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空に、君の名を呼べば。  作者: 佐藤和輔
2/7

それぞれの熱

『和弥、今、大丈夫?』

 なんとなく、その言葉が今でも耳に残っている。

「ちっとも大丈夫じゃねぇよ」

 最近、独り言が増えたような気がする。

 今思えば、あの時の言葉は、今の自分に投げかけられていたようで、切なさが胸を刻む。

 大丈夫だよ。と、誰かに自信を持って言える日がいつか訪れるのだろうか……。

 外の暑さはさらに増していた。和弥はエアコンのリモコンを面倒くさそうに取り、祈りながら設定温度を下げた。エアコンの機嫌がいい時は快適な冷風が流れてくるはずだ。

――ひゅうぅぅん……

 情けない音をたてながら送風口のプレートが閉じ始める。どうやら今日は機嫌が悪い日らしい。こうなると再始動はなかなかかなわない。どういう訳か、送風は異常なく動くのだが、冷房が効かなくなってしまうのだ。

 チッ。舌打ちをして和弥は窓を全開にした。

 夏虫の帝王オニヤンマが、ぶぅんっ、と羽音を鳴らして室内に入ってこようとしたが、室内の澱んだ空気に悪い気配を感じたのか、まさにとんぼ返りで隣の家の夾竹桃の蔭に消えていった。

「お前もかよ……」

 オニヤンマに呟いたところでそのぼやきが伝わるはずもない。

オニヤンマはそんな和弥の言葉にすら無関係を決め込んだようで、すでに景色の中には気配すら感じられなかった。

 その時感じた一抹の寂しさも一瞬で消えた。

 この世の縮図が、そこにはあった。

 暗いところには誰も入りたがらないし、黒いものには誰も触れようともしない。結局、絆だ、愛だと騒ぎ立てていてもひとりひとりに焦点をあわせてみたら、自分が一番可愛いに決まっている。

 芸能人の駐車違反を、親の仇とばかりに取り締まっておいて、身内の飲酒運転をひた隠そうとする警察組織然り。

 独身官僚のキャバクラ遊びをまるで悪の所業のようにリークしておいて、自らの不倫スキャンダルの隠れ蓑にしようとする政治家然り。

 そんなことに巻き込まれるくらいなら人間関係なんて必要ない。結局、俺だって自分が一番可愛い。のだと思う。きっと……。

 それが和弥の信条になりつつある。元来、持ち合わせていた積極性は、積極的に一人になろうとする努力に注がれている。

 人間関係を壊すのは結局人間だ。もし、そこに愛が加わってくれば、最終的にそれが一番の障害となり、友情は堅ければ堅いほど、砕けた時には修復不可能なほどに細かく、バラバラになってしまう。残るのは後悔だけだ。

 若ければ、その反動はなおさら大きい。

 幸せなら、さらに……。

 和弥はそれを知っている。


* * *


 琴乃のことは、悠平には話せなかった。それは、隠そうとしたわけではなく、未だ、遭遇したことのない問題に、和弥自身どうやって向き合えばいいのかを考えあぐねていたからだった。

 琴乃を本気で好きだからこそ、きちんと考えた上で真剣な対応をしなければいけないと考えていたし、悠平を唯一無二の親友と考えていたからこそ、自分の考えが曖昧なまま親友に相談を委ねてしまう事に疑問を感じたのだ。

 琴乃は、その小さな体で大きすぎる悩みを抱え、和弥は心の中に、どこの岸にたどり着くとも知れぬ思いを揺曳させていた。

 次第に和弥は無口になり、練習にも身が入らなくなっていった。自分では平静を衒っていても、もともと勘のいい悠平がそこに何かを感じないはずがなかった。

 和弥は結局、話し出すタイミングを逃し、やがて、親友に隠し事をしている後ろめたさで苛まれていった。

 でも、悠平は、明らかに何かを感じているはずなのに、そのことについて和弥に問い詰めることもなく、いずれ、話してくれるだろう。という親友としての信頼をもっているかのように接してくれた。

 

