温かな道
次の日、そしてその次の日も、舞貴ちゃんに何の変化も起こらなかった。
「やっぱりからかわれたのかな……」
思わず口に出していた。
学校では、変化あったか? って真剣な顔で尋ねてくれたけど……今日でとうとう、3日目になってしまった。もしこのまま舞貴ちゃんに変化がなかったら、天凪くんたちと、これまでどおりつき合っていけるだろうか。
私の方から意識してしまうんじゃないかな……。
そんな不安な思いを絶ち切って、307号室のドアを開くと、あいかわらずの舞貴ちゃん以外、今日は他に誰もいなかった。
「舞貴ちゃんどう? 具合は……」
やっぱり何の反応もない。
「……よかった。今日も元気そうで。じゃあ、お花取り替えるからね」
いつものように舞貴ちゃんに話しかけながら花瓶の花を取り替えるために、流し台に向かった。
「……それでね、今日も面白かったんだよ……」
「……き」
後ろから声がしたように思えた。
聞き違いだと思った。
「……づき」
体中に電気が走って、パッと振り返ると……目に写ったのは、焦点こそまだ合っていないものの、確かに……確かに私を見ている舞貴ちゃんの姿。
「……か……づき」
もう1度、舞貴ちゃんがつぶやく。花瓶が手から滑り落ちて割れた。
「まきちゃん! まきちゃん……まきちゃん。ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……」
他には何も言葉が思いつかなくて、ただそれだけを繰り返して、舞貴ちゃんに飛びついて抱きしめていた。
「……ってた……よ」
小さな声で舞貴ちゃんがつぶやく。
「え?」
「知って……た……よ」
虚ろだった瞳の中に、かすかに光りが戻り始めている。
「わたし……を……避けてる時……かづ……きが……泣きそうに……なって……いたの」
「舞貴……ちゃん?」
「結局……話し……かけて……くれなかった……けど……わたしだけ……じゃなくて……他の……誰にも……話しかけな……かった……でしょ?」
……そうだった。舞貴ちゃんのことばかり気になって、その時以来、他の子たちに自分から話しかけたことがなかった。
そして私はいつの間にか、自分からは誰にも話しかけず、また、ほとんど話しかけられない3年間を送っていた……。
「わたし……が、仲間はず……れに……されていた間……佳……月は自分から……仲間は……ずれになって、いたんだ……よ。
だから……わたし……佳月も堪えて……るんだって……思って……一緒に、がまんできた……んだよ……」
そういう彼女の頬に、幾つもの涙の粒が流れ落ちる。
臆病だったばかりに、話しかけることができなかった私を……こんなになってまで、かばってくれる彼女に、何もいうことができなかった。
「わたし、佳月のこと……1度も友だちじゃないなんて……思ったこと……ないよ。だって……いつも……励ましてくれていたじゃない……」
「……舞貴ちゃん……ひょっとして、これまでのこと聞こえていたんじゃ……」
「まさか……舞貴ちゃん……」
福田さんがきた。
「……多香子さん……心配かけて……ごめんね……」
福田さんは同じように駆け寄って舞貴ちゃんを抱きしめた。
「……よかった……舞貴ちゃん……よかった……」
福田さんの目からも大粒の涙が流れ落ちた。
その後の舞貴ちゃんの回復は信じられないほど早かった。
担当の先生は不思議がっていたけど、私も福田さんも天凪くんのことは何も話さないことに決めた。
あれからしばらくして、舞貴ちゃんがうちの高校に転校してきた。その時、初めて特権を利用して、父さんの口添えで舞貴ちゃんを同じクラスにしてもらった。
私の方から出した交換条件……週に3回だけあの3人に車で送り迎えしてもらっている。
間接的にでも父さんと会話をするために……最近は家に帰ると、とにかく母さんの近くにいて、何でもいいから私から話しかけることにしている。そのせいか少ないながらも、おたがいに言葉をかけ合うようになってきた。
小佐田さんとも話をするようになって、話してみると恐いどころかすごく優しい人だった。
今では時々護身術のために空手を教えてもらっているし、それには父さんも賛成している。
小佐田さんがいうには私は素質があるらしい。恐らく華道をやっているからだろうってことだけど……空手を含めた武道の『動』と華道の『静』は表裏一体でどちらも身につけることで、どちらもより深く修得することができる……らしい。
その小佐田さん自身も、茶道と香道の師匠の免許を持っている……悪いけど、少し意外に思えた。
父さんは、私が嫌がっていた剥製を、どうしても譲れないもの以外を残してあちこちの動物園や博物館に寄贈して、引き取り手のなかったいくつかは動物霊園で供養してもらうようにしてくれた。
今の客間からは、あの時のような落ち着かない雰囲気は残っていない。
家の中に、少しずつ暖かさが感じられるようになってきた。
「佳月ぃー、舞貴ぃー」
遠くから天凪くんの呼ぶ声が聞こえる。
「おまえら今日は『お迎えの日』じゃねぇんだろ? 俺たちとカラオケでもいかねぇか?」
鈴乃ちゃんと磐拝くんも一緒だった。
「そうね……どうしようかな……」
「あ、わたしいきたい。佳月、いこう!」
「……うん。じゃあいこうか」
もちろん初めから断るつもりはない。
「よーし、仁狼! 今日こそ点数、負けないわよぉ!」
「おう! 返り討ちにしてくれるぜ!」
舞貴ちゃんが天凪くんを指さして叫んでいるけど、正直、2人ともどっちもどっちの点数で争ってるだけ。
彼女はこの学校に来てから……特に天凪くんと知り合ってから性格がますます明るくなった。今の舞貴ちゃんに、もう以前の暗い影はまったく見当たらない。
だけど、天凪くんがあの時、舞貴ちゃんに何をしたのか、何度尋ねても教えてくれなかった。
でもそんなことは、もうどうでもいい。
私は今、新しい道の始まりに立っている。これからどうなるかは私自身にかかってる。もう後悔するようなことは絶対にしない。
「負けた方が、これ食べるってのはどう?」
舞貴ちゃんがカバンに隠してあった学食のあんパンを取り出す。
「なんでそんなモン持ち歩いているんだ!」
「あんたの行動パターンからして、今日あたり誘うだろうなあーって思って、買っておいたのよ!」
「おーし! その無謀な作戦、ぜったい後悔させてやるぜ!」
2人のやり取りに、私と鈴乃ちゃんと磐拝くんの3人が同時に笑い出す。
まわりを吹き抜ける風の香りに、新しい季節の到来が感じられた。




