していた。
「お前ら、もう少し落ち着け」
隼人から取り上げたフライドチキンを齧りながら、優菜が2人を抑えようとする。
「まあ、るいはいつものことだけどね。隼人君、もっとゆっくり食べないと、おなかに悪いわよ」
「いやまあそうなんだけどさ、こんなにおいしい食べ物が一杯あると、つい」
「お前、どんな人生送ってきたんだよ」と興味深げな優奈。
「うん、まあ」
「出たよ、隼人の『うん、まあ』が」
優菜が隼人の取り皿からねぎま串を取り上げながらぼやく。
「本当にお前は水臭いやつだよ」
「俺の皿から食い物を取るな。じゃあ、お前の男遍歴をすべて述べよ。交換条件だ」
「なんでそこであたしの過去と交換なんだよ!」
ここまでおとなしく生ビールをちびちびやっていた理佐が、ここぞとばかり攻撃に転じた。るいが加勢する。
「優菜は意外とまっとうな恋愛してるよね」
「そうそう。まっとう過ぎてすぐ別れちゃうんだよね」
「止めて! もういいから!」
と涙目の優菜。可哀想になった隼人が話題を終了して助けてやろうとするが、そうは問屋が卸さない。
「優しいね、隼人君って。そういうまっとうなところに惚れちゃうんだよね、優菜?」
るいが優菜の顔を覗き込む。
「で、2人きりのときはそりゃもうオトメ全開なのよ、優菜って。でも、それ一辺倒だから飽きられちゃって、別れちゃうのよね」と理佐も楽しそうだったが。
「もういいから」
隼人が理佐とるいを止めた。横に座る優菜に向かって頭を下げる。
「ごめん。俺がこんな話を振っちゃったせいで」
「あ、ううん。いいんだ。悪いのはこいつらだから」
優菜が前に座る2人をにらむのも抑えて、隼人は言った。
「俺が食い物をがっつくのは、まあ俺個人の性格なんだろうけど、中学・高校とろくに飯を食わせてもらってないからでもあるんだ」
突然始まった隼人の告白に、目をパチクリさせる3人の女の子の顔を順に見る。
「お袋、正確に言うと継母が、必要最低限の飯しか食わせてくれなかったのさ。飯だけじゃないし、妹たちにも、だけどね。『継子に金も愛情も注ぐ気はない』それがお袋のポリシーなんだそうな」
そんな、といいかけた理佐が、首をかしげる。
「ちょっと待って。あなたがお母さんと血がつながってなくて、なごみちゃんとくるみちゃんも、お母さんの子じゃないの?」
「そう。順を追って話すとね、俺はまったく別の両親の間に生まれて、小学5年までは普通に暮らしてた。嫌な記憶がまるでないからね。でも、小5の時に母親が病死してから、父親が女にはまっちゃって。結構もてたらしいんだけど、そんなこんなで流れ着いた果てが、今のお袋のところ、ってわけさ。でも」
隼人はビールで喉を湿らせた。
「父親はすぐに外に女作って結局蒸発しちまったんだ。それが中1の時。その後すぐにお袋が再婚したのが、今の親父。なごみとくるみ付きで家に転がり込んできたんだ。なんで継子嫌いなお袋がコブ付きの男と結婚したのか、知らないし聞く気もないけどね」
料理にも飲み物にも手を付けず、隼人を見つめる理佐とるい。優菜はうつむいている。
「親父は、俺が大学に進学したタイミングで別居したんだよ。お袋の世間体がどうとかで離婚はしない代わりに、手切れ金代わりに店を持つ金を貸してもらって。それがあの、なごみが掃除してた店なんだ。それまで俺と妹2人は、あのお袋の家で暮らしてた。お袋の無関心と、真吾の攻撃に耐えながら、ね」
るいが、珍しくおずおずと聞いてきた。
「……真吾って、だれ?」
