第六話『ドリームエンジェル』
「ほらほら、また顔がこわいぞぉ?笑って笑ってぃ」
グレートメンチカツスペシャルを早々と食い終えて、食後の運動とばかりにぴょんぴょんと飛び跳ねて楽しんでいる。のかどうかはわからんが、それなりに鬱陶しいことには変わらない。
「……ほいっ、ほいっ、よっしょっと!う~ん……いんやぁ~やっぱりここにいると気持ちが晴れ晴れするよなぁ!修平もそうだろぅ?」
お前は年中無休のオンリーで晴れてるだろうが。もう、1mm単位の雲も見つからないくらいに。
真冬に、Tシャツにハーフパンツでマフラーを首に巻くという、スペシャルナンセンスなファッションをかまし、なおかつ風邪の類には一度もお世話にならないという変態的なタフガイだからな。こいつの体内温度計は確実に常人のものとは別モノと思ったほうが良い。愉快なくらいいまだに、飛び跳ねて楽しんでいる松岡の野郎を横目に、ベンチに寝っころがる。
びっくりするくらいにさんさんと晴れてる今日の天気は、梅雨の事なんかすっかりと忘れてしまっているんじゃないか、とぼやきたくなるほどだ。そりゃ梅雨が来ないでくれるのは、それはそれで嬉しい事この上ないが。この世界には水分というもんは必要不可欠だ。決まった時期にちゃんと降ってくれないと、俺たち動植物はまいってしまうからな。
だいたい少しわがまま過ぎるのかもしれないな、俺たち人間は。
少し降りすぎると大騒ぎし、降らなければそれはそれで大騒ぎする。お天道様だって忙しいんだ、ちっぽけな俺たちの事なんて考えていられないのさ。実際、お天道様なんていうもんが存在するのかどうかさえ怪しいものだ。ひょっとすれば、某共和国のどこかにある怪しげな研究所で、また怪しげな研究員達が世界中の天気を、またまた怪しげな機械で操っているのかもしれない。またそれか、意外と近所に住んでいる今や置物と化している梅ばあさんが、天気を自由自在に操る事のできる天駆けるスーパーババアなのかもしれない。
「な~あ、寝るのかぁ?おーい、しゅ~へぇ~……」
それにしても気持ち良いな。今日の売店で起きた夢みたいな事で悩んでた自分が、まるで夢みたいに思えてくる。いや、夢であって欲しいってのが切実な願いであるんだがな。頼むよ、ほんとに。
普通、あんな事をもろに体験したら、軽く脳震盪を起こすか、精神が崩壊してもおかしくないんじゃないか?そう思うと、俺は実に冷静沈着だったと思える。
恥ずかしい話しでもあるが、昔から感情表現が豊かな方じゃない少年時代を過ごしていたので、激しい動揺を表現することが出来なくなっているのかもしれない。というのが俺による、俺自身の見解だ。
全く運が良いんだか悪いんだか……。
「しゅ~へぇ~……おぉ~いぃ…」
忘れよう。
今日のことはすっきりこってり忘れてしまおう。根拠という根拠は全くと言ってないが、なんだかこの調子なら忘れられそうだ。これもこの場所のおかげかもな。
このあとの、5時間目、6時間目をなんとか乗り切って……ん?5時間目は何だったけな?確か6時間目が数学で、あぁ俺の苦手教科ランキングぶっちぎりにナンバー1の座に君臨している英語だったな。考えるだけでうんざりしてしまう。日本人は日本語だけ喋れたら別に良いじゃないか、とまでは言わないが、特に喋れなくても問題ないだろう。大体、この学校の授業でやる英語なんてものはアメリカに行っても到底通用するレベルのもんじゃないし、無駄に文法やら単語やらを機械的に教えているだけでほとんど意味がない。どうしても英語を覚えたい奴は、専門の教室にでも通えば良いだろう。
そしてまあ、何も考えず家に帰り、夕飯を食べて風呂に入り、そのまま何も考えず就寝に……あっ、そういえば今日の夕飯はピーマンの肉詰めだったな。それはそれは、そこはかとなく楽しみで楽しみでしょうがな……いなぁ………―――――
……―――ここはどこだろう。
見渡す限りに広がる綺麗な花畑。見たことも無い色、形をした花達が足元から地平線の彼方まで美しく色を染めている。花に囲まれているせいなのか、甘い香りが鼻をくすぐるようにして、フワフワした気持ちにさせてくれる。
ここは天国なのか?
