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空に、君の名を呼べば。  作者: 佐藤和輔
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夏の終わり

 秋の訪れを告げるように、外からは微かな祭囃子が聴こえてくる。心なしか、窓から入り込む風も丸みを帯びてきているようで、肌を滑らかに滑ってゆく。

 クリアになってゆく景色とは裏腹に、和弥の日常は、ディストーションを効かせたようにざらつき、心の中では、あらゆる場面の琴乃、悠平、野呂の声や表情がディレイしていた。

 停学日数は二十日だった。

 悠平も同じ日数だというのは、生徒指導の先生に聞いて知った。

 泣きはらした次の日、和弥の元に、野呂からのメールが届いた。

 内容は、悠平に全てのことを説明したが、解ってもらえなかった、というもので、最後には、ごめん。と括られていた。

 本当は、俺が謝らなければいけない事。

 和也は自分のこぶしに目をやった。その手で壊してしまったものの大きさに、全身が萎縮してしまうようだった。

 琴乃とは、あれっきり電話はおろか、メールの返信さえ無い。悠平には、野呂からのメールを読んだ後に、事実を詳らかに説明するメールを送ったが、当然のように、返事は無かった。

 若さとは、残酷の換言だ。一瞬の過ちは、永遠にも勝る沈黙を与える。

 みんなが、三年がかりで味わう喜怒哀楽を、和弥は、この、数ヶ月間で消化しつくしてしまったような感覚に陥っていた。もう、学校に行くことの意味がわからなかった。放課後なんて、もう、いらない。

 そして和弥は、退学を決意した。

 停学十二日目の事だった。


 全てに決別するつもりだった。とにかく、いろんな意味で独りになりたかった。

 退学届が正式に受理され、隣県の清掃会社で働くことが決まった和弥は、荷物の整理中に、タワリシチのライブ後に撮った集合写真を手に取った。写真の中では、左から順に、和弥、悠平、琴乃、そして野呂が達成感に満ちた笑顔で肩を組み合っている。

 凝縮された時間と思い出が、なにか、静電気でも帯びたようにぶうんっ、と体をすり抜けていった。


【先日、正式に退学届が受理されました。伝えてはいなかったけど、そう、俺は退学します。

 隣県での仕事も決まり、今後は、その寮で暮らすことになります。まぁ、俺の事はこれ以上書くこともないか……。

 みんな。色々、ごめんな。

 多分、俺の考えが浅はかなせいで、こんな結果になってしまったんだと思う。そう思ったところで、あの日々には、もう二度と戻れないことは、いくら馬鹿な俺でも十分にわかっているつもり。でも、願いが聞き受けられるなら、俺のこと、忘れられてもしょうがないけど、でも、みんなで過ごした時間だけは忘れてほしくないな。なんて言えばいいのか、うまい言葉が見つからないけど。矛盾しているけど、それが俺の、本音。

 このメールさえ読んでもらえてないかもしれないけど。

 

 悠平。

 お前は賢いからな。わかってくれるんじゃないかな?俺の気持ちとか、色んなこと……。そこから理解という言葉を砕いてしまったのは俺かもしれない。

 怪我、早く治ってくれればいいけど。

 怪我はお互い様だよな?

 本当なら、笑ってそう言い合いたかった。

 こうやってメール打ちながら、お前がバンドに誘ってくれたときのこと、思い出してるよ。お前がバンド名考えたときの事も。

 「タワリシチ、一緒にやっていこう」

 なんか、バンドを組むってことだけで俺は、他の奴らがもっていないパスポートを手に入れたような気がしたんだ。実際、俺らは何処へでも行けた気がする。どんな未来にだって行けた気がする。でも、道を間違えたせいで、望まない今に、たどり着いてしまった。

 俺が言えたことじゃないけど。色々、頑張ってな。そして、色々、ありがとう。

 

