第八話『ラララブレター?』
ちらほらとしか生徒の姿が見えない玄関。もう、だいたいの生徒達は下校してしまったらしい。まだあたりは夕焼け色一色だが、そのうちすぐに真っ暗になってしまうだろう。本当だったら誰よりも早く家に帰りたいと思っていたのは自分だったのに、まさかこんな遅くなるとはな。
もう、ほとんど愚痴だらけの斉藤の長々とした説教(いや、あれは果たして説教と呼べるものなのか?)も終わり、やっと今玄関にたどり着いた俺はもうなんだか肉体的にも精神的にも疲れきっていた。やっと帰れるのかと思うと涙が出てきそうなものだ。
「ふぅー……まあ、これで帰れるんだから良いか」
などとぼやきながら、自分の名前が記されたシールが貼ってある下駄箱を開ける。真ん中に薄いベニヤ板があり、上段と下段に分かれるように作られている。ついさきほどまで履いていたスリッパを上段に入れて下段の方に入っているスニーカーを取り出す。
「ん?」
はらり、と白い封筒のようなものが下駄箱から零れ落ちる。なんだこれは?地面に落ちたそれを拾ってみる、なんだかこれと同じようなものを朝、誰かが見せてきたような気が……
「……まさか?」
やけに質素な作りではあったが例のものであるようにも見えるそれはまさに『ラブレター』に見えなくもない。
いや、まさかそんなはずが、などと恥ずかしくも、動揺してしまったのかまたもやはらり、と地面に落としてしまったそれをあわてて拾いあげる。
落ち着け、落ち着くんだ俺。良く考えて見ろ。俺に好意を寄せていると思われる女性がいるか……? 否っ! 松岡の馬鹿のおかげで俺の評価はあいつほどでもないが、かなりの下位ランクに位置づけられているはずだ。俺に話しかけてくる女子おろか、ましてやラブレターなどもらえるはずもない。そうなれば、この中身はただひとつ。
「ふっ……」
質素な作りであるその白い封筒を今度は自ら地面に捨てる。
この俺を松岡の馬鹿と一緒のレベルだと思われては困る、こんな紙切れなんぞに騙されるほど地に堕ちてはいない。俺はあくまでも正常の思考能力を持っているんでな、そこのところは理解してほしいもんだ。
スニーカーに足を入れ、かかとが入るように地面につま先をコンコンと蹴る。もうだいぶ履き古した白一色のスニーカーは汚れて、全体的に黄ばんでしまっていた。
「さて、行くか……」
右肩にスクールバッグを担ぎ、数歩歩くとピタっと俺は脚を止めた。
ゆっくりと後ろを振り返ってみる。固いコンクリートの地面には似合わない白い封筒。何秒か睨みつけてから、近づき俺はそれをまた手に取った。
「………」
もしかしたらってこともありえる。とほんの少しでも思ってしまったが最後、俺はもうすでにそれを取ってしまっていた。まぁ、見るだけなら良いだろう。ひょっとしたらクラスの誰かが、少し前に俺が落とした小テストの用紙を拾ってくれていて、それをわざわざ封筒に包んで下駄箱に入れておいてくれたのかもしれない。面と向かって手渡しすれば良いことじゃないかと思うかもしれないが、何故だか前にも言った通り『馬鹿神松岡』のせいで俺は一般人の避けられの対象になっているのだよ。ちくしょう。
だから、どこかの心優しいクラスメイトが恐ろしくも思いながら下駄箱に入れておいてくれて……
「……いや、もう見よう」
無駄に考えるよりも中身を空けて見ることに決めた俺は、辺りをきょろきょろと見て周りを確認する。
誰かが、俺がどんな反応をするのか面白おかしく観察しているんじゃないかと思うと少し不安だったが、周りには誰もいないようだ。しかも誰がいようとどんな風に見ていようと関係ない。見るだけなんだからな。
ゆっくりと中身を開けて中の薄黄色がかった紙を取り出す。どうやら先日無くした小テストの用紙ではないようだ。胸が高鳴るのがわかる。なんでこんなに高鳴っているのかはよくわからないが、俺は一息ついてから半分に折りたたんである小さな紙を開いて見せた。
「……うん?」
予想通り、ではなく。予定通り、でもない。
とても微妙な内容がやけに達筆な字で書かれていた。それは松岡がうざったくも見せてきた誤字脱字のお祭り騒ぎな告白文とは違っていた。
もちのろんの事、愛を伝えるために書かれた恋文とも違った。ただ短く、薄黄色がかった紙にはこう記されていた。
『この手紙を見たのなら、即刻屋上に来なさい』
