一章:裏切りと誠実の境界
そして翌日。
「お嬢?」
リノは、聞きなれた男の声、自らの執事の声で目を覚ました。
「起きられましたか? お嬢」
相変わらずの硬いマットレスの上で目を覚ましたリノはすぐ脇に立っている、見慣れた執事の姿と、シオンと呼ばれていた男とテオを見て眉を寄せた。
「お迎えに上がりましたよ」
執事は一礼をしてリノを起こして目覚めの紅茶を差し出す。
「ヴェルフ?」
「早朝にこちらに上がられました。どうやら、ギルティアの街に迎えの馬車が来る手はずになっているようです」
状況を説明するテオの優しい声がゆっくり飲み込んだリノは、執事、ヴェルフを見上げてほっと息を吐いて差し出された紅茶を手にとった。
「……俺たちはここで」
シオンがそう言ってきびすを返す。
それをヴェルフが振り返って引き止めた。
「いえ、あなた様方はお嬢を救っていただいた恩があるので、主人のほうから礼を言いたいと……」
「恩を売る気はない」
振り返らずに言うシオンにテオがあきれた顔をした。
「良いんじゃないですか? 久々にイアンの所にでも」
「……え?」
「テオ」
とがめるシオンの声と顔色を変えたヴェルフの顔にテオが肩をすくめて苦笑をした。
「ああ、すいません、イアン様、ですね」
肩をすくめたテオにシオンが鼻を鳴らして部屋を出ていく。
「お知り合いでございますか?」
「知り合いっていうのよりは、軍学校の同級生だったんですよ。イアン、様とは」
「左様でございますか。それは主人もとても喜ぶでしょう」
そう言って笑ったヴェルフにテオはうなずいて、話をつけてくると部屋を出ていった。
「ということです。ギルティアまで彼らに同行してもらいます」
「……わかったわ」
うなずいてリノは空のカップをヴェルフに押し付けて立ち上がった。
「大丈夫ですか?」
「ええ。けがもないわ」
外に出ると、部屋の外でシオンとテオが声を潜めてなにかを早口に話し合っていた。
「あの……」
ヴェルフが声をかけると、なにもなかったようにシオンがその場を離れて、テオが笑いながらヴェルフに接待をする。
「なにかあったのですか?」
首をかしげるヴェルフに、テオはバンダナを巻きなおしながら首を横に振った。
「いえ、特には……。ギルティアの道中でなにかあったらどうするかということを話し合っていました」
そういうテオにヴェルフは左様ですかとだけこたえてうなずいた。
「迎えの馬車はいつぐらいに上がりますか?」
「夜には……」
「……左様ですか。ならば、歩きで……。すぐにでも出立したほうがよさそうですね」
「え?」
「お嬢が休みなしで歩けますかどうか」
テオの言葉にふっと笑ったヴェルフはうなずいて、リノの背中に手を回した。
「ということです。さあ」
「今すぐに行くの?」
「はい」
うなずき、部屋に入ったリノとヴェルフを見送ってテオは、下の階にいるシオンの元へと向かった。
「先輩」
「準備出来しだいか?」
「はい」
「そうか」
うなずいたシオンはタバコに手をやって吸いはじめた。
「量多くなってません?」
「しかたないだろう。あいつのせいだ」
「リノ様ですか?」
「ああ」
そういいながらシオンがそっぽを向く。
昼間なのにもかかわらず薄暗い店内を見回してテオは声を潜めた。
「でも、なぜ、侯爵家令嬢が……」
「……どうせ、権力争いだろう」
「権力って……」
「侯爵家と公爵家に縁ができて困る人物の妨害」
「え?」
「そんなもんだろう」
そう言って深くため息をついたシオンはタバコを吸いながら、それ以上なにも言おうとしなかった。