第三話『世界崩壊の始まり』
通称、「101回目のプロポーズも失敗しそうな男」
「趣味は女漁りですが何か?」
「頭の8割は女のことで出来ています」などなど。
数え切れないくらいの通称を持つ男の名前は、言うまでもなくここまでくれば誰だかもうお分かりだろう。まず、何故にこんな視聴率右肩下がり予定のドラマのような通称がいくつもついてしまったのか。それを今、思い出したいと思う。本当はあんまり思い出したくないんだが、思いついてしまったんだからしょうがない。
そう、それは入学式の頃。
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淡いピンク色をしたソメイヨシノの花びらがヒラヒラと鮮やかに舞う中、見事に中央榊高校に入学した俺は、同じく松岡も入学できたことに酷く驚いていた。そこまで頭の良い学校ではないが、決して松岡が入れるくらいのラインではないと思っていたからだ。本人いわく、楽勝だったと豪語していたがな。
ほどなくしてクラスの割り当て表を配られ、松岡と一緒のクラスになったことを知った。松岡の野郎は本当に嬉しそうに「お前と一緒になれてよかった!これも「俺たち」の日頃の行いが良いからだよな!」と、複数形になっているのをつっこもうとしたが、止めておいた。
俺も一緒になれて、恥ずかしながらもすこぶる嬉しかったからである。
……と一瞬でも思った俺は、どこぞの未来から来たどう見ようとしても見えない、全身を青と白でコーディネートされた某ネコ型ロボットに、困難の壁が現れるとすぐに助けを求める某いじめられっこ少年のように愚かしかったんだ。
俺たち二人は「1-1」と書かれたネームプレートが入り口に貼られた教室に入る。まずは順当に担任の自己紹介から始まった。「君たちの担任を受け持つことになった斉藤だ」と名乗り、フルネームを黒板に殴り書きする。教科は国語を受け持っていること、部活は文芸部の顧問をしていること、本は何よりも人間の歴史の一部であり、本なくして人間は成長しない、など無駄に熱いうんちくと、部への誘い文句を散々言った後、昔はもっと痩せていてアイドル歌手のようにカッコよかったんだぞ。と無駄なことを口走り、それを教室にいる全ての生徒が信じなかったことだろうことは皆にきくまでもない。
そんなこんなで、どこの学校にでもありふれていそうなプロフィールを言い終わった後に始まるのは、これもどこの学校にでもありそうな生徒達の簡潔的な自己紹介だった。「それじゃあ、窓側の席から」と、斉藤の声から始まり、教室の左端の生徒から順番に席を立ち、緊張しているのか、それでもやけにぎこちなくだが口を開いていった。
氏名、出身中学それプラスetc(趣味や好きな食べ物とかそんなところだ)という風に、ウケを狙う事を織り交ぜつつもしょっぱなからクラスの人気者になろうなどと企てようとする奴は存在せず、このクラスはあんまり賑やかなものにはならないだろうな、と俺は勝手に解釈した。
そういえば、と自分の席を中心とするようにぐるっと生徒達の顔を見渡してみるが、思った通りに真面目な顔振りをした男女ばかりだった。暴言を吐いて先生にたてつくような不良らしき生徒と思われる風貌をした人間は、この空間にいないとわかったところで俺はひとつ、ほーっと息をついた。これで面倒なことに巻き込まれるようなことの一つは回避されたわけだ。
順番にぐるりと俺の番も回ってきたのでなんの気負いもせずと言った風に立ってみせる。それまでに必死こいて考えていた簡潔的文章を機械的に吐き出して、ゆっくりと椅子に座り、胸を撫で下ろす。何度も言ってきたような簡単な自己紹介も皆の視線からにじみでるプレッシャーの前ではこうなるのもしょうがないことだろう。
そういや、初めに言っておくのを忘れていたが、初日は仮席として自由に座って良いことになっていたので、適当に真ん中辺りの席を俺は選んで座っていた。もちろん後ろの席には松岡が。