名前も宛名も記されておらず、この一文だけが紙の中央に記されているだけだった。命令形なっているのが少し気にかかるところだが、そこまで考える必要もない。屋上に来なさい? 馬鹿馬鹿しい。こんな悪戯まがいのわけのわからないものにわざわざ付き合ってやるほど俺は暇じゃない。だいたいせっかく降りてきた階段をまた登れと? そうでなくても残り少ないヒットポイントに、とどめを射すつもりだとしか思えない。
「………」
さて、帰ろう………―――――
・
・
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「はぁぁ~……」
これでもかと大きなため息を吐きながら、何故だ、何故なんだ? と自問自答する。
俺の右手にはドアノブが握られている。鉄製の冷たい感触が少し心地よくも感じる。目のまえには所々塗装が剥がれ、サビがあらわになってしまっている。そう、これは屋上に出るためにある無駄に大きなドア。
何か期待があって来たわけじゃない、ただなんとなくだ。
昼飯時に屋上を使いたいと言う生徒は大勢いたが、安全のため鍵をかけられて教師以外入ることは出来ないはずだった。のだが、試しにドアノブを回してみると鍵がかかっているようには感じられなかった。
回したまま強めに押してみると、案の定ドアは何にも遮られずすんなり開いた。
意を決して外に出てみると、すでに夕日は半分ほど沈みかけていた。コケがかって全体的に緑色に汚れた地面、周りには所々穴の開いた今にも倒れてしまそうな無残なフェンス。これは教師たちが断固として開放してくれなかったのにも頷ける。あんなフェンスに寄りかかろうものならば一瞬にして奈落の底に叩き落されるのは間違いないだろう。顔面から固い地面に向かって「こんにちわ」だ。考えるだけで、怖くなってくるな。
背筋に冷たいものを感じながらもやっとここに来た意味を思い出す。だが、360度ぐるっと回ってみたが誰もそこにはいなかった。
「……誰もいないじゃねーか」
「やっと来ましたね」
ぎょっと、後ろを振り返ると、確実にさっき見た時はいなかった場所に悠然とした態度で俺を真っ直ぐに見据える少女がそこには立っていた。
沈みゆく夕日に照らされた、自然な茶髪はオレンジ色に染まってキラキラと光り、つい先ほど同じく夕日に照らされていたメタボリック斉藤などとは、比べる事すら罪に問われてもしょうがないと感じるほど、びっくりするぐらい綺麗だった。
「あっ、蒼井サクラ……さん?」
意外以上に意外。目の前に立っているのはまぎれもない美少女、蒼井サクラだった。
「はい。いきなり呼び出してしまって申し訳ありません」
ペコッと軽く会釈して見せたが、その表情は全く変わらず少し冷たい印象を思わせる目でまた、真っ直ぐに見つめる。あまりにも真っ直ぐな目に俺はつい、目をそらす。
「いや、別に構わないけど……一体用件はなんですか?」
風が吹くと、長めのフワフワと柔らかそうな髪が揺れた。彼女は少し間をあけてから、小さな唇を開き言い放つ。
「見ましたよね?」
「……はい? なんのことですか?」
いきなりのクエスチョンに俺の頭にもクエスチョンマークが浮かび上がる。見ました? 一体何のことだろうか? 何か俺はいけないものを見てしまったのか?
彼女はまた少し間をあけて、今度は少し強めの口調で聞いてくる。
「……先ほどの私を見たのでしょうか?」
あっ。
つい、口に出してしまいそうになったが、彼女がやっとなんのことを指して言っているのか気づく。
三時間目が終わって中休みに入った頃、松岡と昼飯を買いに売店に行った時に起こった、『あの出来事』のことだろう。ただの俺の疲れからくる妄想だと思おうとしていたが、やっぱり現実のことだったのか? いや、でもありえない、あんなこと。
頭の中であの光景が生々しく蘇る。
「いや、見たってほどちゃんと見たわけじゃないんですけど……」
やや濁しながらそう答える。ひょっとしたら他の事を指しているのかもしれない。または誰かと間違えているのかも知れないし………ん?
ズバンッッ!!
右足をゆっくり十数センチほど上げたかと思ったその瞬間、思いっきり地面に叩きつけて、こだまするくらいに大きな音を辺りに響かせる。あまりの音の大きさに一瞬何かが爆発したんじゃないかと思ったほどだ。
……―――いや、やっぱり爆発したようだ。
さっきまでのおしとやかな顔からうって変わり、明らかに怒りをあらわにした顔つきで、人差し指を突きつけて言い放つ。
「あー、見たんでしょっ!わかってんだからっ、あんた即刻死刑ね」
はっ?
いきなり何を言うんだこの美少女は、ってか口調&表情変わりすぎじゃないか? 二重人格? いやいや、それよりも死刑ってなんだよ?最近の女子高生で流行ってる冗談か何かか?