 琴乃。

 お前には本当、辛い思いさせちゃったね。あんな殴り合いを目の当たりにしてしまったら誰だって、その人に不信感や恐怖心抱いちゃうよな。正直なところ、俺自身、自分の中のそんな部分が怖かったりするんだ。そんな気持ちじゃ、いくら愛してるって言っても伝わらないんだろうな。

 俺は、琴乃が一番、愛しいよ。これだけは自信持って言える。恥ずかしくなんかない。何度でも言える。でも、君が望まないのなら、もう、言わない。

 きっと、俺がそんな言葉を口にするだけで君は辛いんだと思う。

 ごめんな。

 でもね、琴乃。俺は、琴乃のおかげで色々。考えることができたんだ。

 特に、命の尊さ。

君のおかげ。

ありがとう。

だけど、その真意にはまだまだ遠かったんだと思う。だから、君の目の前であんなこと……。

俺は、自分のこぶしが憎いよ。見えないものまで壊してしまうんだから。

おれは、責任というものをもっと学ばなければいけないと思ったんだ。だから、退学して、働こうと思った。

その選択が合っているかはわからない。逃げたと言われないように頑張るしかない。

琴乃。残りの高校生活、元気に過ごして、進学するかどうかはわからないけど、やがて、素敵な社会人になって下さい。

俺は、その姿を見ることは叶わないかもしれない。でも、いずれ、いい人と巡り合って、幸せな家庭を築いてゆくことを願ってるよ。心の底から、願ってる。


野呂ちゃん。

もしかすると、今回、一番傷つけてしまったのは君かもしれない。謝っても許してもらえないかもしれないけど、本当に、ごめん。

君には本当に色々と世話をやいてもらったよね。俺も、悠平も、琴乃もみんな、野呂の存在があったから、大変な時も頑張ってこれたんだと思う。

君は前に、自分はタワリシチのメンバーじゃないから、と言っていたけど、それは違うよ。君は立派なタワリシチのメンバーだった。誰もそのことに異論はないはずだ。

君は、本当に人の面倒を見るのが好きだから、将来は看護師かな?なんて琴乃と話したこと、思い出すよ。献身的な君に、みんな、どれだけ救われたことか……。

今更こんなこと、俺が言えたことじゃないけど、琴乃のこと、頼む。彼女とはずっと親友でいてほしいんだ。俺は、そんな二人を想うだけできっと充実を感じることができるはず。

同じ空の下、どこかで君たちが笑っている、と思えば。

あと、こないだのメールで野呂ちゃんは、謝ってきたけど、君が負い目を感じることは一切無い。先にも言った通り、俺の浅はかさが全ての原因。

君に、明るい未来が訪れることを心から祈ってるよ。

自分の気持ちに一生懸命にね。

今まで、色々、ありがとう。

最後に、みんな、ありがとう。

そして、ごめん。

共に過ごした時間が、楽しかったなぁ、といつか笑って思い出せますように。 


        喜多山 和弥】


 三人のメモリーを呼び出し、アドレスを貼り付けてゆく。一斉送信を選択して、和弥は、送信ボタンを押した。

 【送信完了】

 画面を確認して、和弥は、隣県へと向かう電車の席に、腰を下ろした。

 電車の窓からは、空が真っ赤に焼け爛れているのが見える。

 お前が過ごした日々は、この空のように熱かったんだぞ。

 夕空に、そう言われているような気がした。

 力強くも、物憂げに見えるその空を、和弥は携帯電話のカメラで写した。

 何枚か撮った中で一番写りの良い一枚を選び、その写真を待ち受け画面に設定した。

 丁度、電車が動き始めた。和弥は、売店で買い求めた文庫本を、静かに読み始めた。


* * *


 まさ美の部屋の前まで行ってから、はじめて和弥はここまで来たことを後悔し始めていた。理由はわからない。しかし、不安にも似た薄灰色の感情は、確かに心の中で蠕動していた。

