第五話『思考回路侵略』
なんだか食欲も失せて、あんまり味気の無いものに変わってしまったおにぎりをちびちびと口に運ぶ。
やはり、雲ひとつない気持ち良すぎるくらいの空の下で、何も浮かんでいない澄み切った水色の空を眺めようとすると、太陽が眩しすぎて目がくらむ。チカチカする目を閉じて軽く息をつく。
……ありゃ、一体なんだったんだろうな。
四時間目が始まった後もずっと頭の中で、あの光景が行き来してしまっていた。授業が終わった後、何の教科だったのかもわからなかったくらいに脳は機能を停止していたくらいだ。いや、ある意味フル活動していたんだろう。思い出したくも、考えたくも無かったのだが、寄生虫のようにしつこく脳にからみついてくるのだから処置の施しようが無い。
だってしょうがないだろう?あんな光景見て、すぐに忘れられるか?
中校の絶大の人気を誇るマドンナのいきなりの登場。
見間違いかもしれない、一瞬見えたまるで魔女のような邪悪な笑み。
時間が止まってしまったかのように動かなくなった生徒達。
驚きと困惑の表情の後に見せた、好戦的な目。
瞬きをする間に消えてしまった美少女。
それと同時に動き出した、何事も無かったように忘れてしまっている生徒達。
そして、何よりも謎なのは
「何故、俺だけが動けたんだ?」
そして、俺が動けていたことに「蒼井サクラ」は酷く驚いていた。こんなことはありえない、といった面持ちで。
どう自分に言い聞かせても、やはり夢とは思えないほどリアルだったあの出来事が頭に焼き付いて離れない。でも、こんなこと考えてもどうする?この事件の張本人と思われる彼女に聞きにいくか?
さっきの出来事は何だったんだ?あれは夢じゃないよな?現実のことなんだよな?それじゃあ、あれはアンタがやったのか?どうなんだ!……って聞くのか?
馬鹿馬鹿しい。そんなことを彼女に聞いたとして、やっぱりあれは全部、夢か幻想だったらどうする?
こんな狂ったような話しを聞かされて、先生に「おかしな人がつけまわして来るんです」とか告げ口されたら、すでに誰かさんのおかげで変人扱いされてる俺は、もうこの学校にはいられなくなるぞ。大体、「蒼井サクラ」に手を出した!みたいな世迷言が流れたらどうする?その瞬間、過激派の宗教団員に俺は撲殺されそうだ。考えるだけで恐ろしい。
まあ、大してこの人生に未練はないが、まだ死にたいと言った自殺願望的なものは持ち合わせてないんでね。さわらぬ美少女にたたりなしってヤツだ。
「うっほぉ~!いっただきまーす!」
この上ない幸せな顔をして、通常のメンチカツサンドよりも一枚多くメンチカツが入った、キャベツ多めの、通常のメンチカツサンドと何の変わり映えのしないグレートメンチカツスペシャルに食らいつく。
噛むのも待てないくらいなのか、大きな口でニ、三回噛むとすぐに飲み込んでしまった。
「ん~……ゴクン。くぅぅ~やっぱりこれだなぁっ!」
仕事帰りの一杯かのような口調で歓喜の声をあげる。カバにも勝てる大きく開いた口で、また二口目、三口目と食らいついていく。見ていて爽快なくらいに豪勢な食いっぷりで、俺の心は幾分かすぅーっと晴れていくようだ……ってのはなんてことのない冗談だ。
「……モグモグ、なぁ……ムシャムシャ……どうしたんだよ……モグ」
「口のモノをちゃんと歯と歯で分解して胃の中に放り込んでから喋ってくれ」
親指で口を指して言うと、気づいた様子で顎を激しく動かし始める。数秒で飲み込んで一息つくと、改めて俺に向き直って、
「なぁっ!なんかあったのかぁ?さっきから難しい顔しすぎだぞ修平ぃ」
真剣な表情のようなものを見せて聞いてくる松岡。
悪いが、ソースまみれの顔で言われてもなんの説得力もないぞ。
最後の一口を口の中に投げ込み、一度も噛まないで飲み込む。
「……んぐ、ぷはぁ~。そんな顔されてちゃ、美味しいグレートメンチカツスペシャルも食べがいがなくなっちゃうだろおぅ?」
そう言いつつも、嬉しそうな顔で二つ目に手を出す。
それじゃあ一つ聞きたいが、俺の大切な癒しの場所にズカズカと上がりこんで来て、さらに、毎日のように心痛まされているのを唯一、免れる昼食の時間を邪魔するその元凶となる男はどこのどいつだ?