そんなわけはない。が、そんなことを思わせてくれるくらいにここは心地よかった。鮮やかに美しい色が目に入り、それが体の中に染み渡り、心の奥底に溜まった、何かを浄化してくれる。そんな感じだった。もしも本当に、天国というこの世の者ではなくなった者達が行き着くところがこんな場所ならば、行ってみたいと心惹かれるものがある。
これは夢なんだろう。なんとなくだが感覚でわかる。それにこんな美しい景色は、地球上には存在しないだろうからな。もしあったなら、世界一有名な観光地となって膨大な量の観光客のせいで大パニックになること間違いなしだろう。
しばらくの間、その景色に目を奪われていたが、もう一度辺りを見渡してみると、5メートル位離れた場所にこれまた美しい少女が現れた。
「君は、誰なんだ?」
何故だかわからないが、彼女の事が知りたくてしょうがない、そんな気持ちになり、気づくと声をかけていた。
少しの濁りのない、真っ白な長めのワンピースを身にまとい、フワフワした長い茶髪が印象的で、宝石のような綺麗な瞳が、心をふわつかせる。
なにかマドンナ『蒼井サクラ』を彷彿とさせる風貌をしてるが、こっちの方がだいぶ幼い。いや、まるで蒼井サクラが小学生くらいに幼くなった、というのが一番わかりやすい表現だろう。
謎の少女は、返事をするかわりに、にっこりと満面の笑顔を見せてくれた。『天使』の見本のようなその風貌に俺は、何故かはわからないが。
涙を流しそうになった。
―――……おぉ~い……しゅ~へ~い…
誰かが俺の名前を呼んでいる。嫌な響きのある、出来ることのならあと10年は聞きたくない声が、俺の名前を呼んでいる。
これは起きないでおいたほうが自分の身のためだろう。
「……しゅうへいっ!!起きろってばぁ!」
「…んんっ……うぉっっ!?」
どこからともなく聞こえてくるむさ苦しい声にしぶしぶ目を開けてみると、これまたむさ苦しい顔が10センチ近くの場所に……おえっ。
「おぉっ!やっと起きたかぁ」
はい、おかげ様で史上最悪な目覚めだよ。
せっかくの晴れ晴れとした爽快感が、松岡のむさ苦しさでどこか逃げていってしまった。ぼやけている目をごしごしと手の甲で軽くこする。
それにしても、変な夢だったな。いや、夢なんてものは変で当たり前なんだが、むしろ俺なんかは良く変な夢を見る方なんだが、違う。いつも見る夢とはなんだか次元が違うような気がした。それにあの女の子……。
まぁ、しょせんどんなに気にしたって夢は夢だ。なんの答えも出んさ。でも、こういう夢ならもう一度くらい見ても……―――悪くはないな。
「しゅ~へ~い……?」
あーわかったから離れろ。これから二度とその鬱陶しい顔を半径1メートル以上近づけるんじゃな……
「…って今、何時だっ!?何時間目だっ!?」
寝ぼけた体をあわてて立たせたため、貧血を起こしたのか少し眩暈がする。
「おいおい、そんなあわてるなってしゅうへぇ。まだそんな時間経ってないってぇ」
俺のあわてている姿を見て楽しかったのかどうかは知らんが、にやにやと笑いながら手を振る。
「え?あっそうなのか。良かった」
ふうっ。少し体を休めるつもりが、いつのまにか眠ってしまっていたらしい。でも、そんな時間が経っていなくて良かった。授業を遅刻したり、サボったりすると、担任のメタボリックの奴が燃えさかるようにキレだすからとてつもなく面倒くさいらしい(俺はこれでも遅刻は一回もしたことがない。ちなみに常習者は松岡)。それよりも先に自分の脂肪を燃やせ、と忠告したい。
俺が一安心しているその横で、松岡が頬を気持ち悪くも膨らせている。
「修平ったら俺のことを放ったらかしにしてグーグー寝ちまうんだから酷いよなぁ」
勝手についてきて、放ったらかしもなにもないだろうが。
うんと、軽く伸びをしてコリをほぐす。さすがに硬いベンチの上で寝れば肩もこる。
「……それにしても俺はどれくらい寝てたんだ?」
チャイムが鳴ってないところをみると、まだ昼休み中みたいだから10分、20分くらいか?そう聞くと、松岡は顎に手を当て考える素振りする。
「んーと、ざっと二時間くらい?」
そうかそうか二時間くらいって事は結構ガッツリ昼寝してたみたいだな。そりゃ肩もこるわ………ん?
「……っっっにっ二時間!?」
「おう、そんな感じ!」
にっこりとピースし、自信ありげに答えてくれる。
俺は即座にポケットに手を入れて、まだ真新しいスノーホワイトカラーの携帯を取り出す。待ち受け画面には我が家の愛猫の憎たらしい顔と、もう数分で15時を示さんとする時刻が表示されている。
「………」
やらかした。
完璧に遅刻だ。いやいや、ここまできたら2教科ともにサボったと言ったほうが正しい。ちくしょう。
そうじゃなくても、入学早々にちょくちょく体調を壊して欠席している俺にとって、1時間、1時間がどれほど貴重なものか……。
「んん?どうしたぁしゅうへ?」
がくんと、うなだれた俺の顔を覗き込むようにして聞いてくる。顔を近づけるなと言ってるだろうが。
「……松岡クンよ。どこがほんの少ししか寝てないと言うのだろうかな?6時間目終了時刻まであと10分もないと思うんだが」
そう聞くと思った通り不思議そうな調子で
「んん~?だって、たったの二時間なんて全然休めないだろぉ?俺なんか12時間以上は寝ないと気がすまないというか、癒されないというか…」
お前は一体、何時に寝てるんだ。寝てる間にポロポロと頭のネジが外れまくってるんじゃないか?部屋の掃除には大きな磁石を使ったほうが早そうだ。
「……そういえば、俺が寝てる間は何をやっていたんだ?」
「そりゃもう、踊り尽くしたさぁ!」
何故だ?とつっこみたかったが、別にどうでも良い。聞いたところで満足できるような返事は返ってこないのはわかりきった事だ。
それよりも問題なのは、松岡がなんだかわからない怪しげなダンスで踊り狂っているその横で俺は眠りにふけていたということになるか。……軽く死にたくなるな。
「……じゃあ、俺のことを起こそうとは思わなかったのか?」
「そりゃ最初は起こそうとしたさぁ!でも、今日はなんだか疲れていたっぽかったから、ぐっすり眠らせてあげようと思って静かにしてたのさぁ。んでもってそろそろ寒くなってきそうだから寝るんだったら保健室か、家に帰って寝たほうが良いぞって思ったから起こしたのさぁ!」
「そうか、お前でもこんな時に限ってそんな気遣いができるんだな。」
ありがとう。本気でぶん殴ってやりたいよ。