「ん? ああ、お袋の実の息子だよ。そちらには愛とお金が惜しみなく注がれてる。実子だからね。こいつが嫌な奴でさ、まあそうじゃなくても、親の態度を見るだろ、子供って。俺は奴より強かったから、殴り返したのを告げ口されて飯抜き程度で済んだけど、なごみとくるみは苛められてさ、しょっちゅう生傷作ってた」
隼人の瞳が、ここで初めて悲しげな色に染まる。
「でも、お袋は関心が無い。親父も、財布を握ってるお袋に強く出られない。だから、俺が全部やるしかなかったのさ。妹を守ることも、妹の傷の手当ても、真吾への仕返しも。それから、食べられるときに、なんでもおいしくいただいて栄養を摂ること」
隼人はビールをもう一度こくりと飲むと、屈託のない笑顔になって言った。
「ごめんな。そういうわけで、気軽に話せるような心浮き立つ内容じゃないから――」
「ごめん、ごめんね……」
うつむいていた優菜が突然泣き始めたのを見て、隼人が慌ててハンカチを取り出した。
「いや、泣くなよ。ほら、涙拭いて」
「理佐――」
隼人の話に聞き入って、周りへの注意を怠っていたるいが気づき、青ざめる。店の入り口からまっすぐこちらに向かってくる青筋立てた男。利次だ。
「来たか」
「え?」
振り向いた隼人のすばやい反応に、みんなは戸惑う。立ち上がった隼人は、むしろ口元に笑みさえ浮かべながら、利次と対峙した。
「先輩、ここ、お店ですから。外行きましょう、外」
「……いいだろう、来い」
利次は踵を返し、隼人が後に続く。理佐が止める間もない、あっという間のできごとだった。
「追うぞ!」
男2人が店を出るまで呆然としていた優菜が立ち直り、出口めがけて急ぐ。るいと理佐も一瞬遅れて続いた。
「で、どうなん美紀ちゃん? 例の男は?」
「うち、真紀やで?」
「ぎゃー、また間違えた!」
「♪はい粗相、粗相」
真紀を美紀と間違えた女子学生が、罰として辛子入りミニ肉まんをほおばり七転八倒した。
「へべれけやな、麻子は」と別の女子学生が笑う。
これは、関西出身の女子学生の集まりで、年に2回ほど飲み会をしたり、旅行に行ったりする間柄だ。夕方5時から始まって早2時間半。すっかり出来上がっている女子もちらほら見受けられる。
「えー、宴たけなわではございますが」
「なんやねん、そのオッサンくさい締めは」
「しゃーないやん、あの子、いま付き合うとるんが40過ぎのオッサンやで」
「年上好きにもほどがあるな」
「そこはほれ、あの子の基準はアレがでかいこと、それだけやから」
参加者の身も蓋もない暴露に、今回幹事を務めた女子が赤面してがなる。
「やかましいわ! あんたらにはワカラヘン、いやわからんでええねん。はい、これでここはお開き! 2次会行く人は勝手に行き」
5分後、外にまけ出た仲間たちがわいわい店頭で騒ぐなか、美紀は、眼の端に映った人に驚いた。
(あれ、あのいけすかん男やんか。で、その後ろは……隼人君?!)
「美紀、どうしたん?」
真紀が怪訝そうな顔で妹に寄ってきたが、次に目の前に現れた光景に、2人揃って言葉を失う。少し向こうの店から、優菜が出てきて走り去った。そのあと少し遅れて、今度はるい、理佐と続いて走り出てきたのだ。
「今、その店から、あの利次とかいう男と隼人君が出てきて――」
「追うで、美紀!」
真紀の眼はきらきらと輝いて、騒動屋の血が騒ぐらしい。美紀は女子連中に手早く別れを告げると、優菜たちの後を追った姉に続いて駆け出した。
4.
隼人は利次に南に導かれて、倉庫街まで来ていた。4月の戦闘で炎上した一帯は、放火と警察発表があり、未だに黄色と黒のテープで封鎖してある。そのテープを利次はためらいなく潜り、隼人もそれに続いた。
(どこまで行くんやろ?)