山を削り取って作った、我が中央榊高校はもちろんのこと山に囲まれている。一つしかない正門から、一番後方の位置に、台風が直撃すれば確実に全壊するであろう風貌の非常にこじんまりした古い体育館が外壁に沿うようにして立っている。
これまた年期を感じさせる、ヒビだらけのコンクリートの壁を越えれば、青々とした山の一端が目の前に広がるんだが、それだけじゃない。誰がこんな場所を作ったのか、何時作ったのかなんてことは知ったことではない、が俺にとっては最高な場所がそこにあった。
コケがかった大きめのベンチ。何があると言ってしまえばそれしかない、ちょっとした広場のような、ただ、それだけの場所だ。
だが、その秘密基地的な感覚が好きだった。
だいたい、このヒビだらけの外壁は、以外にも3m近くあるだろう高さであって、それを乗り越えるには、ちょっとやそっとじゃ登れそうも無い。それを俺は奇跡的に発見したトビラによってこの場所に来ることができたのだ。
体育館の舞台の方にある階段を下りて、薄暗い地下の通路の奥を行くと、一見行き止まりになっていて通れないんだが、良く目を凝らすと、机が山になってある後ろの方に、サビのせいか茶色に染まった小さな鉄製のトビラが隠れているのを見つけた、というわけだ。
どうして、俺がそんな薄暗い場所で見つけられたのか、何故に、そんな場所に居たのか……まぁ、それは置いとこう。説明するのがなんだか面倒だ。
え?いきなりなんだ?って?別にどうだって良いだろう。誰にだって人に話したくないプライベートのひとつや、ふたつある。もちろん俺もその一人だ。
俺は毎回、ここで昼食を食べてるというわけではないが、ふと思った時にこのコケベンチに座って、暖かい日差しを受けながら、美味しくご飯をいただいて、心身を癒していた。というのに……
「んん?なんだぁ?」
どこからかゴキブリのように沸き出てきたこの男に全てを壊された。あぁ、どんな事が起ころうと、こいつにだけは知られたくなかったのに……。
「おいおい、そんな目で見るなよぉ?俺にはそういう趣味は悪いけどないぞ?」
「何百万回生まれ変わったとしても、お前をそういう目で見る事は決してないだろう。思う存分安心してくれ」
まぁ、もう別にどうでもいい。
とにかく、この場所は本当に不思議な場所だ。ここで休んでいると不思議と思うくらいに気持ちがスーッと晴れていくのがわかる、悩みの全てが消えていくというわけでわないが、気分が優れていくのは確かだ。
体の疲れみたいな、毒素が抜けていくように……ってそりゃ言いすぎか。なんらかのリラクゼーション効果が出ているのは間違いないだろう。ひょっとしたら周りの木々が濃いマイナスイオンを発しているのかもな。
青々とした木々が風で気持ち良いくらいにざわめく。
これで、隣にいるのがむさ苦しいウマシカ男なんかじゃなくて、もう目にその姿が映るだけで頭がすっきりするような、マドンナ的美少女だったらそりゃもう……
っておい。
あぁ……本当に重症のようだ。俺の思考回路は蒼井サクラに汚染されてしまった。