 脇腹の痛みを庇うようにしてきた上に、まさ美の肩にもたれかかって歩いてきた為に、和弥は汗だくになっていた。まさ美も同じくらい、汗をかいていた。

 辺りは閑寂としていて、その住宅地の奥の方にひっそりと、まさ美の住むアパートはあった。

 遠くから聞こえる犬の遠吠えのかそけさが、眠りに静まる街を強調していた。

 シリンダーにキーを差し込み、開錠の音を確認すると、

「さ、入って」

 まさ美がドアを開いて照明のスイッチを手でまさぐった。

「お、おう」

 和弥は、言われるがまま玄関へと足を踏み入れた。女性の部屋特有の、甘い生活臭が和弥の動揺を誘った。

 何をもって和弥をそうさせたのかは解らないが、和弥はまるで、何かに見咎められるのを避けるように体を縮めて中に入った。体が痛かったせいでは無いのは確かだ。

 跼蹐して生きることにもすっかり慣れたはずだった。しかし、それとは明らかに似て非なるものが、和弥を夜の霞のように包んでいた。

 部屋の隅にはワークデスクが置かれている。その上にはノートパソコンが開いたままだった。まさ美は、その横にバッグを置いて、携帯電話を充電器にセットしている。和弥の方を気にしつつも、振り向きはしない様子だった。

「適当に座ってて。何か、飲む?」

 そう言われても和弥は、身の置き場に困っていた。

 照明に浮かび上がった部屋には、およそ、和弥の部屋にはあるはずもない暖色の家具や、シャーベットカラーのクッション。それに、空気の重さだけで沈んでしまいそうなソファーが鮮やいでおり、それが、さらに和弥の窮屈さを煽っていた。

「じゃあ、酒、くれよ。ビールでも何でもいい。――あるだろ?」

 まだ飲むの?とでも言いたげな目でまさ美が振り向く。そしてまさ美は和弥の顔を見て動きを止めた。

「なんだよ」

「明るい場所で見たら、怪我、結構ひどいね」

 まさ美は慌てて救急箱を持ってきた。

「それはどうでもいいんだよ。早く酒、くれよ」

 まさ美の手は、救急箱の中から、消毒液や、ガーゼを取り出している。酒の要求は、どうやら聞こえないふりをしているらしかった。それは、和弥の怪我を慮ってのことだったのだろうが、和弥には、ざらっとした不快な態度にしか受け取れなかった。それに、早く、酒を飲まないと、酔いが覚めてしまいそうで嫌だった。しらふになることを、和弥の心が拒んでいた。

 消毒液を浸した脱脂綿が左頬に当てられた。

――だんっ。

 無意識だった。和弥の手は、

「痛えな、これは関係ないだろって」

 救急箱ごと、まさ美を突き飛ばしていた。

 悲しげな目をしたまさ美が、和弥を見据える。

「和弥……、どうしてそんなに」

 もう、この場から立ち去りたかった。このままだと、かつて、捨てたはずのものが、体の奥から溢れ出してしまいそうだった。それは、今の和弥には最も不要なものであるに違いなかった。

 それは何よりも面倒な人間関係なのだから。

「それは俺のセリフだっ。――一ノ瀬、お前、どうしてそんなに……」

 まさ美は濡れた視線を部屋の隅にやった。そこにはテレビと台がある。和弥は、そこを見ようとはしなかった。まさ美は無言のままだ。

 和弥は立ち上がった。そして、そのまま玄関へと脇腹を押さえながら力なく歩いて、サンダルに右足をかけた。

「和弥……」背後から声がかかる。

 和弥は振り向かずにドアノブに手をかけると、

「もう、俺に関わんな。くだらねぇ人間関係はもう、うんざりなんだよ」

 ドアを押した。

「私ね――」まさ美の声が、一段と高くなった。

「なんだよ」

 さも大儀そうに和弥は、踏み出そうとした足を止め、振り向いた。

「私ね、和弥でも、いいんだよ」

 そこには精一杯の強がりを湛えたまさ美が、肩を小さく震わせながら立っていた。


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