ということは順番にいけば俺の次は松岡だったので。そしてなんとなく嫌な予感がしたので。後ろを振り返りあまり変な言葉を発して周囲の注目の的にはなるんじゃないぞ、と微笑ましくも注意してやろうと思った、のもつかの間。
早くも松岡の常識を超越した馬鹿が発動していた。
俺が後ろを振り向いたと同時に、ガタッ、と大きく音をたて勢いよく立ち上がっていた。なにやらやけに真剣な表情で口を開き、大きな声でこう言い放った。
「俺、松岡 圭吾っ!出身中学は榊西中ですっ。女子のみんな!今、俺は奇跡的にフリーだから!俺に告白したい人はちゃあんと順番を守って並んでくれよぉ?ちゃんと選んであげるからさ!あっ、サインはお断りだぜ!どうしてもほしいって言うんなら考えてやらないこともないけどさぁっ!」
白い歯をキランと見せて青春真っ盛り的な笑顔でニッコリ笑い、なんの恥ずかしいといった素振りも見せずに親指をびしっと立たせる。
たはー。やっちまったよこいつ。
その瞬間、宇宙空間を思わせる沈黙が、この1-1の教室を包んでいったのは……。
当たり前の結果だろう。みんなの痛いくらいの冷たい視線が中心へと集まる。
やばい、やばい。急いで後ろに振り向かせていた体を黒板の方へと向ける。他人のフリ、他人のフリでこの場をやりすごすんだ。そして、そこの太った先生に速攻相談して他のクラスに移動させてもらい、こいつと離れさせてもらわなければ。松岡君と一緒のクラスにいると、アレルギー症状がそこはかとなく出るんです!みたいな事を言って。いっそ、違う高校に編入したいと職員室に駆け込むか?この馬鹿と友達だと知れたらそれだけで俺の高校生活は死神にとりつかれたような暗黒ライフへと早変わりするに違いない。
「………ん?なんだこの空気?俺がなんか間違ったこと言ったみたいになってるじゃんかぁ、なっ修平」
俺の肩をポンと軽く叩く。あたり前に無視を決め込む俺の額には冷たい汗がつつーっと一滴。
そうだよ。松岡のくせによくわかってるじゃないか。よくできましたのハンコを誰もいないところで押してやるから、だから俺に触れるな、話しかけるな。……たのむから。
「………くくっ、あっはっはっはぁっ!」
長かった沈黙も担任の馬鹿でかい笑い声によってどこかへ飛んでいった。それにつられるようにみんなもリミッターを開放したカエルのようにげらげらと笑い出した。腹を抱えて笑う奴もいれば、涙を流しながら笑う奴もいる。
そんな中、当の本人はというと、
「おっ、なになに?そんな俺のことがみんな好きなのかぁ?もう、困っちゃうなぁ」
人気者気分を味わっていた。どう考えればそんなポジティブ馬鹿になれるのか、お前の爪のアカを煎じて飲みたいもんだ。一瞬で吐くけどな。
「………っはっはっは、くくくっ全く笑わせてくれるなぁ。もっもう座っていいぞ松岡」
「はい」っと何かをやり遂げたかのような満足気な声を出して椅子に座る松岡を、チラッと見てみたが。それはそれはもう満足気な顔でしたよ。
まだ笑いが止まらないのか、それとも拾い食いでもして当たったのか、メタボリック腹を押さえながらも喋りだす。
「くっくっく、それにしても1-1クラスに思わぬお笑いコンビが誕生したもんだな。楽しくなりそうで良かった良かった。それじゃ、次」
少しはこのクラスも面白くなりそうですね……っておいメタボリック。今、お前の口から聞き捨てならない言葉が発せられたように感じたのは俺の聴覚の衰えからなる聞き間違いなのか。それとも口が滑ったなどと科学上ではありえないような動きのことなのか?コンビってなんだ?まさか、俺もその中に入ってるんじゃないだろうな?どうなんだ!もし、そんなことがあったら名誉棄損でお前を訴えてやるからなあああぁぁぁーーー………。
そんな俺の心の叫びも無駄に終わってから三日経ったが、やはり、というか当たり前なんだが。松岡の前に現れる女生徒はいなかった。そこで終わりにしておけば、ああちょっとおつむが緩い方なのかな?で済まされたものを、あいつはそれをどう感じとったのか、
「ん~みんな恥ずかしがって告白できないのかな?ならしょーがない、俺の方から言ってあげよっと」
何をどう考えれば、ならしょーがないに繋がる?
