その3 小夜は照れゆる
ある日曜日。今日は塔野の初出勤日。ちょうど昼時だから客もこれから増えるであろう時間帯だ。
そして、当の本人はと言うと。
「……イ、イラシャイマセー」
おもいっきり緊張していた。
「おい塔野、わかってると思うが客の前でもそんな様子なら……持って帰るぞ?」
「は、はい! すみません! ちゃんとやります!」
そうは言うものの、塔野の顔からは緊張の色が滲み出ている。というか、なんだか顔がいつもよりカクカクしているように見える。
「おい……本当に大丈夫か、お前」
「ツ、ツンさん。ダイジョブデスヨー。イラシャイマセー」
「……ダメだろこれ」
「ふむ……確かにこれはちょっとひどいな」
小夜がいつになく真顔で言うと、ツンは少し驚きつつも、『ああ』と言葉を返す。
「どうしたもんか……」
「ふっふっふ」
小夜とツンが頭を抱えていると、不敵な笑みを浮かべ、物陰から出てきた人物。右手を顎にあて、左手で二人を指差した。
「話は全て聞かせてもらいましたよ!」
「お前、それが言いたかっただけだろう」
「あ、バレました?」
そして『あっはは』と爽快に笑うのはもちろんニコ。名前の通りにニコニコしている。
「いや、でもね、それだけってことはないんですよ。ちゃんと塔野くんの緊張をほぐす方法、考えましたから!」
「……本当か?」
「うっ、ツンさんそんなに疑り深い目で見ないでくださいよ。たまには私も真面目に考えますよ?」
「お前はどうにも信用できんからな」
「な、店長までひどい!」
「とりあえずさっさとその方法を言えよ」
小夜が急かすようにそう言うと、ニコはチッチッチ、と人差し指を立てて左右に動かす。
「急いじゃいけませんよお嬢さぶっ!」
「早くしろ」
小夜のチョップはニコの脳天におもいっきり直撃し、ニコの頭上に星を踊らせた。
「うー……冗談なのに」
「そろそろ客が来る時間帯なんだよ。冗談言ってられるか」
「それもそうですね。じゃあ作戦を発表しましょう。名付けて、『眠りの森の美ショタ』作戦!」
「…………」
「…………」
「イラシャイマセー」
無論、ツンも小夜も唖然である。そしてその感情は少しでも期待した自分に対する後悔の念へと早変わり。
「作戦名はアレですが、内容はすごいんですよ!」
「アレってわかってるなら付けるなよ」
「……とにかく内容を話せ」
呆れながらつっこむツンも、『早くこの話終わらせたい』と思い出してきた小夜も、とりあえずはニコを促す。期待なんて全くもってしていないのだが。
「じゃあちょっと店長、来てください」
「なんだ」
「いいから!」
ニコは小夜だけを呼ぶと、その耳元で何やら耳打ちをする。
「……で、……して」
「……ふむ。ふぇ!? え、いや……そ、それは」
「……?」
ニコニコというかニヤニヤしているニコに対し、小夜の顔はみるみる真っ赤になっていく。
あの作戦名、ニコの表情、小夜の反応からして……『そういうの』か。
ツンは推測してから、頭をポリポリとかき、少し困ったような表情をしていた。少しすると、話は終わったのか、小夜をおいて、満足そうな顔のニコだけが近づいてきた。
「お前、小夜に何て言ったんだ?」
「えー? それはぁ、ヒ・ミ」
「どうせ塔野にキスしろとか言ったんだろ?」
「な、なぜそれを? まさかあなたも能力ぶっ!」
拳骨一閃、ニコ撃沈。
しかし今回は立ち直りが素早かった。
「な、何故わかったんでしょう?」
「いや、まぁ眠れる森のなんとかって言った時点で少し予想はしてた。で、小夜のあの反応だろ? あいつ、元ヤンで滅茶苦茶なやつなんだが、恋愛経験はからっきしなんだよな。だからその手の話になると」
ツンが一瞥した先には、小夜。本当に茹で蛸のように顔を真っ赤にして、自分の唇に人差し指をあてがっている。
「……キ、キス……むぅ」
「ああなる」
「な、なんですかあの乙女店長は」
「俺に聞くな」
小夜はモジモジしながら、相変わらず真っ赤な顔をニコに向ける。
「ほ、ホントにキ、キスしたら塔野の緊張はほぐれるのか?」