「琴乃、今度俺と一緒に病院へ行こう」

 和弥が答えを出すためにとった行動はそこからだった。結論はその後でだせばいい。

 琴乃は不安そうな表情を変えることはなかったが、それでも和弥が前を歩いてくれることに安心感を抱いている様子だった。

「うん。……でも、どうするの?赤ちゃん、いたら、おろし、ちゃうの?」

 琴乃は恐る恐る訊いてくる。和弥はそんな琴乃の手を優しく握りながら、

「琴乃はどうしたい?俺は、未来への決意と覚悟は出来ている。お前が幸せだと思う道を一緒に歩いていかないか」

 お前、と言ったところで一瞬、琴乃の指先がぴくんっ、と動いた。その後で、

「……うん」

 和弥は琴乃のこぶしを強く握った。

「あの、ね」

 琴乃が和弥の瞳を覗き込む。

「ん?」

 和弥は次の言葉を待った。

「私、本当はずっと怖くて。和弥に嫌われちゃうと思って――」

 琴乃はそこまで言うと、目にいっぱいの涙を浮かべて呼吸をみだした。和弥はずっと彼女の手を握ったまま続きを待った。

「それでね、こういう事って親にも言えないから、ノロちゃんに相談乗ってもらってたの」

 ノロちゃんというのは、琴乃と同じクラスの親友だ。

「それで、病院行く時ね、ノロちゃんにも一緒に行って欲しいの。駄目、かな?」

 きっと、琴乃の抱える重圧は和弥の存在だけでは軽減しきれないのだろう。やはり、同性の、気の置けない親友がそばにいたほうがいいのだ。

「うん、いいよ。俺からもお願いする」

「よかったぁ」

 琴乃は大きく息を吐いた。

「それにさ……」

「うん?」

「俺が琴乃のこと、嫌いになるわけないだろ」

 和弥はそういって琴乃のおでこを軽くつついた。

 琴乃は「へへっ」と、照れたように下を向いて笑った。

「それよりもさ」

「なぁに?」

「今度のライブ、頑張ろうな。音、外すんじゃねぇぞ」

 和弥は琴乃の髪をくしゃくしゃに揉みながら言った。

「大丈夫だってばぁ」

 彼女の顔からは、それまでの不安の色はすっかり消えていた。顔に紅葉が散っている。

「おまじない、必要か?」

和弥が目に悪戯な光を湛えて言う。

「必要……、かな」

 そう言って琴乃は瞳を伏せた。

「了解」

 和弥は唄うように言うと、琴乃に唇を重ねた。


* * *


 窓を閉めると和弥は部屋の鍵と財布を持って立ち上がった。

 ラジオのスイッチに手を伸ばす。


 ~半信半疑=(イコール)傷つかない為の予防線を~


 ミスターチルドレンの【しるし】のサビが流れていた。ワンフレーズを聴き終える間もなく、和弥はスイッチを切った。

「無信全疑なら、予防線どころか核シェルター級だけどな」

 和弥は自虐的に嗤い、また、

――最近、やっぱり独り言が多いな。

 そう思いながら部屋を出た。

 道に出ると、先の方では透明な炎のように陽炎が揺れていた。この暑さで流した汗が全てそこに溜まっているような水たまりがアスファルトを覆っているようにも見えた。

 財布の中には千円札が四枚と数えるのも億劫な軽い小銭が数枚。次の生活保護給付日までは、あと五日もある。それを乗り切るには少し心許ない金額だった。明日にも部屋の電気が止まる可能性もある。