自己中心的ポジティブシンキング発言をしてからというものの、毎日のように他のクラスに出向いては、「俺の事好きなんだよね?」「そこまで言うんなら付き合ってあげようか?」などとほざき歩き続け、二週間後。
そりゃまあ、当然のごとく噂は学年中に広まりを見せて松岡の名前を知らない奴などいなくなり、女生徒たちは全く口を聞いてくれなくなったのである。それをきっかけに色々な呼称がついた。それがどんなものか……は冒頭で言ったようなものだ。
まあ、天才的馬鹿野郎がどんな侮辱なニックネームで呼ばれようが、女子達が半径5m以内に近づこうとしなかろうが、先輩男子に因縁つけられようが俺にとっちゃ別に呼吸動作をするのと同じくらいにどうでも良いことの一つと言ったらそうである。
だが、だ。
断じて許せないのはあいつの相方として俺ともほとんどの女子が口を聞いてくれないという、卵型のチョコレートの中に入っているくだらんフィギアよりもいらんオマケまでついてきやがった。何故に俺まで?why?ワイ?ワァァァイッ!?
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といった風な痛いことが2ヶ月前に発生していたわけだ。
察してくれたかもしれないが、松岡は神的にある意味では人気者だ。いまでも現在進行的に女子には冷気を思わせる明らかな軽蔑の冷たい視線が。男子にはまるで大学受験に落ちて狂気の沙汰に陥ってしまった落第者をあざ笑うかのごとくな目で見られるようになった。もちろんメタボリック星人のせいで強制的になってしまった、出身校が一緒だということだけでほとんど無関係な相方にも七割ほど注がれているのは、俺の勘違いであろうことを願わんばかりだ。
さて、なんだかさっきから俺は松岡のことしか考えていないんじゃないか?
危ない危ない。
そんなアメリカに留学してしまった遠距離恋愛中の彼氏を思う一途な女の子じゃないんだから、って止めてくれ!さしずめ俺はあいつの可愛い彼女ってか?とんでもない。考えるだけであの世に昇天しちまいそうだ。
脳内クリーナーで必死に洗浄していると、今一番聞きたくない声ナンバーワンの男が死にそうな声を出しながら近づいてくる。
「しゅーへぇ~……腹減って死にそうだぁぁぁ……」
だから、なんだ?
今、俺は思い出し苛立ちの真っ最中で心情穏やかじゃないぞ。この野郎一人で能天気なことを言いやがって、全くもって忌々しい。
「だからぁ、売店で今のうちにたんまり買ってこうぜぇぇ」
いまにも砕けそうにふらふらした動きをして、まるで死人を連想させてくれる生気のない顔で訴えてくる。
実はと言うとこいつは、毎日のように死にそうになっているから笑えない。そんなにまでなるのなら登校時にコンビニにでも寄ってパンでも買ってくればいいんだ。そしたら中休みにでもなんでも食らいつき少しでも腹の足しに出来るだろう、と思うのは毎回のことで。何度となく忠告してやったが、それを何のこだわりだか知らないが「高校生たるもの、売店や食堂で昼飯を済ますのが決定事項なのさぁ!」だとかなんとか言いやがって、俺はもうあきらめた。
「なぁぁ、いいだろぉぉぉぉ~……」
「わかった、わかったからひっつくじゃない!」
腕にまとわりついてきたゾンビを必死にはらいのけ、教室を出る。途端に元気にぴょんぴょん跳ねだすこいつは、一発殴って静かにさせておくべきなのか?
頼むからこれ以上目立つことはしないでくれ。俺と一緒に行動している時は特に、だ。これ以上俺の高校生活三年間に支障がきたるというものなら、いち早く編入手続きを済ませなければいけないこと必死である。
一方松岡の方はそんなことは知るかあ、と漏らすようにへたくそな口笛をぴゅーぴゅーと吹かせていた。
今は、三時間目が終わって中休みに入ったところだった。
昼休みに入ってからでは、すぐに食堂は満員混雑となり立ち往生。売店の方はというとこちらもサンドイッチやらおにぎりやらを求めて長蛇の列が出来てものの見事の数分で完売。という何度も失敗した経験から、先に買ってしまおう的なことを考えつくのは普通の人間なら当たり前に辿りつく答えだろう。何が言いたいかというとだ、同じようなことを考える奴もそりゃいるわけだ。
長蛇の列ってほどではないが、売店の前には十数人近く並んでいた。
「なぁっ!?もう、こんなに行列がぁぁ~……おっ俺のグレートメンチカツスペシャルが危ないさぁ!」
