四章:約束
シオンがグラスを静かにテーブルにおいて口を開いた。
「ただ大丈夫だといってもお前は信じないな」
「昔は、信じた」
ポツリとつぶやいたリノの言葉にうなずきながらシオンはテーブルの上に両手を置いて軽く握り締めた。
「だな。少なくともさらわれたあたりは盲目的に信じていたな」
「……でも」
「でも。彼は助けに来てくれなかった。か?」
こくんとうなずいたリノにシオンがため息をついたようだった。
立ち上がって規則正しい足音を二、三歩響かせてリノの横に立つと、食器のほうを向いているリノの顔を、シオンのほうを向かせるように頭に手をやってリノを見下ろした。
「あいつがお前の前に姿を現さないのはな、戦争で心がぶっ壊れちまったからなんだよ」
静かな告白にリノは、顔を上げようとするが手に阻まれた。
「壊れた?」
「そう。……あいつは、大切な人を目の前で失ったにもかかわらず、無茶して声も出ないほど心を病んだ」
「え?」
おおよそ考えられないその言葉に、目線だけ上げてみれば、シオンはほの明るい部屋の一点、ちょうど、絵が飾られている辺りを見ていた。
「さすがにそんな惨めな姿、誰にも見せたくないと考えた彼は、せめて連れて行けといわれた自分の執事を連れて、戦争のあと、心を癒すための旅に出た」
「惨めなんて、そんな……」
「本当に惨めだった。声は出ない、表情も変えない。そこに意識があるかわからないような状態の男を見てられるか? 支えられるか? ……幼いお前にはムリだよ。だから」
そこでシオンは言葉と一緒にそっとため息をついた。部屋の中には蝋燭がじりじりと音を立てて燃えている。
「だから、全てが癒えきって元のサナンに戻るまで、と思ってお前の前に姿を現さないんだ。……お前の望んでいる、求めているサナンの姿を壊したくない」
そういうと、シオンは指先に込めていた力をゆっくりと抜いて、そっとリノの頬に触れた。
「お前にとってのサナンは、強く、そして、優しい兄のような存在だろう?」
「……それでも、それでも、どんな姿でもサナンさまはサナンさまよ。それが……」
「戦争で、人を殺していてもか? 残虐な方法で敵兵から情報を吐かせて、すべてが終わった後は、殺して。殺し殺されるような、……そんな世界に身をおける男だぞ」
「……」
リノの瞳がなにかを思い出したように揺れ、そして潤む。
脳裏によぎったのはシオンが路地裏でごろつきを銃で吹っ飛ばしたあの場面だった。
軍に所属してなおかつ戦争を経験したというのであれば、それぐらいが普通なのだ。彼だけそれを免れているわけはない。あの温かな手は、血に染まっているのだ。
それを指摘したシオンの言葉に、リノは自分なりに整理をつけて、シオンを見上げる。
「そうよ。それでも、……なにがあっても私はサナンさまと共にいるわ。支える事はムリでも、隣にいることはできるわ」
視線を上げてシオンをまっすぐと見る。彼の表情は蝋燭の明かりを背負っているためか、よくは見えなかった。
「……添い遂げるのか?」
ぽつりとしたシオンの低い言葉に、リノはきょとんとしながら、次の瞬間にはうなずいていた。
「ええ。そうよ」
胸をはって、それをいうリノにシオンがそっと眉を寄せてふっと視線を落とした。
「……そんなに好きなのか? あいつのこと」
棒読みなその言葉に、リノはきょとんとしたあとに、くすりと笑った。
「ええ。大好きよ」
まぶしいほどの断言に、きいていて恥ずかしくなってきたのだろうか。少しだけ紅くなったシオンが深くため息をついた。
「……いくらたっても、その心に負った傷は治らずに苦しめて、治ったと思っても少なからず性格には影響がでるもんだ。そのゆがみも取れてからと思っている、らしいが。……伝えておくよ」
根負けしたと言いたげなその言葉に、リノがぱっと顔を輝かせて強くうなずいた。
「よくもこんな小っ恥ずかしいこと断言できるな、お前は。……ま、あいつもあいつで気障なやろうだが……。テオには内緒にしろよ。近々サナンが王都に入って軍に復帰する気らしい」
「え?」
目を見開いたリノの頭をぽんぽんと軽く叩きながらシオンが呆れたようにいう。
「大方ヴィストラート公から事情をきいたのだろう。方をつけるって軍本部に乗り込んでゴミ掃除をするらしい。……つまりは、わかるな?」
「え?」
「間接的にでも、お前を助けようとしている。あいつもお前のことを忘れたわけじゃない。……あいつにとって、お前の隣だけが、帰ってくる場所だからな。あと、伝言がある」
そういうと、シオンが苦笑をして肩をすくめた。リノがまっすぐそれを見つめていた。
いつぞやに感じた彼への恐怖も忘れて、それを見つめていた。
「待っていてくれ。必ず、戻る」
シンプルな、言葉。
テオの慰める言葉よりもすとんと胸に落ちてしっくりとあてはまった。
リノはそんなことを感じながらこくんとうなずいていた。
「おつくりしました」
男が入ってくる気配を感じてシオンが何事もなかったように席についてワインに手を伸ばす。
そして、運ばれてきたホットワインの毒見をシオンがやり、リノの手にそれがわたった。
「う……」
「飲めよ。もったいない」
左手でスプーンを持ちながら催促するシオンの言葉を聞いて、恨みがましい目をしたリノが一息にワインを煽った。
「え?」
「ぶどうジュースだな」
思いのほか甘く、渋みも酸味も押さえられたそのワインの味に、ぼそりとシオンが呟く。リノは狐につままれたような顔をして残ったワインを飲んで、酔いが回る前にとさっさと食事を済ませてベッドへ入っていってしまった。
「……まったく」
呆れたシオンの声を背中にききながら。




