第42話 怒りの理由
返書は、まだ机の上にある。
結論は、ほぼ出ている。
それでも、レティシアの胸は静まらなかった。
昨日の会話が、何度も反芻される。
――寂しい。
――困る。
――それでも引き止めない。
「……どうして」
思わず、声が漏れる。
理解はできる。
尊重されていることも分かる。
だが。
感情は、理屈だけでは収まらない。
*
午前。
カイルが最後の確認のために訪れる。
「お返事は、今日ですね」
「ええ」
レティシアは、静かに頷く。
「もし断られても、敬意は変わりません」
穏やかな笑み。
「あなたは、どこにいても価値がある人だ」
その言葉は、誠実だ。
けれど。
胸の奥で、違う感情が渦巻く。
“どこにいてもいい”。
それは正しい。
だが、今は。
“ここにいてほしい”と言われたかった。
*
カイルが去った後。
レティシアは、まっすぐ執務室へ向かった。
ノックもせずに扉を開ける。
「……殿下」
珍しく、声が硬い。
アレクシスは顔を上げる。
「どうした」
「なぜ」
言葉が、ほとんど衝動で出る。
「なぜ、引き止めないのですか」
空気が張りつめる。
怒っている。
自分でも驚くほど、はっきりと。
「私は、あなたの隣を選びたいと言いました」
声が震える。
「それなのに、どうして最後まで突き放すのですか」
理屈ではない。
感情だ。
アレクシスは、しばらく沈黙した。
逃げない。
視線を逸らさない。
「突き放しているつもりはない」
「でも、手を伸ばさない」
その一言が、部屋に落ちる。
彼は、ゆっくりと立ち上がった。
「伸ばせば」
低い声。
「君は残る」
「……ええ」
即答だった。
迷いはない。
だからこそ、彼は続ける。
「それが嫌だ」
レティシアの息が止まる。
「君が、私の一言で未来を変えることが」
抑えていた感情が、はっきりと滲む。
「私は、君を選びたい」
初めての言葉だった。
「だが、君に選ばれたい」
空気が震える。
それは、支配ではない。
対等を求める告白だった。
*
「……私は」
レティシアの目に、涙が浮かぶ。
「もう、誰かの一言で動く人間ではありません」
強く、はっきりと。
「あなたが伸ばさなくても、
私は残ります」
一歩、近づく。
「でも」
震える声。
「一度くらい、
わがままを言ってほしかった」
沈黙。
アレクシスの瞳が、わずかに揺れる。
そして。
ほんのわずかに、距離が縮まる。
「……残ってほしい」
静かに。
だが、確かな声で。
「私の隣に」
その瞬間。
胸を締めつけていた怒りが、溶ける。
レティシアは、涙を拭いながら笑った。
「それだけで、十分です」
彼は、ようやく手を伸ばす。
触れはしない。
だが、指先がすぐ届く距離。
「答えは」
低く問う。
レティシアは、迷わない。
「断ります」
隣国への招聘を。
未来の“高い場所”を。
「私は」
視線をまっすぐに向ける。
「あなたの隣で、
あなたと並んで立ちたい」
それは、依存ではない。
共に立つという選択。
怒りは、感情の裏返しだった。
引き止めてほしかったのではない。
“欲してほしかった”。
そして今。
互いの本音が、ようやく交わった。
あと一歩。
関係は、確実に次の形へ進もうとしている。
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