 でも――これが俺の幸せだ。

【一円パチンコ】

 の、のぼりがある路地裏のパチンコ店を目にして気分は高なる。

 涼しいし、休憩コーナーには数々の雑誌もある。何よりもここは現金を増やせる夢のような場所でもある。

 客は周りの大型店に吸い取られてほとんど居ない。それなのに正午と午後三時にはサービスでコーヒーまで配られる。

 負ける可能性は考えたことはない。それは終わってから考えればいいだけの話であって、負ける計画をたてる勝負師なんて聞いたことがない。

 自分のことだけは完全に信じて疑わない。

 やっぱり俺も――自分にだけは甘い。

 滞納している電気代はいくらだったろうか。そう思い起こしてみるものの、面倒になり、すぐに思考を止めた――目の前の画面に集中しているからだ。

 最初の千円をサンドに入れた時には期待に満ちていた。二枚目を入れた時には、そろそろ当たりが来るだろうとタカをくくっていた。そして、三枚目がサンドに吸い込まれて、銀玉が上皿に少なくなると、残りの千円をどう使うかを考え始めていた。

 しかし和弥は、これが仮に普通の4円パチンコなら一万二千円を使ったことになる。と考える。金に余裕があるときは――そんなことは殆どないが――例え、当たりの兆しが無くても一万五千円は一台に対して使う。その事を考えると、あと、七五〇円は使うべきだという考えに至って、最後の千円札をサンドに入れた。皺だらけの千円札がサンドに吸い込まれていく瞬間、表面に描かれている野口英世が、ニヤッ、と笑ったような気がした。


――ほらみろ。やっぱり自分自身が一番信用できる。

 和弥は心の中で呟いた。

 出玉を換金すると、一万六千円にもなった。

 気分は上々だった。


* * *


 ライブ当日は、クラスメイトの他にも、琴乃のファンという人や、ノロちゃんの友人達も数多く集まってくれた。

 気分は上々だった。

 ノロちゃんは音合わせの時や、特にライブが近づいてくると良く練習を見に来てくれて、差し入れなどもしてくれるマネージャー的存在だ。最近では悠平と特に仲がよく、二人の間にはゆったりとした時間の流れがあった。

『あの感じ、俺たちの時と似てるな』

 悠平とノロちゃんを見ていた和弥が琴乃に言った言葉だ。

『二人、うまくいってくれればいいね。――ここだけの話だけど、ノロちゃん、悠くんのこと好きっぽいんだ』

『目、瞑っててもわかるよ』

『ははっ。ほんと』

 琴乃が目を瞑って笑った。

 今、青春を生きている――確かな実感があった。


 ライブで、タワリシチに与えられた時間は二十分だった。

 その中で出来たのは、人気バンドのコピー曲三曲と、オリジナルが一曲だった。

 オリジナル曲は、和弥のギターソロから入る曲で、出だしはアルペジオ。エフェクターを使わないナチュラルトーンで始まるバラードだった。はじめはアコースティックエフェクターを使う予定だったが、金銭的な問題もあり、ナチュラルトーンになったが、結果的にそれがうまくはまった。

 悠平が歌う声と、和弥のギター。それに琴乃のベースが会場に溶けていくようだった。

 曲が終わると、静寂がライブハウス内を満たしていた。和弥は不安げに顔を上げた。急霰のような拍手が沸き起こった。

 薄暗いライブハウス内に蠢く客の様子は、若い力を内包していて、音圧に弾けて、照明に照らされ、拡散してゆくようだった。そして、それはさらに波状的に個々のテンションにリンクし、さながら流れ出す汗は、魂から絞り出された、行き場のないマグマのようでもあった。

「俺、野呂に告白することにしたよ」

 悠平が和弥に力強く決意表明したのは、ライブの熱も覚めやまぬ帰り道でのことだった。

「やっぱり、そうだったんだな」

「バレてたか。お前には隠し事はできないな」

 悠平は恥ずかしそうに言った。

 和弥は琴乃と目を合わせて微笑みを交わすと、

「頑張れよ」「頑張ってね」

 と、声を揃えた。

 二人は、心の底からお互いの親友を応援していた。


 次の日は、病院に行くと決めた日だった。

 学校を早めに早退した和弥と琴乃、そして野呂の三人は、緊張と不安で揺れる気持ちを少しでも抑えようとするように、川原の階段に琴乃を挟む形で座り、川の流れをじっと眺めていた。

