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東の廓は、抜けましたか

作者: 時司 龍
掲載日:2026/03/11

 2024年12月24日。夜7時半頃の話。


 週末から冬型の気圧配置が強まり、北日本や北陸では昨夜から雪が断続的に降り続いていた。金沢でも、一晩で三十センチ以上積もったらしい。ニュースを見たとき、僕はため息をついた。

 車で会社に行けば、どこかでスタックするかもしれない。

 

 歩こう。しょうがない。自宅から会社まで、一時間半。

 長靴に防寒着、手袋、毛糸の帽子。胸には懐中電灯。一応の傘と、背中にはリュック。完全装備で、僕は朝の雪道を歩いた。会社に着いた時には、もうひと仕事終えたような疲労だった。


 帰りはさらにきつかった。

 雪は昼の間も止まず、歩道の雪は膝下まで積もっていた。


 東山の交差点に着いた頃には、足が重くて仕方なかった。

 東山の通りは、観光写真によく使われる場所だ。木の格子の町家が並び、普段なら観光客が肩をぶつけながら歩いている。


 でもその夜は違った。

 誰もいない。

 店の灯りも、表札の明かりも、街灯も、ぽつり、ぽつりと点いているだけ。雪だけが静かに降っていた。


 その時だった。

 通りの先に、人影が見えた。

 よくあるレンタル着物を着た、大学生くらいの女の子。

 ただ、様子がおかしい。

 少し歩いては、戻る。また歩いて、止まる。

 何かを探しているようだった。

 僕は少し近づいた。

 周りには誰もいない。


「何か落としたんけ?」


 自分でも、中年の自覚はある。不審者に見えない言い方くらいは心得ている。

 女の子は、困った顔でこちらを見た。

 雪は膝下まで積もっている。


「こんな雪じゃ、見つからんし。どうしても大事なもんなら、明るくなってから探しに来まっし」

 僕は言った。

「寒くなってきたし」


 女の子は、首を小さく振った。

 探しものじゃないらしい。


 迷子か。

「バス停までついてったげようか?」


 正直に言えば、ちょっと面倒だった。バス停は僕の帰り道とは逆方向だ。バス停の前には交番があるから、そこまで連れていけば安心だけど。

 女の子は僕の顔を見て言った。


「・・・どちらへ行かれるんですか」

「東の茶屋街抜けて、天神橋まで」


 僕は答える。


「僕はその先まで行くけど、天神橋まで行けば、大通り出るし。そこから曲がってまっすぐ行けば、城とか兼六園の方やね」

「お願いします」


 女の子は、少しだけ安心した顔をした。

 僕たちは並んで歩き出した。

 雪は静かに降り続いていた。

 僕の長靴はぎゅっぎゅっと音を立てる。


「一人で来たの?」

 女の子は曖昧に頷いた。

 まあ、警戒するわな。

 僕はなるべく普通の観光話をした。

「どこ回ってきたっけ? 雪積もっとるし、遠くは行けんかったやろうけど」

「近江町市場とか行った?」


 女の子は小さく頷く。


「美味しいもん食べれた?」

 少し間があって、

「・・・はい」

「今の時期なら金沢おでんやね。クルマ麩に、蟹とかも美味しいし」

 僕は続けた。

「酒吞むなら『こんか鰯』もおすすめやけど。好き嫌いは分かれるわ。糠つけたまんま焼いて食べると、酒のつまみにいいげんぞ」

 女の子は、小さく笑った気がした。


 やがて、天神橋の袂に着いた。


 その時、女の子が言った。


「東の廓は、抜けましたか?」


 廓?まあ、昔は茶屋街だった場所だ。


「ほやね」


 そう答えると、女の子は少し驚いた顔をした。


「今は、出られるんですね」

「え?」


 僕が聞き返すと、女の子は首を振った。


「いえ・・・」

 女の子は、ぽつりと言う。


 少し歩いて橋を渡る。

「どこに行くがんけ?」

 僕が聞くと、女の子は言った。

「お城へ」

「ほんなら、この道曲がってまっすぐ行けば大通りや。そこ曲がらんと、まだまっすぐ行ったら大手門」

 僕は説明した。

「兼六園行きたいなら・・・」


「それで大丈夫です」

 女の子は言った。

「ありがとうございました」

 ゆっくりお辞儀をする。


「大丈夫け? 宿泊先ついたら、あったかいもんでも食べて、温くして寝まっし。体、冷えとるやろ」

 女の子はもう一度、深く頭を下げた。


 僕たちは橋を渡り切った所で別れた。

 自宅はまだ先だ。

 数歩歩いたとき、僕は足を止めた。


 ・・・やっぱり。大通りまで送るべきだったかもしれない。

 こんな雪の日だ。道を聞くにも人もいない。さっきから車も走っていない。


 僕は振り返った。

 女の子が歩いていった道を見る。


 ・・・いない?


 僕は慌てて戻った。

 一本道だ。

 曲がり角もない。幾ら曲がりまっすぐの道で、暗いとはいえ、まだ見えているはずだ。いない。


 懐中電灯で照らす。

 それでも。

 いない。


 雪の上にも、足跡がない。

 その時、気づいた。


 あの女の子。

 着物。薄くなかったか? レンタルとはいえ、この雪の中で、あんなに薄い着物。それによく思い出せば、帯の結びが何か違った気がする。

 傘も持っていなかった。


 雪は、ずっと降っていた。

 その時、橋の袂の雪の上に、赤い紐のついた小さな鈴が落ちているのに気づいた。

 さっきまで、あんなものはなかったはずだった。


 ・・・僕は。

 何と歩いてきたんだろう。

 東の廓から。

 僕は。

 何を出してしまったんだろう。その事を今でも時々考える。

読んでくださってありがとうございます(*_ _)

ポイントを入れてもらえると、嬉しいです。

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