こちらが何か弁解をしようとする前に、目の前の美少女は俺に手をふりかざし、冷たい眼光で一言投げつける。
「死になさい」
「いや、死になさいっていきなり言われても……へっ?」
冷たい口調でそう言い放った瞬間、その小さな雪のような白い手のひらから魔方陣のようなものが浮かび上がり真っ赤に燃え上がる炎のようなものが現れ、ごうごうと激しい音を立てながら瞬時に俺に襲いかかる。
「……うっ嘘だろ?」
逃げるという選択肢があまりにもとっさのことで思いつかず、襲いかかる火炎放射を瞳の中に映して、ただ呆然と立ちつくす事しかできなかった。
「うわぁぁっっ!?」
悲鳴をあげながら目をつぶり、その場でうずくまるようにしてしゃがみこむ。一体なにが起こってるんだ!? 何で俺はこんな状況にあってるんだ、どうすれば良い? 俺は、死ぬのか?思考回路が大暴走して今にも死にそうな中、ひとつだけ気づけたことがあった。
誰かっ! 助けてくれぇっ! 熱いっ熱いっ、あつ………
「……くない?」
数秒間そうしていると、体中を包んでいたぬるい熱気のようなものは消えたらしく、少し火照った体を涼しい風が吹きぬけ冷ましてくれた。
恐る恐るゆっくりと目を開けてみると、先ほど目の当たりにした炎は跡形も無く消えて、目の前には変わらずに5、6メートル離れた場所に可憐な美少女……いや、鬼のような表情をした美少女が立っている。
「ちっ」
明らかに聞こえる程度の大きさで舌打ちをつきながら、俺を睨みつける。
かろうじて腰は抜けていなかったようだったので、なんとか体を奮い立たせることはできた。体中あちこち見てみたが、どこにも燃えた後などなくそれどころか焦げついた後すら一箇所もなかった。
「なんだこれは……?」
疑問の表情を投げかけようと顔を上げてみると、すでにこちらに向かって再度手を振りかざしている美少女の姿が。
「じゃあ、これならどうよっ!」
「いやいや、『じゃあ、これなら』ってあんた……」
手のひらから浮かび上がる魔方陣からニョキニョキとつららの形をした無数の氷のヤリが現れ、ものすごいスピードで俺に向かって飛んでくる。
「うおわぁぁっ!?」
さすがに今度は反応することができたが、横に向かってヘッドスライディングするようにしてなんとかかわせたのは最初の数本だけで、かわすと同時に手の平の方向を変えて放ってくる第二撃目をかわすことはできなかった。
鋭そうな何十本もある氷のヤリが俺の胸を、足を、腹を貫く。その箇所から波打つようにして血が溢れ出して、コケがかった地面を赤く染めていった。
になるはずなんだと思うんだが。
「なんだよこれ……?」
表現力が乏しく同じ言葉を発してしまった。
今度は目をつぶってなかった。というよりもつぶるヒマも無かったと言ったほうが正しいのだが、俺はこの目でしっかりと見た。あの簡単に人間など貫いてしまいそうな鋭くとがった氷のヤリのようなものが、俺の体に触れる瞬間に溶けて、消えて無くなるのを。
こりゃ、一体どういうことなんだ? 俺は何か悪い夢でも見ているって言うのか。それとも日々のストレスのせいで、こんな幻覚を見てしまっているのか?だとしたら誰か救急車を呼んでくれ! 俺は重症らしい。
「もうっ!一体なんだって言うのよ!?」
俺に人差し指を突きつけて鋭い目つきで睨む。いや、ちょっと待ってくれそのセリフはたぶん俺が言ったほうが状況的にしっくりくると思うんだが?
「もう、怒ったわっ」
いや、だからそこで怒るのはちょっと理不尽すぎだと思いませんか?
今度はさっきのように手のひらをかざすだけではなく、万歳をしているように空に両手を伸ばすと、その小さな両手が白く光りだす。キィィィィン、と何かが収束されているような音が耳に入る。手の周りの空間が不気味にうごめいているのがはっきりと見える。目を閉じたくなるくらいに白く光る両手の先には、野球ボールくらいの大きさの球体が浮かび始めた。まるで小さな太陽を思わせるくらいの存在感が、俺の額に大粒の汗を流させた。
「……おっおいちょっちょっと待ってくれって!?」
今度のあれはちょっとヤバいんじゃないか?俺の第六感が悲鳴をあげている。だが、そうは思うとも体が動かない、足が可動しない。恐怖のせいなのか、それかこのどたん場で歩き方を忘れてしまったのか。
なんにしても、俺の人生はここで終わりだ。それもまた、俺の第六感が告げている。
「これで終わりよっ!」
高らかに声を上げて、にやりと皮肉な笑みをこぼす。
「くっらいなさいっっ!」
「うわぁぁっっ!!」
結局、一歩も動けずにまたもやその場でうずくまる。
目をつぶると、大切な思い出から、たわいのないものまで、まるで火山が大噴火したかのように頭の中に勢いよく溢れ出す。という、走馬灯のようなものが見えるといった現象が起きるわけでもなかった。
ただ、恐怖で心底怯えてしまって可笑しくなってしまったのか、それかパニック状態で思考が爆発してしまったからなのかは定かではないが。こんな状態でありながらもひとつだけ頭に浮かんだ。
たぶん目をつぶる前、まるでゲームかアニメのワンシーンのような情景に映る蒼井サクラの表情を最後の瞬間に見てしまったからだろう。こんな状況で不謹慎かもしれないが……いや、この際どうだって良い。
……―――やっぱり笑った顔も可愛いじゃねーか。ちくしょう。