その5 ニコはあばれる
「百合って知ってますか?」
いつものように営業中にも関わらずそんなことを言い出したのはニコ。暇そうにしていたツンに話しかけたのだ。
「百合? 花のことなら花屋に訊けよ」
そう言ってツンは親指で入り口とは逆側にある扉を指した。『喫茶いわゆる花屋店』というのは名ばかりではなく、実際に花屋も経営しているのである。扉を開けるとそこは花屋の裏口に繋がっているのだ。
しかしそんなことは既に知っているニコは『そうじゃなくて!』と声を荒げる。
「百合ですよ! 女の子と女の子がチョメチョメするアレですよ!」
「チョメチョメってお前な……。まぁ大体把握した。で、それがなんだって?」
「いやね、百合って何だか綺麗なものとして描かれる傾向にあるじゃないですか?」
「いや……俺は知らんが」
「でもね、BLは何故か排斥されてるんですよ! おかしくないですか!」
「BLって……いや、確かにそれはないな。それはちょっと想像もしたくない」
「なんでですか! 塔野くんとツンさんなんて完璧なカプなのに! ツン鬼畜攻めの塔野ショタ受けで!」
「お前は何を言っているんだ」
「だからつまりツンさんが塔野くんのアレをアレするんですよ!」
「……僕がどうしたんですか?」
興奮ぎみに語るニコの後ろの方から塔野が控え目に声をかけた。やはりニコのことも苦手らしい。身長的な意味で。
「おおっと! 受け手あらわる! さぁさぁツンさん、やっちゃって下さい!」
「なにお前こわい」
鼻息荒いニコにツンはドン引きである。しかしそれ以上にニコを恐れていたのは、もちろん塔野。
「……に、ニコさん怖いです」
「怖くないよー? ホモ怖くないよー?」
「いや、ホモは怖くないですけど、ニコさんは怖いです」
「ホモ怖いだろ」
聞き捨てならない台詞に思わずツンはツッコミを入れるが塔野はそれどころではない。小夜の時と同じように、ツンの後ろに隠れてしまっていた。
しかしそれは、ニコを一層暴走させる原因となってしまったようだ。
「ウホッ! 塔野くん萌えた! 久々に三次元に萌えた!」
「えっ、僕別に燃えてませんけど」
「天然キャラキタコレ!」
「……おい、谷中。ちょっとお前日本語喋れ」
「日本語喋ってますよ! これはれっきとした日本語ですよ!」
「俺はそんな日本語は知らん」
「えー? ツンさんちょっと世間知らずなんじゃないですか?」
「お前のいる世間と俺のいる世間を一緒にしないでくれ」
「ま、まさかツンさん、異世界の住人!?」
「もういいです」
呆れすぎて思わず敬語になってしまうツン。しかしニコの暴走は尚も止まらない。
「ちょっと御両人! チューしてみてくださいよ!」
「すいませんできません」
「そんな、男同士でなんておかしいでしょう!?」
「なんですと!? 私の持ってる薄い本はいっぱい描いてあるのに! じゃああれね。塔野君は男同士はダメでも女の子となら良いんだよね!?」
「えっ、いやそういうことじゃ」
「店長ー!」
塔野の話など聞きもせずにニコは小夜を大声で呼ぶ。確認のために言っておくが、今は営業時間内、開店中である。
「……なんだニコ? お前うるさいな」
「いいから来てください! 塔野君がチューしたいって!」
「な、なに!?」
先程までだるそうにしていた目を大きく開け、小夜は顔を真っ赤にして照れ出した。本当に面白いなー、とその隣でニコがニヤニヤが止まらないといった風に笑っているのにも気づかずに。
「塔野……お前、だ、大胆だな」
「えぇ!? なんで信じるんですか!? 嘘ですよ、ニコさんの嘘!」
「……みなまで言うな。わかってる。お前だってそんなナリでも高校生。そういうことをしたいだろう!」
「いや、え、あの」
「正直、私だってそういうことはしたことがない。でも、なんだ、大丈夫だから!」
「え、何がですか!? え、ちょっと待って! うわあぁぁ!」
塔野は突然迫り来る小夜に完全に恐れおののき、逃亡を図ったが、ニコに行く手を阻まれてしまった。
「逃がさないよ、塔野くん!」
「えぇ!? なんでですか!」
「塔野くんと店長のキス写真を納めるまで、私は負けない!」
「だからなんでなんですか!」
塔野の必死の抗議も聞き入れず、ニコと小夜が今にも塔野を捕まえようとした時、突然裏口の扉が開いた。
「あのー……ちょっと声大きくないかな? こっちまで響いちゃってるんだけど」
と、顔を出したのは小夜と同じぐらいの身長の男性。ツンとは違い、いかにも人の良さそうな顔をしている。
それを見たとたん、塔野はそちらに向かって全力で駆け、男性の後ろに隠れた。
「うわ、びっくりしたぁ! キミ足はやいねぇ」
「え、あ、はあ。そうじゃなくて、あの二人から助けてくださいお願いします!」
「んー? ……ちょっと厳しいかなぁ」
「な、なんでですか?」
「いやぁ、小夜ちゃんとニコちゃんは僕も怖いんだよね」
「えぇ!? でもどうにか逃げないと」
「んー、じゃあとりあえずこっちに行って」
「へ?」
そう言って男は塔野の襟首を掴んで扉の中へ引っ張り、ひょいっと軽く投げ、自分は喫茶店側に入って鍵を閉めてしまった。
「……ええぇぇ」
塔野はしばらく落胆して動けなかったが、とりあえず喫茶店の反対側に扉が見えたので、ゆっくり立ち上がり、そちらへと歩いていった。
続く。