 対岸には、すっかり形の出来上がった桟敷席が提灯をさげはじめている。すすきをざわつかせる風は、今日は吹いていない。

 野呂が琴乃に言った。

「花火、行くの?」

「行くよ。ねぇ」琴乃が、和弥の顔を覗き込んで言う。

「当然じゃん。でも、行くのは四人でだよ。でしょっ、ノロちゃん」

 野呂の顔が少しだけ赤い。

 和弥と琴乃は同時にくすり、と微笑んだ。

 自分たちの恋と同様に、うまく進むことが目に見えてわかる親友の恋の行方を考えると、今、抱えているものが少しだけ軽くなったような気がした。

 選んだ病院は、小さめの、個人経営の産婦人科だった。平日の昼過ぎということもあり、来診者は少なかったが、それでも待合室にいるほとんどの人が女性だったことに和弥は、腰の引ける思いだった。

 今まで、感じたこともない雰囲気だった。来診者のほとんどは、女性、というより、母親の目をしていた。

 琴乃の口数が明らかに少なくなっていた。名前を呼ばれるのをじっと待っている瞬間ごとに握る手に力が入った。握り返す琴乃の手の力が頼りないほど弱々しかった――指先は、小刻みに震えていた。

 震えの理由は和弥にもわかっていた。しかし、そこに抱えているものは男の自分には一生掛けても理解できないものなのかもしれない。

「山科琴乃さん」

 診察室から琴乃を呼ぶ声がすると、握っていた手がビクッと動いた。

 先に野呂が立ち上がった。

 臆病だったわけでは無い。ただ、和弥は野呂に、琴乃を委ねるしかなかった。

「ここからは、頼むね」

 和弥の声に、野呂は神妙な面持ちで頷くと、琴乃の手を引いて、ゆっくりと診察室へと歩いて行った。

 程なくして、野呂が診察室から出てきた。

 問診がプライベートな内容になることと、検査の時間もあるために、一旦退室するように言われたらしかった。

「まだ、時間、かかるみたい」

「そっか。――ノロちゃん」

 野呂が振り向く。

「今日は、ありがとね」

 そう言うと和弥はすっと立ち上がって、表に見える自動販売機を指差した。野呂が和弥の後に続く。

「あのね……。こんなこと、訊いていいのかわからないけど」

 野呂が、気まずさを打ち消すようにプルタブを引きながら言った。

「いいよ。何でも訊いて」

 季節はもう秋だというのに、アスファルトからは容赦なく熱がたちのぼってくる。手に持っているジュースの缶にはすでに、びっしりと水滴がついている。

「もしもね、赤ちゃんいたら、どうするの?」

 それはもう何度も考えたことだ。琴乃の気持ちにもよるけど、心はすでに決まっている。

「……産んでほしいと思ってる。俺は、高校やめて働こうと思う。まだ大人とはいえないけど、社会人としては生きていけるはずだし、支えていけないわけでもないと思う」

 本当は、中絶も考えた。ネットで色々とその予備知識も検索した。そうするうちに中絶が母体に与える影響を知り、琴乃を心身共に傷つけてしまうことが怖くなっていた。

――本当に、好きだからこそ。

「そっか。でも、もしそうなったらタワリシチはどうなっちゃうんだろう。私、メンバーじゃないからあまり口出しするべきじゃないんだろうけど」

「悠平にもちゃんと話しようと思ってる。きっと、あいつならわかってくれるはずだから。……しばらくは今みたいなライブの機会、無くなってしまうと思うけど」

「やっぱそうだよね。寂しい気もするけど。でも、応援してる」

「ありがとう。ノロちゃんにそう言ってもらえると心強いよ」

 飲み終えたジュースの缶をゴミ箱に捨てると、二人はまた、病院の中へと入っていった。

 銀色のフライパンのような把手がついた、分厚いガラスの扉がゆっくりと閉じると、外から聞こえていた自転車のブレーキの音や、車の音、近くにある保育園からの子供達の声までもが嘘のように聞こえなくなった。

 静かな病院内を歩きながら、和弥は、身の引き締まる思いで、琴乃を想った。


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