ただのメンチカツサンドに呼称をつけるな。
素早く、その小規模な列に男一人が加わる。そしてゆっくりともう一人、ため息をつきながら俺も加わる。
その途端に、なにやら痛い視線が飛んできているような気配が……。わかりきってはいるが松岡に対する軽蔑の視線だ。俺にもじゃないぞ?決してそんなことはない、と信じたい。
学校内では毎日のように一緒にいて(クラスが一緒なんだからしょうがない)存分に逆人気者気分を嫌というほど味わって、少しは慣れてきたが、やっぱり心痛いもんだ。冷たい視線はやがてヒソヒソ話に変わっていった。
ふん、臆病者め。そんなに、言いたいことがあるのなら目の前で口に出して言えばいいじゃないか!全て、松岡に向けてってのが条件だがな。
心の中で愚痴っている俺の横で松岡が顔を真っ赤にして騒ぎ出す。
「おいっ!おいおい、やばいってぇ」
何がだ?百文字以内で簡潔にたのむぞ。
「あれ、見てくれよぉ!」
人差し指をふるふると震わせながら指す方を見てみる。
ほう、こりゃまた驚いたな。
俺たちが歩いてきた廊下の方から、美少女がゆっくりと優雅に歩いてくるじゃないか。その三歩程度後ろには俺の横にいる馬鹿とは比べることが罪になりそうなくらいのハンサムな男が付き従えるように一緒に歩いてくる。本当にかわいそうなことに松岡からド勘違いされてる、噂の「蒼井 サクラ」だ。
前に並んでいた十数人の男女も気づいたのか、つられるようにざわざわ騒ぎ出す。全くもってうるさい。
「なっ、なんでこんなところにぃ?」
アメリカ人のオーマイガッ!?みたいなリアクションをとって頭を抱えている松岡に、
「ちょうどよかったじゃないか?今、告白の返事をしてきたらどうだ?」
と皮肉たっぷりの笑顔で言ったのにもかかわらず、
「ばっばか言うなよぃ!そういうのはシチュエーションってのが大切なんだよ」
やっぱり馬の耳に念仏らしい。
しかも、何処かれ誰かれ構わずに告白しまくったお前の頭にシチュエーションという言葉が存在していたことに俺はびっくりだ。まあ、それはどうでもいいとして。何故に今、この空間に「蒼井 サクラ」が存在しているんだ?
三階の端の方に位置する場所にある少しだだっ広い部屋が、俺たちが立っている4~5人のおばちゃん達がせっせと働く売店がある場所だ。普通に昼食に買いに来たことの何がおかしいかって?風に乗って俺の耳に届いた謎の噂によれば、
「確かあいつは昼食を摂らないんじゃないかったか?」
もちろんこんなへんちくりんな噂を信じているわけじゃないが一応、右のファンクラブ創設者に真相を聞く。
「おっおう。そのはずなんだけどなぁ。決して他人には食事を摂るところを見られてはいけないっていう厳しい家訓に逆らうことになるから、とか」
とか?
「蒼井家専属の世界一腕利きなコックが作った高級なフランス料理のフルコース以外はのどを通らないからとか、毒見をする蒼井家スペシャルボディーガードマンが側にいないからとか、実は彼女は雲よりももっと高いところに存在する艶やかなまでに美しい女神様の分身なのではないかとか……」
はー、つまりは誰もその真相を知らないわけだ。
まあ、どうせ実際のところ、自慢の抜群のスタイルをキープするために昼食を抜いている。そんなどこにでもいそうな女子高生の定番な理由だろう。そんでもって今日はただ単に腹の虫を抑えることが出来なくなって、ついつい買いに来てしまったっていうだけの話だ。それを勝手に神話にしている馬鹿野郎はどこのどいつだ?永遠に出てきそうな噂をぶつぶつと言っているこいつが犯人だと俺は踏んでるがね。
でまあ、そんなことはさらにどうでも良いんだ。俺は視線を前方に向けたまま視線を落とさない。いや、落とせないでいた。
20m、15m、10m、どんどんとゆっくり近づいてくるにつれさらにはっきりとしてくる。
改めて、びっくりするぐらいにほんっとに美少女だな。
ふわふわとした自然な茶系の色に染まった髪は腰に届くくらいに長く、そしてぱっちりとした宝石を思わせるような艶やかな輝きを秘めた瞳が二つ。整った顔の美しさとは比例していない小柄で華奢な体つきが、またギャップがあってそそられる。
ファンクラブなんぞに入っている奴らなんて、松岡みたいな馬鹿の集まりだと思っていたが、わからんでもない。今にも心が奪われそうだ……いや、負けるな俺。