「……か、可愛い! なんなんですかあの店長は! もう!」
「だから俺に聞くなって」
「お、おい、ニコ……聞いてるのか?」
「へ? あ、はいもちろん! そうしないと塔野くんは緊張しっぱなしですよ!」
「そ、そうか……」
「……お前、どんな根拠があって言ってるんだ?」
「そんなもんありませんよ!」
「おい」
最後のツンとニコの会話は聞いてなかったのか、小夜はどうやって塔野にキスをしようかと俯きながら考えていた。
「い、いきなりすれば……でも私大きいから怖がられちゃうし……ううう」
「顔赤らめながら俯いてモジモジしてる店長萌え」
「……もう好きにしろ」
もう見学者側にまわることにしたツンはニコにそれだけ言うと、近くの椅子に座った。ちなみに現在、開店中にもかかわらず客は一人もいない。
「……よし、いこう」
一世一代の覚悟を決めたかのような表情で一つ呟いてから、小夜は塔野に一歩、また一歩と近づく。
「イラシャイマセー」
「……と、塔野」
「イラシャイ……て、店長? な……なんでしょう?」
「お前に、その、なんだ……アレ、してやる」
「……アレ?」
それじゃわからんだろ、とツンは思ったが、言っても聞きそうになかったので言わなかった。
塔野くんが変貌して『まったく……悪い子猫ちゃんだ』とか言って乙女店長が照れまくりな展開希望!、とニコは思ったが、ツンに拳骨をお見舞いされそうだったので言わなかった。
「そ、そうだ。アレだ」
「アレ……ですか」
塔野は必死に『アレ』にあたるものを考えてみるが、全く思いつかない。それでもなんとか頭を振り絞って、1つの答えを導きだした。
もしかして『アレする=シメる』?
塔野はハッとして顔を上げ、手を思いっきり突き出して拒否のポーズをとる。
「い、いえいえいえ! 滅相もない! 遠慮しときます!」
「わ、私に気を使ってるなら別にそんなことは構わないんだ。あ、もちろんアレだぞ、ほっぺただぞ!」
ほっぺた? ほっぺたをストレートで撃ち抜くんですか?
塔野はついに小さく震えだした。
「あ、あややや、け、結構です! そ、そういうのはもっとこう……するべき時があると思うんで! こんなとこでしたらアレでしょう?」
震えながら嘆願する塔野。もちろん絶賛誤解中である。
「するべき時……か。まぁ確かにそれはあると思う。でも別にお前相手ならいいんだ。その……か、可愛いし」
『可愛い=可愛がってやるぜ=フルボッコ』そんな等式が頭の中に浮かんだ塔野は最早涙目である。『おろろ……』と声にならない声をあげている。
「……なんかおかしいよな」
「はい。あれは塔野くん、完璧に誤解してますね」
「まぁ会話は繋がるっちゃあ繋がるけどな」
そんなツンとニコの会話など露知らず、小夜と塔野は互いにモジモジガクブルしあっている。
「え、あの、でも」
「も、もうオマエの意見は知らん! いくぞ!」
「え、あ、ちょ、待っ」
カランコロンカラーン。
小夜が塔野の肩をガッチリと掴み、その顔が塔野の頬に近づき始めた瞬間、少し馬鹿らしく聞こえるほど馴染みのある音がして入り口が開いた。小夜は素早く塔野の肩から手を離す。そして四人は一斉にそちらを向いた。
「おぉ、小夜ちゃんこんにちは。何してたんだい?」
60半ばほどの親しげな笑顔の男性が、少し不思議そうに小夜に問いかける。
「え、あ、いえいえいえ! 何でもございません!」
「……誰?」
「客だよ! 挨拶しろホラ!」
「あっ、はい。いらっしゃいませ」
さらりと応対を始めた塔野。それを見て、ニコがツンにぼそりと呟く。
「……普通に言えてますね」
「そうだな。ま、一応お前の作戦は成功、ってことになるのか?」
「ダメですよ! 店長と塔野くんのキス写真を収めてませんもの!」
「……いらんだろ」
呆れ果てた顔のツンはゆっくりとキッチンの方へ向かい、それを見てニコは客のオーダーを取り始める。塔野はそれを横で見て勉強し、小夜は先ほどのことを思い出して顔を真っ赤にしている。そんな感じで、今日も喫茶いわゆる花屋店、開店です。