記憶と闇
……あれから1か月。
今日も誰も私に話しかけてこないし、話しかけても誰も返事をしてくれない。
原因は分かっている……。
入学式から3日後のこと。トイレに入っていると、外から聞き覚えのある女子の話し声が聞こえてきた。
「……でしょ、あの『お嬢様』ムカツクわよね」
「そうよ。何? あの態度。『私はあなたたち庶民とは違いますのよ』みたいな」
「ちょっと御小波グループが大きいからって」
「ちょっと懲らしめてやらない?」
「ええ! 手え出したらヤバくね? 相手大企業なんだし」
「だーかーらあー、何にもしないのよ。何もしなければ文句言われる筋合い無いっての」
はっきり名前が出たのはショックだった。
あんな態度をとったから……そうすることで、そんな子から離れようと思ったことが仇になった。あれが私だと思われたんだ。
涙がポロポロ流れた。
次の日から、誰も話しかけてこなくなった。
私が通るだけで会話は途切れ、これ見よがしに離れて行く。
御子波グループの大きさがあるから直接何かされることはない。そう、何もされない。ただ邪魔もの扱いだ。
他のクラスや学年にも変なウワサが流れているのか、遠くの方から珍しげに見られても、私が近づくとみんな引いていく。
中学1年の時に、私はこれと逆の経験をした……クラスメートの1人を、全員で徹底的に無視し続けた。
しかも、その相手は小学5年生で編入してきて、お金持ちの人の会話なんてぜんぜん分からなかった私に、何かと気を使ってくれた……唯一あの人間関係の中で心が許せたはずの……親友だった諏訪内舞貴ちゃん。
でも、舞貴ちゃんに話しかければ私を無視すると言われて……こわくてこわくて……どうしても話しかけることができなかった。
あの時の舞貴ちゃんの暗い顔は忘れることができない。
あれ以来、舞貴ちゃんと1度も話をしていない……ううん、親友なんて思っていて、何もしなかった私なんて……いまさら話しかける権利なんてない。
だけど、今でもずっと、思いだすたびに後悔している。
ただ、2年になってクラスが替わり、遠くのほうで私の知らない友だちと笑顔で歩いている姿を見た時、少しだけ救われたような気がしたけど……。
こんな辛い思いしてたのね……自分がされて、初めて、これだけ苦しいなんて想像もできなかった。
ゴメンナサイ……ゴメンナサイ……私、取り返しのつかないこと、してたんだ。
チャイムが鳴り、先生が入ってきた。
「起立!」
当番が号令をかける。
「よーし。休んでる者は手を挙げろ」
「せんせー、天凪まだ来てません」
「あいつ、また遅刻かよ……」
そういえば天凪くん、よく遅刻して来る。たしか今日遅刻すると反省文をノート10枚書く約束をしていたはずだけど……。
その時、廊下からすごい勢いで走ってくる音と、叫び声が聞こえてきた。
「うおおおおお……」
ドドドドドドド。
教室の前で足音はピタリと止り、勢いよく扉が開いた。
「セーフ!」
「バカモーン! 完全にアウトだー!」
先生の怒号が響く。
クラス中が大笑いする。
「頼む、先生。見逃してくれ」
「だめだ。しかし、言い訳だけは聞いてやるぞ」
「実は、今日こそ遅刻しないぞと思って、いつもより早く出かけたんですが、思いのほか電車が混んでいて、ちっとも動かなかったんですよ」
「そりゃあ朝はみんな時間が集中するから混むのは……オイ、電車が混むのは何も関係ないぞ」
「あれ、そうでした?」
「反省文15枚。今日中に提出!」
「先生、10枚のはずだろ!」
「つまらん言い訳のぶん、5枚おまけしてやる」
「うおぅ!」
あちこちから笑い声が挙がり、ほんの少しだけ気持ちが明るくなったような気がした。
……でも、天凪くんでさえ私に話かけてくれない。入学式の日のことが嘘のように思える。
時間とともに、私の心はまた沈んでいく……。
昼休み。
今日も1人であんパン2個をブラックコーヒーで流し込むようにして食べる。
あんパンが好きなわけじゃない。人がいなくなってから学食にいくと、これしか残っていないから。
本当はメイドさんがお弁当を作ってくれているけど、あんなの教室で広げる気にはならない。もったいないけど内緒で捨てている。
味のことはともかく、おなかは空くから食べられるものを食べているだけ。空腹を癒してくれるなら、もう、なんでもいい。
いつもどおりひと気のない場所を探すと、今日は少し寒かったせいか、中庭の陽の当たらないベンチが空いていた。
私は牛乳が苦手。
どうしてもあの匂いが我慢できない。小学生の頃にはずいぶん苦労したけど、高校生の今となっては懐かしい思い出。
……小学生といえば、まだこんなこと考えないといけないなんて思いもしなかった……。
舞貴ちゃん今ごろ何してるのかな……。
いつの間にか涙ぐんでいることに気づく。
ここに来たのも、これまでと違った人間関係を作ることなのに。
だけど……。
やっぱりだめだよ。私が御小波グループのお嬢様なんてものであるかぎり、友だちを作ることなんて、できないよ……。
人に見られないように下を向くと、またポロポロ涙がこぼれ落ちる。
もう、あきらめないと……いけないのかな……。
「おーい。佳月! 1人で食べてねぇで、おまえもこっち来て、一緒に食べねぇかぁ?」
……誰か、私を呼んでる?
「佳月ってばーっ!」
この声は……天凪くん?
彼以外に2人、中庭の芝生に座って同じように遅いランチを取っている。
どうして? みんなで私を無視しているんじゃ……。
「佳月ー。おーい!」
叫びながら天凪くんがこっちに走ってくる。涙を見られないよう素早く拭った。
「おう。1人だったら俺たちと一緒に食べようぜ」
ニヤッと笑って親指を立てる。
「あ、でも……いいの?」
「おう? なにが? 遠慮すんな」
うむをいわさず私の背中を押して、待ってる2人の所へ連れていく。