第36話 距離を測る
選んだはずだった。
ここにいる、と。
自分の意思で。
それなのに――。
翌朝、レティシアはわずかに早い時間に執務室へ入った。
まだ誰もいない。
窓から差し込む光だけが、静かに机を照らしている。
「……少し、整理しましょう」
誰に聞かせるでもなく呟く。
ここ数日、自分の感情の動きが速すぎる。
守られ、優先され、選ばれ。
そして、自分も選んだ。
それは間違いではない。
だが――。
「私は、依存していないかしら」
ぽつりと落ちた言葉に、部屋がやけに広く感じられる。
*
午前の打ち合わせ。
ロイドが説明を終えると、レティシアは簡潔にまとめる。
「この部分は、殿下に直接確認を。
私は詳細までは関与しません」
ロイドが一瞬だけ目を細める。
「……珍しいですね」
「全体だけ見ます」
淡々と答える。
自分の関与を、意識的に一段引いた。
できることは、まだある。
だが、やらない。
距離を測るために。
*
廊下でアレクシスとすれ違う。
「今朝は早いな」
「ええ。少し整理を」
短いやり取り。
視線が合う。
以前なら、そこで自然に会話が続いていた。
今日は、レティシアが先に視線を逸らした。
「午後の案件は、ロイドに任せます」
「……そうか」
それだけ。
追わない。
理由も聞かない。
その態度が、逆に胸をざわつかせる。
*
午後。
中庭のベンチに一人座る。
風が心地いい。
ここに来たばかりの頃、
この場所は“避難所”だった。
今は――。
「居場所、なのよね」
だからこそ、怖い。
ここがなくなったら?
彼がいなくなったら?
そう考えただけで、
胸がひどく締めつけられる。
依存。
その言葉が頭をよぎる。
「……違う」
小さく否定する。
依存なら、相手を縛ろうとするはずだ。
引き止めてほしいと願うはずだ。
けれど彼は、引き止めなかった。
自分も、縛られたくはない。
それでも――。
「離れるのは、嫌」
はっきりとした感情だった。
*
夕方、エマが静かに近づく。
「本日は、少しお疲れのように見えます」
「……そう?」
「ええ。仕事量は減っているのに」
レティシアは苦笑する。
「仕事の問題ではないの」
「感情ですか」
即答だった。
レティシアは、驚いて顔を上げる。
「……分かりますか」
「最近、殿下と目を合わせる回数が減っています」
観察が鋭すぎる。
否定できなかった。
「少し、距離を取っています」
「なぜ」
「確かめたいから」
自分の気持ちを。
守られているから残りたいのか。
それとも――。
エマは、少しだけ微笑む。
「距離を取って、苦しいなら」
静かに言う。
「それが答えではありませんか」
胸が、どくんと鳴る。
*
夜。
廊下の角で、アレクシスと再び向き合う。
「今日は、あまり近づかないな」
穏やかな声。
責めても、探ってもいない。
「……少し、考えています」
「そうか」
それだけで、引く。
その背中を見送った瞬間。
胸の奥が、強く痛んだ。
距離を取ったのは、自分だ。
なのに。
「……近づいてほしいなんて」
勝手すぎる。
だが、感情は理屈ではない。
距離を測ろうとした一日で、
はっきりしたことがある。
離れる想像はできる。
だが、離れたいとは思わない。
距離を取るほど、
彼の存在が輪郭を持つ。
静かに。
確実に。
レティシアの感情は、
次の段階へと進み始めていた。
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