(しゃべるな!ばれるだろ)
ミキマキは、優菜たちと合流していた。るいが追尾してきた双子に気づき、結局5人での尾行となったのだ。
やがて、彼らは、倉庫街の奥も奥、街の明かりもほとんど届かない場所に着いた。割と広めの、コンテナの集積場があったと思しきところだ。
隼人はその真ん中付近で立ち止まり、一方利次は月明かりの中をそのまま5歩ほど歩き、振り返って止まった。5人の女の子たちは迂回し、倉庫の影から2人の横顔を覗きみる。
しばしの沈黙の後、利次が口を開いた。
「目障りだ。そう言ったはず、だな」
「なあ、1つ聞いていいか」
隼人は利次の言葉をあえて無視した。
「お前にしゃべる権利は――」
「なんで、あの子を追求したりしなかったり、ちぐはぐなんだ?」
一瞬利次の顔に広がった動揺を見逃さず、隼人は続ける。
「普段は絶妙のタイミングで電話かけてきてただろ、あんた。今日なんか、わざわざ押しかけてきてさ。なのにボランティアのビルにいる時は、逆にまるで追求が来ない」
「意味がさっぱり分からんな」
と利次が斬って捨てたが、隼人に動じた様子は見られない。
「4月にあのビルで、俺とあの子との間に何があったか、あんた聞いてないのか? あんたなら、いや彼氏なら発狂もんの出来事だぜ?」
「4月?」と記憶をさかのぼり始める利次に、隼人からヒントが出た。
「あの時は難儀したぜ。デッキブラシで頭カチ割られそうになってさ」
「ああ、思い出したぜ」
利次がにやりと笑った。
「お前のことをエロ猿呼ばわりしていたな、あいつ」
(言ってない……)
理佐のつぶやきに、優菜とるいは驚く。
(え?)
(彼にそんな話、してない……)
「まったく、女子更衣室の張り紙くらい、ちゃんとしとけってな。まあおかげであの子の生着替えが見られたけどな」
隼人が頭を掻きながらぼやきつつ、にやりと笑う。
「万死に値するな!」
利次は怒声を隼人に浴びせる。
「泣いていたんだぞ、理佐」
「なんで?」
きょとんとした表情に変わってとぼける隼人に、利次が声をさらに荒げて罵倒を始めた。
「きさま、自分のしたことがあくまで――「嘘だよ」
「なんだと?」
「着替えを見ちゃった、ってのが嘘なんだよ」隼人はにやりともしない。
「ちなみに本当はな、シャワー室を修理してる時に先輩が張り紙忘れて、そしたらあの子が全裸で入ってきちゃってさあ大変、だったのさ」
利次は言葉もない。
同じく黙ってジト目でにらむ双子を、理佐は赤面したまま無視した。
「ハプニングの内容を知らないどころか、俺の作り話にうかうか乗っかってくる。でも、俺があの子にエロ猿呼ばわりされたことは知っている。
答えは1つ」
隼人は腰に左手を当て、面白くもなさそうな顔で述べ始めた。なにがしかの推理をした結果のようだ。
「あんた、あの子を盗聴してるだろ」
利次は何も答えない。隼人はさらに続けた。
「シャワー室に入ってきたとき、あの子はペンダントをしてなかった。俺をエロ猿と呼んでデッキブラシを構えたときには着けてた。盗聴器は、そのペンダントのトップだな」
(!)
理佐の手が、ペンダントを握り締めて震えている。
(あいつ、出歯亀野郎だったのかよ)
(そうじゃなくて、ストーカーでしょこの場合)
だが、隼人の謎解きは、そんな下世話な範囲では終わらなかった。
「最近、おっかしいんだよね」
「……なにがだ」
「うちのボランティアの動向が、敵に漏れてるのさ。それも全部じゃない。漏れたり漏れなかったり、だ」
(ボランティアの、敵?)
(優菜ちゃん、どゆこと?)
双子に聞かれても、優菜には曖昧な表情で隼人の方を見るよう促すことしか出来ない。
「それも、ペンダントが盗聴器なら説明が付く。あの子がボランティアに顔を出さない限り、情報が入ってこないんだからな。
そして、俺が食堂であの子とドツキ漫才しててもあんたは来ない。来られない。大学の構内ならともかく、支部のビルの中をあんたはのぞけないことになってるから」
利次の顔が、次第に険を増す。もはや言い返す言葉もないのか。
「あのペンダント、あの子と付き合い始めたときにあげたんだってな。それが確か今年の1月。敵の動きが活発化し、うちの支部が苦戦し始めたのも、今年の1月。時期的にタイミングは合う」
それまで淡々としていた隼人の口調は終わり、瞳に強い光が宿る。
「治癒スキルがないから、負傷するたびにどこかにいる仲間に治してもらうために姿を消す。旅行と称して。あんた――」
隼人は結論を告げる。
「バルディオール・フレイムだろ」