棒立ちになって目をハートマークにしている、変態馬鹿が気づかせてくれる。嫌でもコレにはなりたくないんでな。
そんなことを考えている間にも美少女は近づいてくる。にこやかな表情で俺の方に近づいている。いや、正確には昼食を買うためにこの列に並ぶためにだが。
なんとなく視線を感じて後ろを振り向いてみると、なんと俺の隣に棒立ちになっている松岡同様、男子諸君の目はハートマークに変わっているじゃないか。そして女子諸君はスーパーアイドルを見るような憧れの眼差しで爛々とした輝きを見せている。
男女かかわらず宗教団体的なファンクラブが存在するらしいことがわかる。「サクラ様~!」と黄色い声が飛び交うくらいだ。それに応えるようにニッコリと天使のような笑顔を見せる。まさに売れっ子アイドルだな。
大げさだろ、たかだか女子高生だぜ?とか小さく皮肉をつぶやいてみせるが、かくいう俺も見惚れてしまっているのを隠せない。まぶたを閉じるのも惜しいくらいに凝視してしまっているからな。いやあ、全く情けない。
3m、2m、目と鼻の先くらい近くになるまで見てたらそりゃ、目も合うよな。その通り。色素が薄いためか茶色く、宝石のような両目で俺の顔を見つめてくる。たぶん。そのまま、花のつぼみを思わせる小さな唇が開く。そんな唇から零れるように出てきた声はやはり、 「ごきげんよう、みなさん」 美しいソプラノが耳の中に響き渡る。またもや響く黄色い声援に、もう一度崇拝者達に可愛くニッコリと笑顔を見せてくれる……ってあれ?今、少し邪悪な笑みに見えた気が……
その瞬間だった。
ビリリッと痛くないくらいの静電気のようなモノが頭からつま先まで駆け巡った。
なんだ、今のは?アイドル特有のオーラから発せられるシロモノか?
考える間もなく俺の横を蒼井サクラが通り過ぎる。なんとも言えない芳しい香りを残して。もうどうでもよくなった俺はゆっくりと歩く彼女を何も言わずにゆっくりと視線を追わせる。
……っておいおい、普通に順番無視かよ。まあ、順番無視なんかであんたを咎めるやつなんてここにはいやしないだろう、それに喜んで「ぜひとも割り込んでください!」とか言い出すだろう、こいつらは。
ついつい触りたくようなふわふわの長髪を揺らしながらゆっくりと歩く後ろ姿に何も言えない俺も、俺なんだけどな。
美味しそうなおにぎりやサンドイッチが並ぶガラス張りの棚の前に立ち、どれにしようかと首を傾げている。
いやはや、悩んでる姿も可愛いじゃないっすか。とか俗なことを思いつつ、俺はやっとこさ奇怪な現象が起きていることに気づいた。
……―――音が聞こえない?
さっきまであれだけ騒がしかった女子の奇声とも言えるものが全く消えていた。それだけじゃなく何の音も俺の耳には入ってこない。
背中に冷たいモノが走り抜ける。
恐ろしい光景が目の前に広がっていた。ロウ人形のように固まっているんだ。ついさっきまで美少女が歩いてきた廊下の方を向いて、十数人の生徒たちみんなが。
大口を開けて手を振ろうとし固まっている奴もいれば、飛び跳ねながらそのまま空中で微動だにもしない奴もいる。冷たい汗が頬から顎へ伝わる。
どうなってるんだ?まるでこれじゃあ………時間が止まってるみたいじゃないか。
頭が暴走したようにフル回転を始める。
いやいや、待て待て。冷静になるんだ修平!そんなことがこの世界で起こり得るわけないんだ。時間が止まるなんてことはアニメの中やゲームの世界で充分だ。ここは地球だ。ましてや、ここは銀河の果てにある人類未踏の星なんかじゃない。時間が止まるなんてことは絶対にありえないんだ。でも、それじゃあこの有様はどう説明すりゃ良いんだ?ふと、気づいたように隣に目をやる。やはり、馬鹿松岡が馬鹿の顔をしたまま棒立ちに固まっているだけだった。
ひと昔前のパソコンくらいに回転が遅い俺の頭はパンク寸前、爆発5秒前にまで到達していた。
どうして俺以外のみんな固まっちまったんだ?携帯電話みたいに充電が切れて動けないとかか?そんなロボットじゃあるまいし、いや、それかこれは夢なのか。ある意味それが一番真実味があるような……ん?ちょっと待て。何かがおかしい。
当然俺の視線は、芳しい香りを残した後ろ姿に向けられる。
……―――俺だけじゃない。
そう、何事も起きていないよう自然に歩き回っている美少女はまぎれもない中校のマドンナ。
「蒼井 サクラ」だった。




