第30話 ここにいる理由
その日は、特別な予定のない朝だった。
急ぎの報告も、緊急の会議もない。
館の中は、いつも通り静かで、整っている。
レティシアは、執務机の前に座りながら、
ふと手を止めた。
――最近、
「なぜここにいるのか」を
考えなくなっている。
それに気づいて、
自分でも少し驚いた。
*
午前中、ロイドとの軽い確認が終わる。
「以上です」
「……これで、終わり?」
「はい」
ロイドは、いつも通り淡々としている。
「午後は、特にやることはありません」
「……そう」
返事をしながら、
胸の奥がざわつかないことに気づく。
以前なら、
“仕事がない”こと自体が不安だった。
何かを探さなければ。
役に立たなければ。
証明しなければ。
今は、違う。
*
昼過ぎ、中庭でアレクシスとすれ違う。
「今日は、静かだな」
「ええ」
それだけの会話。
だが、
その距離感が、自然だった。
「……殿下」
レティシアは、思い切って口を開く。
「もし、
私が何もできなくなったら……」
言葉が、少し詰まる。
「それでも、
ここにいていいのでしょうか」
アレクシスは、足を止めた。
少しだけ考えるような沈黙。
そして。
「できなくなる、という仮定が分からない」
静かに言う。
「だが」
一拍置いて続ける。
「仮に、
君が何もしなくなったとしても」
視線を逸らさずに言った。
「ここにいる理由は、
なくならない」
それは、
慰めでも、約束でもない。
事実を述べるような声だった。
レティシアは、胸の奥がじん、と温かくなるのを感じる。
*
夕方。
一人で執務室に戻り、椅子に座る。
机の上には、何もない。
それでも、
ここにいていいと、
誰もが前提として扱っている。
「……私は」
小さく、呟く。
「必要だから、ここにいるんじゃない」
言葉が、自然に続いた。
「ここにいていいと言われたから、
ここにいるんだ」
胸の奥で、
何かが、すとんと落ちる。
役に立つから価値がある。
それは、過去の自分の世界だ。
今は。
選ばれているから、ここにいる。
それだけで、
十分なのだと。
*
夜。
エマが、静かにお茶を置く。
「今日は、穏やかな一日でしたね」
「……ええ」
レティシアは、微笑んだ。
「良い日でした」
それは、
成果のある日でも、
劇的な日でもない。
ただ、
“ここにいる”ことを
肯定できた日だった。
王城を離れてから、
初めて。
レティシアは、
自分の存在を、
何かの役割ではなく、
一人の人として受け取れた。
ここにいる理由は、
もう、探さなくていい。
それは、
第2部の終わりであり、
次の物語の始まりだった。
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