第23話 役に立たない自分
夜が、静かに館を包んでいた。
窓の外には、柔らかな灯りが点々と浮かんでいる。
王城にいた頃よりも、ずっと穏やかな夜だ。
それなのに。
レティシアは、ベッドに腰掛けたまま、動けずにいた。
「……今日も」
小さく、呟く。
「何も、していない」
第22話の一日が、頭の中でゆっくりと再生される。
書類は一枚だけ。
判断も、指示も、ほとんどなかった。
それで、問題は起きなかった。
誰も困らなかった。
誰も呼びに来なかった。
「……必要、なかったのね」
声が、かすかに揺れる。
王城では、
“必要とされること”だけが、自分の存在理由だった。
呼ばれる。
頼られる。
押し付けられる。
それらがなければ、
自分は、そこにいてはいけないと思っていた。
けれど、ここでは。
呼ばれなくても、
頼られなくても、
何もしていなくても――
追い出されない。
その事実が、
静かに、だが確実に、
彼女の心を揺らしていた。
「……私」
唇を噛む。
「役に立たない私に、
価値は、あるの?」
問いは、誰に向けたものでもない。
ただ、自分自身に向けられている。
答えは、すぐには出なかった。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
涙が出るほどではない。
けれど、確かに苦しい。
コンコン、と控えめなノック。
レティシアは、肩を跳ねさせた。
「……どうぞ」
扉を開けて入ってきたのは、エマだった。
「夜分にすみません。
明日の予定をお持ちしようかと」
「……ありがとう」
エマは、机の上に紙を置く。
その内容は、簡潔だった。
午前:会議なし
午後:調整確認(ロイド対応)
急ぎ案件:なし
エマは、その紙を見て、何気なく言った。
「明日は、少しゆっくりできそうですね」
その一言が、
レティシアの胸に、すとんと落ちた。
「……そう、ですね」
声が、少しだけ震える。
エマは、それに気づいたのか、
レティシアの方を見た。
「……不安ですか」
問いは、穏やかだった。
否定しようとして、できなかった。
「……少し」
正直な答え。
「何もしていないと、
自分が、ここにいる理由が分からなくなって」
エマは、一瞬だけ考え、
そして、あっさりと言った。
「理由、必要ですか?」
「……え?」
「ここにいる理由を、
常に証明し続けなければならない場所って、
息が詰まりませんか」
それは、非難でも慰めでもない。
ただの、疑問だった。
「殿下は、
“役に立つから置いている”わけではありませんよ」
エマは、淡々と続ける。
「必要な時に、力を貸してほしい。
それだけです」
「……それだけ、ですか」
「はい」
即答だった。
レティシアは、視線を落とす。
それだけ。
たった、それだけ。
なのに。
それが、
これまでの人生で、
一度も与えられなかった前提だった。
「……私は」
小さく、息を吸う。
「役に立たなくても、
ここにいていいんでしょうか」
エマは、少しだけ目を丸くした。
「当然です」
迷いのない声。
「でなければ、
今日みたいな日を過ごせるはずがありません」
その言葉で。
胸の奥に張りつめていた何かが、
静かに、音を立ててほどけた。
涙は、出なかった。
けれど。
「……少し、楽になりました」
そう言うと、
自分でも驚くほど、
声が穏やかだった。
エマは、小さく微笑んだ。
「それなら、よかったです」
それだけ言って、部屋を出ていく。
扉が閉まり、
再び、静かな夜が戻る。
レティシアは、深く息を吐いた。
「……役に立たない自分」
その言葉を、
もう一度、心の中で繰り返す。
不思議と、
さっきほど、重くはなかった。
答えは、まだ出ない。
けれど。
“問い続けなくていい場所”にいる、
という事実だけは、
確かに、彼女を支え始めていた。
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